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Photo by
ryomiyamoto
「全てわかる」わけがない。
「あの子のことは全てわかってる」。
ある時聞いた、そんな言葉にドン引きした。
そのときの私の心中はこう。
「わっかるわけないやろがぁぁ!!!」
基本的に、人と人とが完全にわかり合えることはないと思っている。
何故なら、わたしとあなたは違う生き物だから。だから何もかもを理解し合うのは、きっと無理だ。
だけど、わかり合おうと努力することはできる。理解しようと、寄り添おうとする、その努力こそが人間に与えられた愛なのではないか、とも思っている。
わかり合いたいんじゃない、わかり合おうとしたいのよ。
そのためにわたしは他人と話したいし、話を聞きたい、自分の思ってることを書き記したいし、他人の書いたものを読みたい。考えたいし、問いかけたい。そしてその答えを聞いて、また考えて、問いかけたい。人生はきっとその繰り返しだ。
あと、発言の「全て」ってところも気に入らん(冒頭に戻る)。
自分のことすらわからないのに、他人のことを完全に「全て」わかるなんて不可能やん?
わかるわけないやん??わかるわけないやん!!むしろ、わかってほしくもないし!!!
あまのじゃくな私は、力いっぱいそう思ってしまうのだ。
…きっとね、私とその発言をした人の意図は違うんですよ。そもそもの言葉の定義が。
落ち着いたらそんなことも考察できるのに、いちいち揚げ足取るように反応してしまう。
そんなわたしもまあまあ性格悪いよな、と思ったりもするけど、まあそれはそれ、ということで。