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いびきをかく宝物
大学生のころ、テレフォンオペレーターのバイトをしていた。
大手健康食品の注文受付が主な仕事で、
電話をとってお客さまと話し、注文内容を入力して終話する。まぁざっくり言うとそんな仕事。
敬語なんかのマナーも身に付けることができたし、いろんなお客さまから時にはモウレツなクレームやセクハラを受けたりしながら社会勉強をすることができたし、
思い返すといい仕事だった。
担当していた健康食品は時々テレビで宣伝されていて、
コマーシャル後は目が回る忙しさなんだけど
暇なときは眠気がくるほど暇で、
セキュリティの関係で携帯も本も持ち込めなくて、
それはそれは手持ち無沙汰な時間が流れていた。
さて、その手持ち無沙汰な時間に私は何をしていたかというと、大量にあるメモ用紙の裏に替え歌の歌詞を書いていた。
当時、今から10年以上前だけど、巷では大塚愛が流行っていて、私は「クムリウタ」のメロディーがなんとも切なくて好きだったのだが、
その切ない気持ちのまま替え歌をいくつも創作し、あーでもないこーでもないと歌詞をつづっていた。
1番をオーソドックスに完成させたら、
2番はちょっと変わり種を入れて、起承転結の「転」の部分に変容させる。
そんでもって大サビで思いっきり切なさを爆発させて、半ば涙目になりながら頬を紅潮させてクライマックスを迎えるのだ。
1曲出来上がった時には何とも言えない感動が沸き起こり、何度も眺めてうっとりと世界観に浸り、そうこうしているうちに新しい世界観が見えてきて、もう一度同じメロディーに乗せて別の歌詞を書いてみる。
当然電話も時々鳴るので中断が発生するのだが、電話を切るとすぐにクリエイターモードに突入する。
隣に顔なじみが座ってしまうと、
暇な時間はおしゃべりタイムになってしまうため、替え歌にはまっていた時期はわざと親しくない人の横に座ったりもしていた。
一人の時間を謳歌したかったのだ。
スピッツの「楓」とかコブクロの「同じ窓から見てた空」とか、
やっぱり切ない系のメロディに乗せて"おセンチ"な歌詞を繰り返し作っていた。
どこがどうハマったのか分からないけれど、
何がそんなに好きだったのか説明なんてできないけれど、
どうしようもなく無性にやりたくなることがソレだった。
はたから見るとちょっと陰気に映るかもしれないが、
半径15センチの手元には、
叶わない恋に胸を締め付けられる女の慕情や、
チームメイトとのくだらない時間を懐かしく思い出す男のロマンや、
大冒険に胸をときめかせる少年少女たちの希望が、
ぎゅっとぎゅーっと詰まっていて、
覗き込むとどこまでもとめどなく広がる世界があったのだ。
だけどもそんな、歌詞を書きたくなる気持ち、大げさに言うと創作意欲なるものが最近はとんと湧いてこない。
だって、
"大人”になってからは
言いたいことを簡潔に要点を絞って表現することを求められすぎて、
言いたいことを多様に豊かに「これだ、これしかない」という言葉面で表現することを
封印してきたように思う。
閉じ込められた創作意欲は、自分でも気づかないうちに眠ってしまっていて、
そろそろ起きてよ、と声をかけてもちょっとやそっとじゃ起きてくれない。
だけど私は本当にそろそろ、
あののめり込む様な、
「邪魔をしないで」と他者の干渉にイライラする様な、
眠気や空腹感にも打ち勝つような、
宝物のような感情を取り戻したいと思っている。
自分が作り出したものを自画自賛の極みで
何度も目を細めて鑑賞するような、
バカみたいな時間を取り戻したいと思っている。
だからね、そろそろ起きませんか。
今何時だと思ってるの。