銀牙に偽の記憶を植え付けられたフィンランド人たち
先日Youtubeでこんな動画を見かけました。
「銀牙はフィンランドで何度も再放送された」
銀牙好きな人ならそんな話何度か聞いたことがあると思います。
Wikipediaにもそう書いてあります
なんなら作者だってそう言ってます
しかし、結論から言えばフィンランドで銀牙がテレビ放送されたことは一度もありません。もちろんアメリカでもありません。
記事を作るならせめてまともな出典見て調べて欲しいとは思うものの批判する気はありません。なぜなら私も「フィンランドで銀牙が放送されていたのだろうなぁ」と昔は漠然と考えていたからです。
実はこのデマ、日本人が広めたものではありません。フィンランドやそのほか北欧の銀牙ファンの間でも「昔テレビで銀牙を見ていた」という偽の記憶を持っている人が昔から大勢いるのです。(例)
きっと高橋よしひろにもそんなフィンランド人からこの話が伝わったのでしょう。
しかしなぜそんな偽記憶が定着しているのか?フィンランドにおける銀牙のルーツを辿ることでその理由に迫ろうと思います。
銀牙がフィンランドに上陸した経緯
1980年代当時、スウェーデンのWENDROSという会社が東映から権利を買い取って日本アニメのローカライズを行っていました。そのWENDROSの創業者がChrister Hagströmという人物。彼は1981年までパナソニックで働いており、日本で観たアニメに興味を持ったことからスウェーデンで日本アニメの翻訳と販売を行うようになりました。そして1987年には銀牙の吹き替え版VHSを製作しSilver Fangとしてスウェーデンで販売を開始します。
WENDROSはアニメの権利を買うときにスウェーデンだけでなく北欧全体で販売する権利を得ていたためフィンランドにも日本アニメを配給することができました。そのためWENDROSが権利を持つ銀牙のフィルムは1989年にTREFAという会社によりHopeanuoliとしてフィンランドでローカライズされました。Hopeanuoliは大ヒットし、その後何年にも渡ってVHSが再販されるほどフィンランド人の間で親しまれることになります。
これがフィンランドに銀牙が持ち込まれた経緯です。テレビ局の介入が一切ないことが確認できます。にもかかわらず
フィンランドには銀牙をテレビで見たという偽の記憶を持っている人がたくさんいるというのです。
銀牙にまつわるマンデラ効果
事実と異なる記憶を不特定多数の人が共有している現象をマンデラ効果と呼びます。銀牙の偽記憶に関してもマンデラ効果と言えます。
なぜフィンランド人がこんな偽記憶を持っているのでしょうか。フィンランド人の話を聞くと「スーパーやビデオショップでアメリカや日本のVHS作品を買って観ていた」という思い出話をよく聞きます。テレビで観たという記憶を持っている人も、本当はVHSで観ていたはずなのです。その記憶が入れ替わった理由を推測します。
先ほど取り上げたWENDROSのChrister Hagströmのインタビューです。彼はインタビューの中で「北欧のテレビ局は日本アニメの放送に積極的ではなかった」という当時の事情について語っています。日本アニメは低俗で暴力的という印象が強く、実際銀牙は検閲された状態で販売されましたから、このようなアニメがテレビで放送されることはありませんでした。そのため当時のフィンランドではテレビで見られない娯楽の需要をVHSが肩代わりしていた側面があります。フィンランドのテレビ局が市民が求める娯楽を放送しないことは、VHSによる海外アニメ市場の発展に寄与しました。日本やアメリカのような巨大なメディア産業がテレビと密接な関係のある国とは異なる事情が、フィンランド人に日本アニメと接する機会を増やしたのです。
そしてVHSで海外作品を観ることが日常であるがゆえに、当時の子供はそれがテレビ放送なのかVHSなのか意識することなく記憶に擦り込まれたのでしょう。そして「これだけ人気なのだから放送されていたのだろう」という思い込みも重なり、このようなマンデラ効果を生み出したと考えられます。
実際20年くらい前にフィンランドへ訪れた際、ビデオショップには日本アニメのVHSがたくさん並んでいたことを覚えています。(銀牙もあったかもしれませんが覚えていません…一番人気はムーミンでした)
フィンランド人が銀牙を愛する理由
では、なぜフィンランド人はこれほど銀牙を愛しているのでしょうか?
この話題になると大抵は以下の説が出て来きます。
・銀牙の世界はフィンランドの景色と似てるから
・北欧人は犬が好きだから
・銀牙にはSISU(不屈)の精神があるから
・何度も再放送されたから
最後以外は事実でしょうし実際こう話す外国人も多いですから、これらが理由と考えるのは正しいと思います。ですがなぜ銀牙だけが北欧で…という疑問の答えとしては少し弱いです。
Christer Hagströmはインタビューの中で「90年代に入ると北欧でディズニーなどの攻勢が強まって競合するようになった」という証言しています。これはディズニーが90年代まで新作アニメの人気が低迷していたことが一因です。理由はいくつかありますが、アニメ市場の主流が映画館からテレビに移ったことでディズニーは1961年から1988年までヒットに恵まれない時代が続きました。それが新CEOのマイケルアイズナーの改革によって生まれ変わり、ディズニーの黄金期作品がVHS市場の強力なライバルとなります。
さらに、90年代中盤から東映アニメのライセンス料が値上げされたました。この2つの要素によりWENDROSは日本アニメを販売できなくなります。
それが銀牙人気と何の関係があるのかというと、銀牙のような日本アニメがテレビでは放送されず、VHSでも新作が入ってこない時代が長く続いた結果、フィンランド人は何度も何度も銀牙のVHSを刷り込まれる結果になったのではないでしょうか。事実、新作の日本アニメの販売が滞っていてもフィンランドでは何度も銀牙のVHSが再販されているのです。
つまり、テレビで銀牙のようなアニメが放送されなかったことがむしろ銀牙の人気を確固たるものにしたわけです。
でも結局のところ、世界中で銀牙が長く愛される理由はキャラクターやストーリーの面白さに帰結するんですよね。
ついでに、フィンランド人のほとんどは原作読んでいません。2010年まで翻訳版コミックが無かったためです。この人気はほとんどアニメ版によるものなんですね。
おわり