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「夏のアルバム」(講談社文庫『随筆集春の夜航』所収)三浦哲郎著 :図書館司書の短編小説紹介

 本作は短編小説ではなく随筆なので、短編小説案内としては番外編となるのだけれど、一読してふと思い出されることがあった。
 
 この小文の中で著者は、幼い時に祖母が亡くなった折、棺桶の中に向かって笑顔を送った、と書いている。
 こちらが笑い掛ければ、白い花の中の祖母も目を覚ますだろうと考えたのだ。
 幼さのために時宜を得ず、場違いな行動をとってしまったことは、おそらく誰にも経験があると思う。
 そして、怒られたりたしなめられたりして、子供はその場その場にふさわしい態度を学んでゆく。
 だが、私の場合はその常道から外れていた。怒られもしないし、矯正もされなかったが、そのために場違いであったことも知らずに何十年も生きてきてしまったのだ。
 
 小学一年生か二年生の時だった。祖父が病により帰らぬ人となった。
 お通夜は、祖父の家で執り行われた。
 その時、誰かしらから祖父の枕元の線香の火は決して絶やしてはいけないのだということを教えられた。
 その線香の火と煙とが、この世とあの世とを繋ぐ道となり、道標となるからだという。
 そう言われたからには線香の番をしっかりしようと、私は陸続とやって来る弔問客の合間を縫って、数分おきに線香の長さを見に行き、短くなっていればその隣に新しく火を点けたものを突き立てた。
 祖父が道に迷わぬようにとの思いも少しはあったかもしれない。
 けれど、あの時私が熱心に線香の元に通ったのは、普段親から火を使うのを禁止されていたにも関わらず、それが祖父を送るという大義名分のために黙認され、常日頃の炎への鬱憤がささやかながら晴れるからだったように思う。
 それでも、子供ながらお通夜の厳粛な雰囲気は感じ取っており、線香番を生真面目に、責任感を持って務めたつもりだった。
 
 近年、母と祖母と私の三人で食事をする機会があった。
 その時、祖父のなくなった頃の話となり、お通夜の晩にまで話題が及んだ。
 もしかしたら、私の線香番ぶりまで取り上げられるかと、食後のあんみつを匙ですくいながら耳を傾けていたところ、予想通りに話が進んでいった。
 「お通夜の時、この子はうろうろ歩き回ってねぇ」
 母が言った。
 「ええ、でもまあ子供のことだからって放っておいたのよねぇ。おじいさんは孫に甘かったし」
 祖母が言った。
 そこに、線香番を務めた私への労いはなく、ただ祭壇の周りをうろちょろして迷惑だったとの響きだけが感じられた。
 そして、実際にそうだったのだろう。おそらく私が線香に火を点けまくったのも、祖父への思慕ゆえでなく、ただ火遊びが楽しかったからだというのも見抜かれていたに違いない。
 それなのに私はあの晩のことを、祖父の冥土への旅を助けた良い思い出として胸にしまっていたのだ。
 穴があったら入りたい気持ちで、私は苦笑いを浮かべながらあんみつを口に運んだ。
 
 

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