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私は頭がおかしいんだ、と泣きながら週報を書いた。翌日、彼女に出会った。

「大丈夫です!私、生きててもいいって思えたんで!」

産業医は根負けしたように、カルテにペンを走らせる。私が得た結果は『休職不要。条件付き業務続行』だ。

十分だろう。これから頑張って、自分は大丈夫だと証明していけばいい。
「勝訴」と書いた紙を手に、走り回りたいような気分だった。


私は営業ができない営業職だった。

どのくらいできないかというと、クビになるレベルだ。
リーマンショック。あのころは、本当にどの企業も余裕がなかった。社員を半分に減らすことになったとき、真っ先に対象になったのは、営業マン50名中49番目の私だった。

やめておけばよいものを、転職を余儀なくされた私は、こりずにまた営業職に就いてしまった。
美容院の予約すらままならないほどコミュニケーションに難のある自分に、営業が務まるわけがないのに。

なおその理由は、もし希望する時間が満枠のとき、「混んだ時間に予約したがる空気の読めない客」と陰口を言われそうだから、である。
意味不明だ。どれだけ自意識過剰なんだよ!と過去の自分にツッコミを入れてあげたい。

そんな私は、新しい会社でもやっぱり売れない営業マンだった。
良くないことは得てして重なって起こる。特別できの悪い私の上司になったのは、特別厳しいリーダーだった。その厳しさたるや、歴代部下を軽く5名ほど、休職や退職に追い込んだほどだった。

そんな彼の口癖がひとつだけある。

「ころすよ?」

これは私が行動計画を相談するたびに、営業ロールプレイをするたびに、何度も発せられた。

そんなに簡単に他人へ殺意を抱いていたら、既に犯罪者になっていてもおかしくない。事実、飲み会で彼が語る武勇伝は『ヤンキーをボコボコにした話』『闇金で働いていた話』などピュアな犯罪自慢だった。

冷静に考えて、こんな明らかな嘘つきの言葉は、聞き流せばよい。
だがそのときは、彼が生殺与奪の権を握っている気がして、叱責をすべて真正面から受け止め反省していた。この真摯な姿勢は、全日本怒られ選手権があれば確実に優勝していたレベルだ。

結果、次第に自分は無価値、むしろ害のある存在なんじゃないか、と思うようになっていった。

「今日も生きてしまっている。早く消えなくちゃ。」

私は日々、自分が生きていることを責めていた。

ある週、私は金曜時点で実績が0円だった。どんなに行動量を増やしても、数字は1円も動かない。あせる私に、業績報告の時間が迫っていた。
この上司の実績管理は週次、日次なんていう甘いものではない。1時間ごとが基本だ。

「あのクライアント、電話つながった?」
「まだつながっていません。もう21時ですし…」

「 つ な げ て 」

誰か、電話の概念を教えてさしあげて!!!
「つなげる」ことのできる電話など、アントニオ・メウッチもびっくりの技術だ。なお、電話を発明したのはベルではなく彼であることは、2002年6月11日アメリカ合衆国議会の決議案269で公式に認められている。

当然電話を「つなげる」新技術はないわけで、22時まで営業して何も進捗しなかった私は、上司の激詰めを喰らったのだった。

詰められたときの定番のなぐさめは「言われるうちが華だよ」である。しかし全日本怒られ選手権優勝の私からすれば、「殺意を抱かれてるうちが華だよ!」である。まだ生き物として扱われているからだ。

その日の私は、一線を越えた扱いをされていたと思う。
単なる36.5℃の円柱だった。

号泣してパンパンになったまぶたで、鼻水を拭った汚い手で、私は全社宛メーリングリストに最後の力を振り絞って週報を書いていた。送信期限は金曜23:59。遅れたら、時間すら守れないのか、となじられること必至だ。急がなくては。

この会社の週報の末尾には、所感欄があった。提出期限まであと5分。深く考えている時間はない。私は勢いよく、素直なそのときの考えを記した。


【所感】私は頭がおかしいので、しっかりと精進していきたいと思います。


上司の要望になにひとつ満足に答えられない、自分は本当に頭がおかしいのだ。私は心の底からそう感じていた。

この一文は、上司が厳しすぎるとか、目標が高すぎるとか、何かを告発する意図が皆無の、純粋な私の所感だった。

真顔で「私は頭がおかしいです」と言っている人間は明らかにおかしい。

この週報は役員に見つかり、大問題となった。次週には、産業医との面談がセットされた。その面談目的は、休職判定である。どう考えても、この状態の人間にはあまり働いてもらいたくない。

しかし翌週の面談で、私は唐突に「大丈夫、今の状態なら休む必要がない」と断言した。産業医にも人事にも、業務遂行に問題ないことを強固に主張し、休職には至らなかった。

休職しなかったどころか、その後長い時間をかけて、営業マネジャーまで昇進した程度に私はよみがえったのだった。

確かに私は、週報を書いた時点では、自分の頭がおかしいと思っていたし生きてはいけないと感じていた。

だが、私は変わったのだ。生きていてよい、と信じられるようになったのだ。

ひとりの女性に出会ったことで。


身近な女性に敬意と感謝を伝える、ミモザの日。
私は河井実来という、自分を変えてくれたアイドルに、ありがとうを伝えたいと思う。

私の名前も河井実来である。身近な女性でも何でもなく、本人じゃないかと指弾するのは待ってほしい。これは芸名であり、私の本名とは異なる。

彼女は、一番身近な、私のようで私でない女性なのだ。

私はずっと続けていた弾き語りから、縁あってアイドルへ転身することになっていた。仕事で病むかなり前から決まっていたアイドルデビュー日が、『頭がおかしいです週報』を書いた翌日だったのである。

当時の私は休日になると16時くらいまでベッドから起き上がることができず、友人との約束すらドタキャンをするほど無気力だった。

しかし、生来の真面目な性格は、出番に穴をあけることを許さなかった。文字通り這うようにしてライブハウスにたどり着けたのは、本当に幸運なことだった。

重いライブハウスの扉を開いて、私はびっくりした。
「はじめまして!今日デビューなの?」
「かわいいね!あとでチェキ撮ろうね!」
次々とアイドルファンが、自分に興味を持って声をかけてくれる。
それは最近他人とした会話が、全て罵倒だった自分にはおどろきで、自分にも少しは価値があるのか?と思わせてくれる出来事だった。

そして、ステージに上がった後、その疑いは確信に変わった。私の全力の歌に、ファンは笑顔で手拍子や掛け声を入れてくれる。オタ芸を打ってくれる。私の歌で、みんなが喜んでくれたのだ。

そこに叱責はなかった。目標未達でも、人間でいてよかった。
ひたすらにやさしい世界で、私はやっと自分を抱きしめることができた。久しぶりに見つけた、自分を好意的に受け入れてくれる場所。それがアイドルライブのステージだったのだ。

私は生きてていいんだ。
そう思えるだけで、世界はがらりと変わった。

上司の言動がちゃんと理不尽だと思えた。顔をあげれば、手を差し伸べる人がたくさんいた。
もう私は大丈夫。腹の底から、何とかなると自信が湧いてきたのだった。


母・妻・社会人としての私たちの毎日は、全てが楽しいわけでも、うまくやれるわけでもない。だから、日常と離れたねじれの位置に、何とかサードプレイスを見つけて生きている。
そこで高まる自己肯定感は、いつもの自分に余裕を与え、求められた役割をこなす力の源になってくれている。

そんな、普段の自分とは違う、私のようで私でない私。
彼女に、今日はありがとうと言おうじゃないか。

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