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RADの音楽と『余命10年』
私は、高校生の頃からRADWIMPSを聴いていて、コンサートには行ったことがないけれど、なぜか色褪せずに好きでいる。
それを、何でだろうと考えたときに分かったことがあって、それは、毎日のなんでもない場面をくっきりと見えるようにしてくれるからだと思った。
まいにちを過ごしていると、少しハデな出来事が記憶に残りやすくて、24時間過ごしているはずなのに、1日の終わるころには、たぶん全部の3分の1も覚えてない。いくつかの点しか覚えてない。
でも、RADWIMPSの音楽を聴くと、なんでか生活の中が景色ごと浮かび上がって見えるようになって、自分の生活がものすごく素晴らしいみたいに思えてくる。笑
錯覚かもしれないけど!
それで、2回も見て写真集も買った『余命10年』だけど、これも、こんなにも感動したのは、ひとりの人生の瞬間瞬間を、見ている人に見えるようにしてくれてたからだと思う。
映画のなかで、決定的な瞬間だとか爆発的なイベントだとかはなかったもの。
だから、写真集の帯にある「なんでもない毎日が、こんなにも愛おしいなんて」のことばが、映画を表しすぎている。
今の季節はちょうど卒業式があるけれど、入学式より卒業式が泣けるのは、式がそうさせるんじゃなくて、卒業式に出ている人たち一つ一つの頭のなかで、これまでの毎日が再生されてるからなんだと。その人の記憶にある限りの毎日が、ちゃんと再生されてるから泣けちゃうんだと思う。
この映画もね。
まつりちゃんの人生を、RADの音楽が存在感を消しながら、でもはっきりと見えるようにしてくれていたから、私は2回見ても写真集を見ても泣いたんだと思う。
3回目も見よう。