10年間
父親から譲り受けたWi-Fi環境なら使えるiPodでゲームを始めた頃の話
当時の私はまだ小学5年生
ゲームだけじゃ物足りないけど、当時の私はYouTubeとかその他のSNSアプリの使い方をよく知らなくて既にダウンロードされていた既存のアプリで今より楽しめるものはないのか探し始めた時に触れたのがApple music
父親の好みの曲しか入ってなくて、父親は洋楽が好きだから全く知らないアーティスト名と何を流しても英語しか流れない中でひとつだけなぜが曲名が日本語のアーティストが入ってた
それがBUMP OF CHICKENのCOSMONAUT
ジャケットだけ見たらこれも洋楽か〜と思って試しに開いてまたら日本語で、母親の影響で聴いていたバンドがウルフルズと、UNICORN数曲しか知らなかった私にとっては初めて聴く系統で、でもすんなり耳が受け入れる曲調で知らない世界に足を踏み入れた感覚があった
母親に少し勧めたら、見ない間に家に過去のCDが揃い始めて中2の頃にはチケットを取ってくれて初めてライブに行くことができた
日産スタジアムで席はステージをほぼ正面から見渡せるスタンド一階、銀テとコンフィ、演出で出てきた光るバルーンに触りたくてでも触れない距離で少し会場内にいるのに取り残されてる感じもした
次の年から始まったPATHFINDER tourでは母親の火がついてくれたおかげで当たった公演全てに飛んで会場入りすることができた
札幌/静岡/福岡の3公演に足を運んだ
埼玉の公演は高校受験の前日で父親に止められて行くことができなかった
結果前期は落ちたから行っても別に良かったじゃんとも後々思ったが当初はチケットを取れていなかった福岡公演が藤原基央のインフル感染により日時変更、払い戻し抽選し直しのおかげでチケットが取れて高校入学前のちょっとした小旅行もできた
今思えば埼玉に行けていればその時も結成記念日に立ち会えていたことになるのが少し悔やまれる
ただ、このツアーで最大によかったなと思う点は静岡のエコパアリーナ公演 2daysのうち私の参加したのは10/9 この日はベースのチャマの誕生日当日だった
誕生日当日はアンコール前にリスナーのメッセージを書いた横断幕の披露、メンバーがステージに上がりケーキを持って登場しみんなでお祝いをした。この時に降ってきたCHAMA HAPPY BIRTHDAYの銀テを自分の手で取ることができた瞬間のことは今でも覚えているし、手元にある銀テも他のものとは比べ物にならないほど大切な記念品になってる
そしてそれだけじゃなく、私の好きな曲の中のひとつであり、チャマが作詞作曲をした「彼女と星の椅子」をチャマの弾き語りで聴けたこと
メンバーはステージから捌けて横から覗く形で見ている中1人照れ臭そうにアコギをかけて歌い出すチャマに、いつも下手でリズムに乗りながら飛んだり跳ねたりしてベースを弾いている元気なチャマと違う一面を見れて、音源の藤原基央の声じゃなくチャマの声で好きな曲を聴くことができたことが最大の思い出
次のツアーはaurora ark 参加したのは愛知と東京最終日
愛知は私の当てたチケットでアリーナBの前からふたつめのブロックの1列目角から4席分
4連でもこんないい席が当たるんだという感動と、その時は母親と私の他に母親のフォロワー2人を同行者として連れていたから、席に着いた時に初対面のフォロワー2人に手を握りながら感謝されるほどの席だった。私はただ申し込んでこの席になっただけなのにものすごく感謝をされたから自分が少しだけ誇らしかった。
東京は上段でメンバー登場前のスモークで自分たちが雲の上にいるかのように思えるほど高く、ステージも正面から見ることができるけどその分距離を感じる場所で少し寂しさを感じながらも、愛知の時はメンバーを必死に目で追っていたから気づいてなかったスクリーンの演出に感動 特にSpicaの時にメンバーの後ろのスクリーンに映されるのは大木で、木漏れ日も少し再現されながら藤原基央の声も相待って空間全体が優しかったのが心に残ってる。やっぱりバンドならどの席が、というのはあまりないんだと思う。
当たり前のように次のツアーの解禁を待ち望んでいたところにコロナが流行った。ツアーどころか学校も行かない時期があって、私の性格上家から出ないことに対してストレスを感じる無かったけど、毎年一度はあるツアーで複数公演に足を運べていた私にとっては、そのライブのために頑張ろう、次のライブまで頑張ろうで生活を支えてくれていたライブがなくなったことがとてつもなく大きくて、新しい曲が配信されてもこれをいつライブで聴けるのか先が見えないことがすごく悲しかった。
この時期にBUMPだけじゃなく、高校の軽音部で作られた小さなバンドや、インディーズバンド、沢山の音楽を知って、コロナ明けのライブは絶対に行くぞと意気込んでいたらコロナ禍中に解散していったバンドも沢山いて、音楽の世界は簡単じゃないこと、BUMPのようなものすごく大きなバンドの凄さを痛感した。
収容人数が少なくとも、声が出せずともやっと決まったコロナ明けのライブは幕張2daysのみで、当たり前のように行けなかった。
どれだけ待ってたと思う?ずっと楽しみにしていたのに毎回のツアーには参加していたから当たり前に今回も当たるだろうと思ってた。ライブに行けないなんてありえないと思ってたからそのライブが行われる前後はライブがあるのに行けない自分が悔しくてBUMPの曲が聴けなくなった。
2022年になったのに、ライブが当たらないのは大きな会場よりもライブハウス希望のツアーが多くて、幕張でさえも当たらなかったのに2000人台しか入らないキャパのチケットなんて手に入るはずがなかった。
その間KPOPのライブやイベントも参加するようになって(いつからそのジャンルを聞いてた?みたいにしれっと書いたけど)コロナ禍に音源だけ聴いてたインディーズバンドの対バンにも沢山足を運んで、自分が初めて自分の意思で聴いていたロックバンドを皮切りに本当に多くの音楽を知ったね。BUMPから離れかけてた時期ももちろんあるし、自分でも最近聴いてないなと思う日も多くなったりもした。
新しく出る曲全部が難しい曲調になってってなんだこれは。と思うようなのもたくさん出て本当に潮時かなと思ってた時にライブ当選の知らせが来た。その時はもう18祭も自分に何も取り柄がないから応募できず、18祭のための曲も全く聴いていない状態で、前のようにライブを楽しめるのかがすごく心配のままたまアリに向かった。
実際には面白いくらい楽しくて、2019年以来やっと!という感じもなく、音が鳴った瞬間自分が2019年やそれ以前に戻ったかのような気持ちになって、不安や心配自分が抱えてたものが即座に取り払われた。
400レベルだったし、それより前の公演では無かった銀テも出てきてまじかーーとなったのが本音ではあったけど、同世代の男女に譲ってもらい満足したし、自分も大人になってるから当たり前なのかもしれないけど、中高の自分より落下物取れてる人への嫉妬はしなくなっててよかったなと思ったし。
やっぱり最後には風呂入って汗ながしてあったかくして寝なね、と終演後の心配をしてくれる藤原基央が、最後にマイクを通して言う言葉がおやすみの藤原基央がいいな。懐かしいな。でも変わってないんだな。としみじみ思いながら帰宅して、しばらく経ってから結成記念日にKアリーナでライブをする告知が出た。
あんまり期待してなかった。期待しすぎた分の落ち込みが酷いから。でも母親から当たった知らせが来た時自然と涙が出た。泣きながら喜ぶほどこの人たちのライブを待ち望んでた自分に驚きながら、来年2月11日初めて結成記念日である記念すべき日に彼らの音を聴きに行く。
追記
これはずっと下書きに温存してたもので、1年前くらいの話です。
2024年2月11日の Kアリーナはそれはそれは楽しかったです。
また。時間をおいて記憶がやんわりしてきた頃に書けたらと思います。