パチンカスへの軌跡-自己紹介幼少期編-
思想を垂れ流す前に自己紹介から。
好きな食べ物は梅干し嫌いな食べ物は椎茸の
2000年生まれの24歳天秤座。
ADHDだけど割と気に入ってる。ちなみに左利き。
父ドラマー、母ピアニスト、祖母はお琴の先生の
俗に言う音楽一家の次女として大阪で誕生。
初めてしっかり話した言葉は「電気」らしい。
リビングで流れるのは90sパンク。母の部屋から流れるのはクラシック。遊ぶおもちゃはエレクトーンにピアノにドラム。
そんな家庭で育った私には、音楽はただ産まれた時からそこにあるものだった。
当たり前すぎて、ピアニストになりたいなどの感情を持つ事も無く、大きくなったらプリキュアになりたいなどと可愛らしい夢を持っていたと思う。
小学2年生の夏休みに父親が見ていたシンディ・ローパーのライブ映像をみた時に陳腐な表現だが全身に電気が走った。
真っ黄色な頭に真っ赤なドレスで歌い踊る彼女が私のヒーローになった。
私の夢はプリキュアからシンディ・ローパーに変わった。
お姉ちゃんに「あたしシンディになりたい!」っと言ったら「あれ外人やから無理やで。シンディのどこが好きなん?」と聞かれ考えた。
どこがそんなにかっこいいんだろう?と毎日映像を見ながら考えた。毎日毎日見て気がついた。
会場中が盛り上がってたのに、True Colorsを歌い出す瞬間会場から音が消える。何千人といる中で音を出すのが許されているのはシンディだけ。
歌い終わると会場のみんなに音が戻ってくる。
魔法を見てるみたい。
私はそれに憧れていた。
それと同時に年に2回出ていた小さなピアノやエレクトーンのコンクールに似てるなーと思った。
私も大きな会場でみんなから音を奪う魔法ごっこがしたい。ピアノが1番近いかも!!
それで私の夢はピアニストになった。
今になって思い返せば、ADHDの症状らしいのだが、過集中や興味を持ったらとことんどこまでもやり続けるの性質が幸いしピアノの成績も結果もグングンとよくなった。
だからADHDは割と気に入ってる。
そういえば小学6年生の時にコンクールのトリを貰い幻想即興曲にチャレンジして途中で飛んでしまい本当の即興を弾いて大泣きしながらステージを降りたのはまた別のお話。
そんな小学生時代を過ごした。
中学生の私は、ブレる事もグレる事もなくピアノの練習を続けた。手を怪我しちゃいけないから!とか偉そうな事を言いながらバレーボールの授業などは休んでいた。
コンクールで優秀な事もあり学校もそれを了承してくれていた。才能があると驕る高ぶる。勘違いの始まりだった。
最短ルートでピアニストになりたい。大きな会場で弾きたい。と思っていた私は、県外の音楽専攻のある高校に行きたい。と親に言った。
親元を離れ、友達とも離れる事より、なによりも
最速で、最速で、まっすぐに、一直線にッ!!(パチンコ シンフォギアより)に生きたかった。
私には才能も実力も運もある!そう信じていた。
こうして私は地元を離れる事になる
今日はここまで。