人間は慣れる動物 「考える」と「やる」の違い
例えば何か機械とか道具類とかパソコンとか、何でも新しく買い替えた時、
なんだかこれ、使いにくいな、と思う事が有る。
自分の友達もスマホを買って、これ使いにくい、と、すぐに買い替えたりしていた。
そんなもん、暫く使えば慣れるのに何買い替えとんねん、と言った事が有る。
パソコンのソフトウェアなども買ってから暫くは、なんだか使いにくいな、
になる事が多いけれど、使っているうちに慣れて来るものだ。
会社を経営していて、それが行き詰まって自己破産までして、さらに病気を得てしまって、
もうどうしようもなくなって生活保護を受けた、
という人が書いていたものを読んだ事が有るが、
もう人生おしまいだ、と思っていたのに、今では心安らかに楽しく暮らしている、
と書いていた。
人間は慣れる動物なのだ。
長年刑務所に居た人が出所するのが怖くなる、という事も有るそうだ。
すっかり刑務所暮らしに慣れてしまって、出所しても生きて行く自信が無かったり、
実際に出所してもまた刑務所に戻りたくて犯罪を犯す、などというケースも有る様だ。
そういう訳で、人間というものは慣れる生き物なのだ。
一定程度やっているとその事に慣れて、それが心地よくなる。
なんじゃこれ、イヤだなあ、と思うのは最初だけだったりするのだ。
なので、もうこれで俺の人生はおしまいだ、なんて思う事が有っても、
また別の道が開けて、徐々にそれに慣れてゆくものなのだ。
最初だけは違和感を感じるけれど、続けていれば慣れるものなのだ。
例えば何かを習いに行くとする。何かのセミナーの様な物でも、語学でも何でも、
習い始めた当初は「なーんだ、こんなもんか」とか、「なにこれ?つまんない」
とか思うものだ。
けれど、例えば自分が誰かに何かを教える立場だとしたらどうだろうか。
初心者にはまずはとても基礎的な事から教え始めたりするだろう。
その基礎的な事を「なんだこれ、つまんない」と思ってしまうのではないだろうか。
5回、10回と続けてい行くうちに、徐々に深くなり、
その時点で大いに興味が湧いて意欲も湧いてくる、という事だって有る。
なので、物でも事でも、最初に「なんじゃこれ」と思っても、
暫くは続ける事はとても大事な事だ。
稀に、いくら続けても「なんじゃこれ」のままという事も有るかもしれないが、
多くの場合は徐々に深くなってゆくものだ。
なので、最初の1回で「だめだこりゃ」と思ってやめてしまうのは
とても勿体ない事なのだ。
これはどうしてそういう事が起こるのかと言うと、「知らない」からだ。
「なにこれ?つまんない」とか、「ダメだこりゃ」とか思うのは、
自分が何も知らないからに他ならない。
なので、最初だけで諦めてしまう人というのは若い人が多いのだ。
若い人ほど知らない事が多いのだから。
若い時、まだ学生の時代、自分の将来の事を考える。
自分が考える自分の将来というものは、社会的にも経済的にも成功して、
いわゆる「勝ち組」みたいになって、良い家に住み、おいしいものを食べ、
恋人が出来てクルマも買って、みたいな感じなのだ。
けれど、実際にはそうはならず、貧乏暮らしをするのかもしれない。
学生の時に思っていた時点では、自分が貧乏な暮らしをするなんて、
とてもじゃないが、そんなもん「終わり」だと思ってしまう。
けれど、実際に貧乏暮らしをしてみると、それはそれで結構楽しく暮らせたりする。
金が有るだけが幸せではないんだな、と思ったりもする。
結局これはみんな、慣れる、という事でも有る。
この、「慣れる」というのは一体何かというと、「実際にやる」という事なのだ。
実際にやらずに、ただ考えているだけの時点では、金が無くて貧乏な暮らしをするなど、
「とてもじゃないが耐えられない」とか「人生終わり」とか思ってしまう。
けれど、実際にやって見ると実は思っていたのとは違うという訳だ。
さて、ネットの時代で、なんでもかんでもネットで出来る様になっている。
例えば恋人とか結婚相手とかもネットで探せるようになっている。
ネットだと「効率が良い」と思ってしまう。
静止画像をザーッと見ていって、ピンと来た人のプロフィールを見てみたりする。
多くの母数の中から選べるので「効率が良い」と思ってしまう。
けれど実はこういうやり方は効率が良い訳ではない。むしろ効率が悪いかもしれない。
何故かと言うと、人間は会ってみないと解らないからだ。
ルックスの場合でも、静止画像と実物は全然違うのだ。
人間の中身についても、プロフィールに書いて有る事と、
実際に会って話した印象とは全然違う事もとても多い。
ただし、実際に会って見て、「ダメだこりゃ」と思う事も良く有る。
だから実際に会う「手間をかける」のが効率が悪い事だと思ってしまう。
けれど、やっぱり人間は会ってみなければ解らないのだ。
だから、ネットで多くの中から選ぶよりも、
一人ひとりと会うほうが結果的には効率が良いという事になるのだろう。
ネットなどで多くの母数から選ぶほうが効率が良いと思うのは、大いなる勘違いだ。
たくさんの静止画像をざーっと見ていってその中から選ぶ、
などというのは実は大雑把すぎて話にならないという事だ。
だから、例えば恋人が欲しいと思うのであれば、多くの母数から選ぶ道よりも、
まずは自分の行動範囲、学校とか会社とか、そこで会う人達が一番の候補なのだ。
ぱっと見、特に魅力を感じなくても、何度も会って話をしているうちに
その人の魅力に気が付く事も良く有るものだ。
なので、ネットを見るよりもまずは、リアル環境で自分の周りを見回すべきなのだ。
今、学校でデジタル化が進んでいる。
生徒全員にタブレット端末を与え、教科書も紙ではなくデジタルになったりしている。
さて、紙と鉛筆を使うよりこのほうが効率が良いのか、というとやはりそうでは無い様だ。
教科書をデジタル化したりすると、明らかに学力が低下するというデータが出ているそうだ。
それがどうしてなのか、についてはまだこれからの研究課題だそうだが、
結果ははっきりしていて、やはり紙と鉛筆のほうが明らかに学力は高くなるのだそうだ。
それはどうしてなのか、理屈は良く解らないが「感じ」としては非常に良く解る。
指先でペンを使って文字を書きながら脳で考える、
という作業は実際にやってみると良く解るが、考えが深くなるものだ。
自分は文章をとても良く書くほうだが、ずっと長い間、
文章はペン先で考える様な感覚が有ったものだった。
それがキーボードになってから、何年かは上手く文章が書けなくなってしまった。
それでも何年か続けていると、今ではペンと同様に
指先でキーボードを打つ事で文章が生まれて来る感覚になって来ている。
ということで、
デジタル化すると効率が良くなる、とは限らない。
最初の内は知らないからこそ違和感を覚えるが、続けていれば慣れるものだ。
実際にやらずに頭だけで考えるのはとても愚かな事だ。
実際にやらなければ解らないのだ。
この辺の事を良く理解して、充実した人生を送りましょう。
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