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予想よ当たれ。(画像みたいなメロディで。これは私が撮影できたやーつ。)
私には子どもがいないので、私の子どもが出てくる夢を今まで一度もみたことがないのは何度もツイートした。他の不思議な出来事は全て夢の中では実際にありそうなこととして捉えられ、何の不思議もなく受容しているのに、つまり、ゾンビに追われて逃げる夢だとか、絶対にありえないことは不思議感もなく受容してるのに、私の子どもの夢だけは一度もみたことがない。もし夢に私の子どもがでてくるとしたら、ずっと私が育ててきた子どもなのではなくて、「実はあれはお前の子なんだ」的な展開しかないだろうな、と思う。そんな夢もまだ見たことがない。夢に我が子よ、はやく出てこい。いろんな会話をしたいぞ我が子よ。きっと私はその我が子のために残りの人生を全部使う。そのくらいの思いがあるのだからはやく出てきてほしい。我が子を持つ感情を味わいたい。存在もしないのに我が子には幸せになってほしい。
私が初めて姪と会ったのは姪がまだ言葉もしゃべれないようなころで、その姪はなんか小さくて丸っこくて変な生き物みたいな感じだったのだけど、一年か二年後、ようやく自分で言葉を発して、意思の疎通ができるようになってからやっと、おお、人間じゃないか、という感触になった。
姪にとっては私は世間一般でいう伯父さんなのであった。姪と会話するときは、私の一人称代名詞は自然に「おじさん」になってた。「おじさんが買ってやるから」とか「おじさんのいうことをきいてたら」とかそういう感じで、自分のことをおじさんと自称してた。まだ四十歳にもなってなかったのに。若かったのに。もしかしたらお子さんを持つ方々も自分の子どもに対していつの間にか一人称代名詞が「おとうさん/パパ」「おかあさん/ママ」になってるんだろうな、と予想した。予想よ当たれ。
私の一人称代名詞が「おじいちゃん」になる日はきっと来ない。私に孫ができる確率もあることはあると思うのだけど、もしかしなくても私の最初の子どもがもう孫の年齢なのは確定なのだ。そこからの孫だと私はひいじいちゃんの年齢だ、それは難しい。ともあれ、きっと小学校の参観日には「おとうさんはこないで」といわれると思う。年齢的なものより、見た目で。タトゥーばちばちなんかじゃない父母だったが、私は参観日が大嫌いだった。参観日大嫌いだった理由はいつかまた書く。
ああ思い出した、千歳空港に単独で前乗り込みしてきた姪(まだ子ども)を迎えに行くときに真っ赤な寅壱のニッカ上下を着ていって、空港職員から引き継ぎを受けたときに姪が「なんでそんな恰好でくるの!恥ずかしい!色も!」って言われた。ウケると思ったのに。面白いと思ったのに。まだまだ笑いのセンスがないやつだ。