論語注疏で漢文白文の切り方でも練習してみようかのコーナー(古舘4-2

前回の続き

 検査の結果、病名が告げられる。治療法も指導される。私の病気のときには「入院期間もそうだけど、退院以降の生活が本番の治療という部分がある病気だから」と、医師看護士栄養士薬剤師にそろって言われる。根が真面目な私は全てを守る。過剰なまでに守る。さあはじまるまた自慢だでもすぐ終わる。守った結果の体重減少と腹筋六個割れと検査数値の正常さだろうと思う。
 カワイは芯から底から真面目で出来てる。行動と見た目がふざけているようにみえるけどそれは誤解だ。そのおかげで狭心症からの心筋梗塞はぎりぎりのところで回避した。心臓の筋肉、死んでない。高血圧もない腎機能障害もない。あのタイミングであの病院紹介の連続は奇跡の組み合わせだったんだろうと思う。
 で、孔子がカワイの入院前の様子をみてやはり「なんでこんないいやつがこんな病気になるんだようふざけんま!」くらいはいうと思う。カワイのいままでしてきた善行と私の病の関係などまるでない。そこらの寿命は「命」が与るものだから。カワイの今までしてきた善行は霞が関ビル242杯分。
 
本題

 当然下記の部分も「天命かあ!まあほんと善行ばっかりするようないいやつなのに、なんでこんな病気になって死んでいくんだよふざけんま!」という孔子の憤懣が繰り返しと助字だらけの文になる。

古舘その1より


 これは「矣夫也而」は基本あってもなくてもよろしいビックリマークの連続のように考えるといい。だいたいどの解説も「命矣夫斯人也而有斯疾也斯人也而有斯疾也」をひとまとまりとして捉える。「命なのかよおい(かなりの悔しさといたましさがはいる)!!こんないい人なのにこんな悪病にかかるなんて!」が最も近い。二度繰り返したのはトトロの「夢だけど夢じゃなかった!」と感情方向は違うが同じ。
 
 この訳も孔子はその「命」に不満憤りを感じて反発してるとは訳さないのが普通。孔子自身は「死生有命富貴在天」系だから。
 そんな天道が是か非かを言い出したのは司馬遷。

 命矣夫斯人也而有斯疾斯人也而有斯疾
ざっくり訳すと
「命なのか!!!こんな(いい)人なのにこんな(ひどい)病気になるなんて!!!こんな(いい)人なのにこんな(ひどい)病気になるなんて!!!
の漢字部分は「命!!斯人!!有斯疾!斯人!!有斯疾!」いい人の「いい」もひどい病気の「ひどい」もないでしょう。そこに挟まる黒太字の漢字、虚詞詁林他の文言虚詞を扱う本にはさまざまな例と意味と様々な内容が書いてありますが、ここでもちゃんと意味あるんですけど、ざっくりいうと、なくても意味通じるでしょう。あの黒太字が孔子の感情。

 上記短縮化「命!斯人有斯疾!」でもいいくらいでその冒頭が「天命なのかあ(落胆)」か「このクソ天命め!(憤怒)」「命よこれでいいのかコラ」くらいでもかまわないし、あらたな解釈をどんどん作っていってもいいんですけど、いまさら新解釈したところで数千年に及ぶ論語解釈の積み重ねをひっくり返すことはできないので無駄なことはしないほうがいいです。
 重要なのは、「命なのか(これはもうどうすることもできない)、このとてつもなくいい人が、こんなとてつもない重い病になるなんて」という訳は孔子と彼と彼の普段の行いと孔子からの評価でようやくきまる。

 私が安田大サーカスの禿頭のヒゲに対して、「おーっと、掟破りの逆この人にしてこの疾あり!(古舘1)」を、私と彼と、私の彼への評価で下すと「おまえ6年は前に病気診断されてるよな、相変わらず体重0.1トンで暴飲暴食にアリバイサラダくらいしかくうておらんな、案の定、検査値も異常をずっと叩き出してるようだな、じゃあこれはまさに孔子が「wwwこれがあいつの運命超ウケるwwwまあ近いうちに死ぬことになるだろう」というのも当然の「古舘伊知郎的に言えば掟破りの逆それ」。

(つづく 次くらいに注疏に触れる。ひっぱるねえ。

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