きっとゴジラが出てきても国民の半分には影響を与えない
よほどのことでも起きない限り、という時の「よほど」を、それでも私はまだまだずっとかなり大きく見積もっていたつもりでいたのだけれども、私の想像していた「よほどのこと」の10倍くらいのよほどのことが先日、奈良の交差点ロータリーで発生して、これはかなりの「よほど」だろう、いま国政選挙運動の最中だぞ、タイミングの悪いときに起きたものだ、香典票があっちに行くじゃねえか余計なことをしてくれたものだ、と悲観していたのだが、私の思っていたその「よほど」は、一般人にとっての「よほど」と比較すると私の方がよりずっとずっと小さくて、そんな程度じゃまるで動く気配がないあいつらのそれ(投票率がまるであがってない、香典票もほぼそっちにいってない、つまり全然あいつらにとってはどうでもいいことレベルでも口では一応お悔やみくらい言ってるwwwバカのくせに)は、どんな時にも動じた態度を見せない大立者的な動じなさではなくて、つまり、私が「自分には真似できないなあこの何が起きても動じない冷静沈着さ」という感じではなくて、もしかしたら、この連中(一般人→あいつら→連中)どんな大事件があってもこの国のどこがが戦場になって毎日何人死んでも(実際疫病で毎日何人も死んでいるのだけどそういえばあいつら楽しそうにいろいろ旅行したり集会したりしてやがるな)、もっというとゴジラが東京をぶっ壊して政府関係者を一瞬で全部あの世に送ったようなそんな出来事があっても、この国の半分のやつらはまるで興味がないらしいことをこの目で確認して、あいつらはプラナリアくらいのノリでこの世で生活してるんだろうという落胆と驚きとほんの少しの安心を感じて二日目、あいつらそもそもそうだったよな昔から、そんなレベルだよなwwwと思いながら、私は来たるべき日のために、アームバーで胸の筋肉を鍛える。
画像は、少林寺三十六房で何事にも動じない修行。顔を動かすとやけどする。眼だけ動かす。
追記 2024年2月11日 あれがなかったらいまだに悪党どもがのさばっていたのだろうな、と思う。そして、悪党どもの悪事がおおやけになっても、やっぱりナメクジの脳味噌の一般人どもは動かないよな、全然動く気配すらない、あの「よほど」より全然ちいさい「よほど」だものなwwwもう期待なんかせん方がよいwwwと、なんでこの追記を書くきっかけになったかというと下の方に懐かしいこのページへのリンクが出来ていたから。
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