具体・抽象・パクる・たとえ(まだ書いてる途中やけど公開)
お風呂に入ってて、タイトルに書いてるようなことを思いついたので、とりあえずだーーっと書き連ねただけの完全にチラシ裏で、しかも途中なんですが、めんどくさくなったので公開w
うまい抽象化とへたな抽象化
まずは〈具体〉と〈抽象〉って、2つのレイヤーで考えることにします。
10個の具体例を1つの抽象として表現できたら、10個覚えるべきところを1つの抽象だけ覚えれば良いってことになりますよね。この、具体例を抽象で表現しなおす作業が抽象化。これは単純に圧縮するってことではなくて、別の事象にまで転用できるってことが圧倒的に強い。言い換えれば、10個の具体から抽象化で1つの抽象を見出して、そこから11個めの具体例を生み出すことができる。これがうまい抽象化なんですね。でも、これがへたな抽象化だと別の具体例に転用できない。
例えば、5+8=13 , 5+7=12,とか繰り上がりのある足し算をたくさんみることで、「2つの数から10を作って、その残りを一の位にする」って計算法則を身に着けることは抽象化であって、それを使って別の9+6=15ができるようになる。これは、うまい抽象化なんですよね。
一方で、5+8=13とか5+7=12とかを見て、「5と何かを足すときは、答えの十の位が1で、一の位は5じゃない数から5を引いた数を書く」って計算規則を身に着けることも抽象化なんですが、これはへたな抽象化。これだと5が入っていない数の計算は出来ないことになってしまいますよね。例えば、9+6だと5が入っていないので計算ができない。この2つはどちらも正しい計算規則だし、抽象化なんですが、適用できる範囲に差があって、それがうまいへたを決めている。
たとえ話とパクり
こう考えたときに、たとえ話が上手な人ってのは、ある具体的な出来事をいったん抽象化して、別のことに具体化するのが上手いってことだと思うんですね。A1って具体的な出来事をαって抽象までレイヤーを引き上げて、A2やA3を生み出す。このプロセスには2つのポイントがあって、1つはさっき書いた抽象化が上手であること(つまり、きちんと他に転用できる形で範囲で抽象化するってことですね)。2つめは、具体化が上手であること。ちょっと面倒くさいので、具体化が上手であるってことはまた別の記事にでも。まあ、いずれにせよたとえ話ってのは具体→抽象→具体のプロセスだと思うわけです。
それに対して、パクるってのはA1って具体的な出来事を見て、そのまま自分もA1をしようとするけど、環境が全く同じなわけがないのでA1にすることはできなくて、場当たり的に上手くいかない部分を修正してA2を生み出す作業である。これは、抽象化して具体化してってプロセスではなく、具体から具体を生み出そうとする作業になる。
パクりはした方がよいの?
「単なるパクりは上手くいかない」って話を聞く一方で、「どんどんパクれ」って話も多く聞こえてくるんですが、この2つって別に逆のことを言ってるんじゃなくって、「単なるパクりをこなしていくことで、抽象化と具体化の精度が上がる」ってことだと思うんですよね。単純にパクる数を増やすことで「あれ?これって単に具体から具体への横移動より、いったん抽象化を経た方が良いんじゃね?」ってなって抽象化するようになり、具体事例の数が増えたら抽象化はどんどん良くなっていく。で、何度も抽象化と具体化を繰り返すことで、抽象化と具体化の作業自体の訓練になる。みたいな。
かわひーはここで力尽きました・・・疲れた(飽きた)・・・
(続きが気になる人がいたら頑張ります)
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