フォロワーの表すもの

本人の価値×広告力=フォロワー数
まあ、ものすごく価値のある情報を持っているのにフォロワーが少ないなあと思う人もいれば、別にそこまで大したことをしていないのに発信が上手でフォロワー数が多いなあと思う人もいるわけです。それ自体は別にどうとかってわけじゃないんですよ。
ただ、これと「信用経済がどうこうとか評価経済がどうこうだからフォロワー数を増やしてどうこう!」って話がかみ合わさってくるとあまり好きではない。
元々我々が生きていた世界(今も)は貨幣経済で、そこでは物の売り買いなどで貨幣が移動していたわけだけど、ここでは当然の話として
物の価値×広告力=お金
だったわけです。もちろん良いものを作っても人に知られなければ売れない。
だから、信用経済や評価経済ではフォロワー数が大切なんだよ!みたいなことを言い出してしまうと、いやいやそれって結局貨幣経済のお金をフォロワー数に変えただけでしょ?それって意味なくない?って思うわけです。まあせいぜい収入を得る方法が少しだけ増えただけの世界なんですよ。
なので、猫も杓子も発信をしろ!上手にしろ!それが次の世界を生き抜く力なんだ!みたいな言説には反対なんです。それを貨幣経済の一部として捉えて言ってるのならなんの問題もないんですけど、真面目な顔して次の世界の生き方なんだってのには違和感しかない。
「いやいや、貨幣経済における市場原理は有用やったからそれが評価経済でも同じなんだよ!」って言いたい気持ちもわかるんですが、僕はそう思ってなくて。良いものは売れた方が良いですよね?でも人に知られていないから売れない。広告は良くも悪くもここを左右してきたわけです。これはもちろん功罪あったでしょう。で、信用経済になって、その広告を個人でできるようになった。だから自分のチカラで生きていける!やったー!みたいなそんなショボい話ではないんですよ。
僕は次の世界は今の世界で言えば良いものがちゃんと売れる世界なんだと思います。もう少し丁寧に言うと、欲しい人のもとにちゃんと欲しいものが届く世界なんだと思います。というかそうなって欲しい(願望)。僕のポジションはここにある。
今の世界の市場原理ってルールで新しい世界を捉えようとするのは無理で、まあとは言っても新しい世界のルールなんてわからないのでわからないですけどね。少なくともなんか違うなあと感じちゃうと。
ただ、そうは言っても新しい世界へ移行する際には一気に行けるわけじゃないので、その過渡期として今の世界のルールでゲームに参加していく必要があるので、その意味でフォロワー増やしたりするのは大事なんだろうなあとは思っています。そこは望んでいる未来ではないけど。
最近は過渡期だけに発生して、未来に至った時には消えてしまうサービスや考えってのにエモさを感じるようになりました。儚い。

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