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北野天満宮「曲水の宴」に出演したら魂が平安時代に飛ばされるタイムマシンだった話|社長の弘道館留学

平成30年(2018年)11月3日。北野天満宮にて、平安時代の菅原道真公を顕彰すべく平成27年に再興された「北野天満宮 曲水の宴」に演者のひとりとして出演させて頂きました。

(※1 写真 北野天満宮)

なぜ河原が選ばれるんだ?とか、何をやる会なの?とかいろいろと疑問があられると思うのですが(すでに多くの方にたくさん言われました笑)でも今日のnoteからは、その件はいったん置きます。

この週末に向けては本当にいろんなことが重なっていたので「極限の週末」と名付けInstagramでその模様をできるだけリアルタイムにお伝えしていました。自分でもどうなるかわからなくなるという予感はあったので、あとで振り返るためにも合間に更新することを自分に課しました。

そして迎えた曲水の宴当日。ふつうはもちろん、これだけに備えるところですが。午前中は、翌日に控えたTEDxKyoto 2018 @ 京都国際会館 の搬入作業でした。TEDxKyotoはコアメンバーとして2012年から関わっており、今年も少なからずいろいろ関わっていたので抜けるわけにはいきません。朝8時に上鳥羽で2tトラックを借り、四条烏丸のアーキテクトタイタンのオフィスに集めていた資材を積み込み、そして国際会館に運び込むというミッション。お昼頃まで設営し、そこからは、アーキテクトチームリーダー 中川晴夫(TEDxKyotoチームパートナーとしてのアーキテクトタイタン共同主宰)と、ボランティアの皆さんに託し、タクシーに乗って北野天満宮さんへ向かいました。

朝は完全にヤマトか佐川のお兄さんの気分で運送屋さん、ちょっとだけ設営の裏方で動きつつ。ここから完全に表方の演者になるというのは大きなギャップ。しかし、実はわたし、いろんなところで表と裏は同時並行の現場というのは仕事の中でけっこう多いので、ギリギリなんとかなるとは思っていました(とはいえまさに極限ではありましたが)

しかししかし、素晴らしい装束を完璧に着させて頂き、お客様が何百人もいらっしゃり、その前で漢詩を書く。所作も見られている。一緒に出てくださる男性メンバーはみんな舞台慣れしている。アトリエシムラ代表の志村昌司さん能楽森田流笛方の杉信太郎さん老松取締役の太田侑馬さんは祇園祭のお稚児かつ太田達さんの茶会サポートで様々な役を演じてきた舞台慣れしている。その上、女性メンバーは同志社大学副学長の植木朝子先生と、本気の芸能人である乃木坂46の秋元真夏さん、川後陽菜さん、樋口日奈さん。うーん、どう考えても舞台歴に差がありすぎる。。。このプレッシャーは半端有りませんでした。

(※2 写真 濱崎加奈子)

2週間前くらいから2日前くらいまではほんとに気持ち的にも重荷。
TEDxKyotoも重なってるし…。(※ note 「曲水の宴」 筆の練習 ヤバイヨ シニソウ|社長の弘道館留学)ただ1日前はひたすら書の練習。当日は、運送屋さん、現場設営からの転身ですから予想通りカオスで、もう腹を決めた気持ちで迎えることはできました。

当日は2回公演。1回目は北野天満宮の大社講祭参列者含む多くの関係者の皆様、2回目は一般の部でおそらく乃木坂46のファンの方々が非常に多かったのではと思います。

(※3 写真 宮下直樹)

1回目は北野天満宮さんに対して日々貢献をされている方々ですし、服装もみなさん正装。あきらかに下手なことが許される状況ではありません。たくさんの方の顔はみつつ目線は合わせないように遠くを見据え、周囲の音に耳を澄まし、緊張で気が遠くなりかけたり、足のしびれなどと戦いつつ。。。曲水の小川を流れてくる船の上の杯を取り上げ御神酒を頂き、そして漢詩を色紙に書き上げました。必死ですしスピードも求められるのですが、あくまで所作はゆっくり優雅に(なんせ平安時代の公家なわけですから)教えて頂いた所作をできたところもできないところもありつつ。1枚目を書き上げたときは心からほっと致しました。

(※3 写真 宮下直樹)

書き上げたあとは、先生方が、自分の漢詩も含めて、他の方々の漢詩や和歌を朗詠いただき、解説も頂く時間です。気持ちも少し解放されていますし、みなさんの詩歌はこのときはじめてちゃんと聞くので、楽しい時間でありました。

(※3 写真 宮下直樹)

そして会場から退席。緊張して逃げ出したい気分ではありますが(笑)あくまで優雅に穏やかに、そして真剣にを心がけ着実に一歩ずつ歩く。そして本殿に詩歌を捧げる礼を、みんなで揃えて。

(※3 写真 宮下直樹)

ほんの少しの休憩をはさんで2回目。今度は乃木坂46のファンの方が一杯です。着席位置から、私から見える限りのたくさんの方々が、私の横にいる川後さんに見とれ、そしてほほえみかけたり、手を振ったりされていました。

なので、とにかく、私は目線は正面でも焦点を奥にずらし目線が合わないように合わないようにと必死でした。だって、当たり前だけどお客さんがほほえみかけている相手は私じゃなくて隣の川後さんにだし(笑)お客さんとの距離が本当に近いので、おそらく川後さんもほほえみを返したりされていたと思うのですが、役柄上、横の川後さんの反応をみるわけにもいかず、というか、アイドルが横30cmの距離に座っているのに全く横を見ることも許されず(笑)またさらに万が一、私がほほえみ返したら「おまえじゃないよ」という痛い視線を浴びることは容易に想定でき(笑)実は3列目あたりには私の知り合いも居て、心配そうに見てくれていたそうなのですが、私が皆さんを見つける余裕など、ただひとつもありません(汗)

(※1 写真 北野天満宮 北野文化研究所)

(※3 写真 宮下直樹)

ひょっとして2回目は乃木坂46さんのコンサートのような盛り上がりになるのでは?なんて思ってたのですが、結果的にはそうはならず。白拍子による朗詠や生の雅楽演奏、そしてもちろん場の力、本気の装束、そして菅原道真公の思いによって、空気全体がしっかり引き締まっていました。厳かな中にも、華やかさや童子たちのかわいい動きに和んだりと、本当にバランスのとれた良い宴だったと思います。

(※3 写真 宮下直樹)

終了したあと、会場に戻り、関係者で場を振り返る時間を頂けたことも本当に貴重な時間でした。みな装束を来たままで現代と平安時代の間を行き来する感覚。その後の直会(なおらい)でみなさんと食事をして、現代にこの宴を復活させた意義を確認し合い、交流し合い、そんな楽しい時間も含めて、私の魂は、どこかふわふわしていました。

(※3 写真 宮下直樹)濱崎加奈子さん、今様白拍子研究所のみなさんと

(※1 写真 濱崎加奈子)一番歌人 植木朝子先生と白拍子のみなさんと

(※3 写真 宮下直樹)この写真のコンセプトは乃木坂46のライブを独り占めする公家w

(太田侑馬さん 杉信太郎さん、志村昌司さん、濱崎加奈子さんと。最後の写真はめっちゃ良い写真をたくさん撮ってくれた宮下直樹さんをリハのときに激写)

わたしのふわふわした心。最初は舞台のあとの、高揚感でふわふわしてるのだと思っていました。しかし私のFacebook / Instagramでコメントしてくれる方々からの「明日のTEDxKyoto、ちゃんと現代に戻ってくるんやで」というコメントを見て。あ、これは「魂が平安時代に飛ばされた」のだということを気付かされました。「身体と精神がバラバラになった」いや、ちょっとSF的に言うと「時間の次元を超え、多次元に同時に存在している」状況だった、いやこの日からまだ2週間、いまもそんな感じかもしれません。

冗談めかして、翌日のTEDxKyotoで「現代に無事に帰ってきたよ」と言っていたのですが、実はあまり帰れてなかったんです。TEDxKyotoはむしろ現代の中でも未来寄りのプロジェクト。現代ですら行き過ぎないといけないのに。。。結果的に一応、現代のわたしが現場でいつも以上に落ち着いて仕事をさせてもらってました。それも心が時代を超えていたからかもしれません(まぁまぁ本気でいってますよw)

改めまして、私が詠んだ漢詩を改めて報告させて頂きます。北野天満宮さんから頂いた献題は「紅葉」でした。この内容が、私を平安時代に飛ばしたのかも…。

紅葉

楓 葉 不 知 何 処 来

無 端 飛 入 掌 中 杯

可 憐 非 是 偶 然 事

宛 若 菅 公 筑 紫 梅

<読みくだし文>
楓葉(ふうよう) 何処(いずく)より来たるかを知らず
端(はし)無くも飛びて入(い)る 掌中の杯
憐れむべし 是れ偶然の事に非ず
宛(あたか)も菅公が筑紫の梅の若(ごと)し

<意味>
カエデの葉はどこから来たのかわからないが、
思いがけなく手に持っている杯の中に飛んで入った。
なんと風雅なことだろう、これは偶然ではないのだ。
さながら道真公の筑紫の配所から来た飛梅のようではないか。

紅葉、そして宴ということを踏まえた上で、自分の心情を入れるということを考えて作りました。原案を考えたあと、さらに良くするアイデアや、最後の漢詩(七言絶句)にする過程で、特に先生のお力をお借りしています。

偶然というものは無い。それは必然的に起こったことである。たまたま自分や回りの選択の重なり合いが複雑な関係性を作り、その結果、偶然のような必然が生まれる。選択には意思が存在し、人を含む全ての生命の思いがその瞬間を作り上げる。

というのが気持ちとして込めたかったものです。これは自分自身の思いでもありますが、映画「マトリクス(Matrix)」や「君の膵臓を食べたい」では、台詞の一節として、比較的はっきりとこういう言葉が述べられており、それが私の心の奥と結びついているので、自分の中のひとつの生きる道となっている思いです。

最終的には、手のひらの杯にはらりと落ちてきた紅葉の葉。それがあたかも北野天満宮の御祭神である「菅原道真公(菅公)」が筑紫に流された先から梅が飛んできたようだ。つまり菅公の気持ちが(時空を超えて)ここに飛んできたかのようだ。という詩に仕上がりました。

この歌を、御神前で書かせて頂いたということで、おそらく私の心が平安時代と繋がってしまったのでしょう(いやマジでw)ドラクエで、なにか、マズイ場所で、マズイ格好で、マズイ呪文を唱えてしまったというか、なんというか(笑)

ポケモンGOのベースになっている「Ingress(イングレス)」というスマホゲームのことは、ちょっとマニアックな人しか知らないかもしれないですが。Ingressで「ポータル(直訳・玄関 / 出入口)」と呼ばれる過去から大切にされてきた場所からは、生命の何かに影響する不思議なエネルギーが沸き上がっているという設定がされています。その沸き上がるポイントには不思議な力があったから、そこに神社や教会、石碑、噴水などが建ち、人々に大切にされてきた、という設定なのです。そしてそのポータル同士は裏(別次元)で繋がっていると。

パワースポットという言葉が流行っていますが、ブームだとあながちバカにはできないと思います。しかるべき場所で、本気で向き合ったとき、現代の常識でいえば「何か変なもの」に触れることができるのかもしれません。

パワースポット ≒ Ingressのポータルとしてもよいのですが、さらにポケモンGOのポケストップは、Ingressのポータル位置をベースにしているのです。それ故、史跡名勝の多い京都は、必然的に「京都はIngressポータル・ポケストップがめちゃくちゃ多い」ということになり、ゲームのしがいがある場所とよく話題になっていました。わざわざゲームを通して話すのが回りくどいかもしれませんが、それだけ「京都には過去と今を結びつけるポータル」がめちゃくちゃ多く存在しているということになるのです。そしてそれは、京都で祭や伝統などに接している人は、強く実感できるかもしれない。もしくは逆に当たり前すぎて何も感じていないかもしれない。ものなのだと思います。

私の「社長の弘道館留学」は、そんな「時空を超えた留学」というコンセプトなのです。それが、北野天満宮の曲水の宴に出させて頂いたことで、自分の実感として、早々にはっきりと「時空を超えて」しまいました。

北野天満宮の「曲水の宴」はタイムマシンである。
そして京都には、タイムマシンが数知れず存在する。

底知れぬ恐ろしい街だと思います。
タイムマシンへの新たな搭乗者を、京都は常に待っているのだと思います。そして世界の価値観を変えて(戻した上で進化して)いきましょう。

※1 写真出典 北野天満宮 北野文化研究所
※2写真出典 濱崎加奈子(曲水の宴プロデューサー / 公益財団法人有斐斎弘道館館長)
※3写真出典 宮下直樹(Terminal81Film)



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