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起業した底辺プログラマーの履歴書

まだ私がどんな人間か、お伝えしていません。今後の投稿を楽しんでもらうためにも、基本的な情報として私のこれまでの歩みを簡単にまとめようと思います。

1. 誕生 ~ 高校まで:将来は学校の先生になろうかな

平成というと、もう昔の元号として扱われることも多くなりましたが、そんな時代に私は九州は佐賀の田舎で農家の長男坊として生まれました。
農家と言っても父と母は地方の公務員のいわゆる兼業農家で、家にはそれに加えて、じいちゃん、ばあちゃん、妹、弟という構成です。

今でこそ地に足付かない「脱サラして0から起業する」というような愚行を犯した私ですが、子どものころなどは極めてまじめで融通の利かない子供でした。親戚などの話によると、折り紙とあやとりに熱中し、親から「ちょっと弟(の面倒)を見てて」と言われると、正座してじっと弟を凝視してしまうような、とにかく思考の凝り固まった子だったようです。

小学校では特に勉強はしないものの学校の成績は悪くなく、クラスの半分がやっているからと少年野球を始めます。
中学でも小学校の延長で野球をしつつ、勉強も同じような感じ、例に漏れず陰キャ男子なので女の子との淡い青春なんてものは無く…と、まあほんと、どこにでもいるような男子中学生でしたね。いわゆるオタクでした。主にはアニメの。
さて高校生になると心機一転っ、ガラッと人間が変えて「高校デビュー」…なんてことは無く、部活とゲームと友達とのくだらないお喋り(当然男子ばかり)とで、まあなんというか、終始もっさりした生活でした。

将来どんなことがやりたいとか、どんな仕事に就きたいとか、そういうのはが無い、「なんとなくこれまで接してきた大人というのは学校の先生だから自分も学校の先生になるかー」というテンションで、進路希望票には「学校の先生」と書いて提出したと思います。
加えて、これまたなんとなく化学好きかなあというのから、自分の行けそうなレベルで、学科は化学系のところで…ということで地元の大学の化学科に進学をすることになります。
そしていよいよ大学生になって劇的に人生が変化!…もやっぱりしないです。

2. 大学~大学院:プログラミングとの消極的な出会い

とにかく私の学生時代は主体性のなさや消去法による意思決定が目立ちます。
普通大学生になると、サークルに入って軽くみんなとワイワイしながら、バイトして、ちょっと貯まったお金で遊んで、というのが一般的だと思います。
小学校からやっていた野球は、じゃあその流れに乗るとすればサークルとしてエンジョイするなり、足を洗ってテニサーなり旅行サーなりでノリで生きていくのが普通の大学生だと思いますが、
何を考えたか、いや何も考えてなかった結果、「なんか高校までやってたら大学でもやるのかな」と、これまたなんとなくで部活として続けることになります。
部活と言っても公立大なので、私立のスポーツ枠のある学校みたいにガチではないです。なんとなく入ってなんとなく練習をしてるような私でも特段困った状況になったりすることはないです。なんとなく一生懸命やってればそれなりに楽しく過ごせる感じです。
そして引き続きオタクです。

勉強のほうはと言うと、理系の学部によくある4年生になったら研究室に所属して、人によっては大学院まで行って…というルートです。これもおよそ何となく選んだ道を辿ります。
大学院に行かず学部卒で就職するのは結構レアで、割と意思を持ってそうしない限りは大学院まで行って修士の2年をプラスするのがほとんどでした。
強いて言うなら、「人生一回ぐらいは東京に出てみたい」という田舎もん特有の思考によって、大学院は別の大学に行ったのは、ちょっと珍しかったと思います。

学部4年生のときは実験系をやっていたので、パソコンスキルは人並みか、もしくは人より低かったと思います。今も低いと言わればその通りですが。
「パワポの小技100選」みたいな本をわざわざ買って、それを見た研究室の優しい先輩が「それ…読んでパソコン上手になるといいね」と、何か察したような諦めたような言葉を掛けてくれた記憶があります。
今思い返せば内心は「(ああ、そんなの買っても読まないだろうし、ひとまず使ってるうちに慣れていくだろうになあ。まあでもせっかく頑張りますって感じで本買ったみたいだから水を差さずにいてあげるか。)」と思ってくれていたんだというのが容易に想像でき、ちょっと恥ずかしいです。

プログラミングと出会うのは大学院の時です。細かいことを言うと、学部のときの講義で触ることはありましたが、まあ身に付いてはいません。
で、大学院生として新しい研究室に所属すると、研究テーマも変わるのですが、ここで選んだのがシミュレーション研究です。「コンピューター上で仮想的に原子を配置して、いろいろ条件を変えるとこういう動きをしたよ!実際の物質もこうするといいかもね!」というようなことをやります。当然ゴリゴリにプログラム書きます。
実験系とシミュレーション系から選べたんですが、なぜシミュレーションのほうを選んだかというと、「学部時代に実験系でパッとせずちょっとイヤだったから」という「逃げ」の選択の産物です。
そうして、人並み以下のコンピュータースキルしか持たない私がコンピューターシミュレーションのためにプログラミングをやることになりました。

3. 就職~退職:2周も3周も遅れて始まるプログラマー人生

大学院時代に研究活動の道具として初めてちゃんとプログラミングを学びました。
年取ってから別の業界から転職してきたおじさんが若い人に仕事のやり方を習うみたいな感じで、
途中から入ってきて何も知らない私に一からプログラムの書き方を教えてくれた当時の指導教員の方や研究室の先輩には頭が上がりません
この時はこの時で色々やらかしている私ですが、その話はまたいつか出来たらと思い、今回は割愛します。
さて、そんなこんなで周りのおかげでなんとか大学院を卒業できた私は、東京にあるからという理由だけで、とある商社に就職します。もう少し東京に居たかったんですね。
商社と言っても4大だか5大だかのバリバリキラキラのイメージの総合商社とは違って、専門的な機械を扱っていて理系の人ばかり採用しているという、ちょっと変わった会社ではありました。


新卒で入ったこの会社で、私は7年間働くことになります。営業5年と裏方1年で、研修と育休で半年ずつで7年という感じです。最後は、娘が生まれて取得した半年間の育休の途中で、「会社を立てて自分でやってみたいので退職したい」と、ワガママを言って退職させてもらいました。
そしてそして、プログラマーを自称する私ですがこの7年間はほとんどプログラムを書いていません。営業のときは言わずもがな、裏方になってもせいぜいVBAで数字の処理を自動化するのに少し使うぐらいで、仕事でコードを書くことはほとんどなかったです。
強いて言えば、仕事が終わってから帰宅後に「学校のテストの採点が楽になるようなものを作ってみよう」と、UWSCというこれまた自動化に使うようなツールでコードを書いて、ソフトウェア製品っぽいものを作ろうとしていた時期はありました。具体的なお客さんもいないのに、です。

4.起業後の生活:やるしかねえなあ

会社を退職してから、現在は2か月ほどです。まあ実際は、最後の半年ぐらいは育休だったので、実質8か月ほどと言えるかもしれません。退職の申し出と同時に会社を立てる準備や手続きも並行したので、期間は被っています。
プログラマーとしてロクな実務経験もなければ、商社で働いていた人間がなんの関係もない教育業界という別の分野で起業した形になります。
コネなし、ツテなし、経験なし!
失敗する理由が見事に3拍子揃った状態で、32のオジサンが0からやっていくぞ!というワケで、常識的に見て「無理でしょ…」感がすごいですが、まあ…頑張っていこうと思います。
現在は、部屋にこもってパソコンに向かいせっせとプロダクトを開発している状況です。プロダクトを開発…カッコつけました。なんか頑張ってます。

背水の陣で日々取り組んでおりますので、よければ応援してください。
YoutubeやX(Twitter)でもっと細かい日々の進捗など発信しているのでフォローして見ていただくのでもいいし、
こういったnoteやクラウドファンディングなどのもう少し直接的なお金の援助のお願いも今後予定しているのでそちらに協力いただくのでも、
プロダクトがリリースできた暁にはユーザーとして利用してもらうでも、
ひとまずリツイートなどの拡散だけしてもらうのでも
いろいろと関わり方があると思いますので、お好きなものでお願いできればと思います。
後には引けない現在の状況、使えるものは何でも使う、やれることは何でもやるの精神でやっていくので、支援してもらえるなら同情でも憐みでも、何でもOKです!
まだ1歳にも満たない娘を抱っこひもでお腹に抱えながらこの文章を書いています。
ぜひよろしくお願いします!

カワハラ

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