カミングアウト圧について
人が何か、あまり公にしたくない属性なり秘密なりをもっているとするじゃないですか。
そういうのをあえて公にするのがいわゆるカミングアウトってやつで、これはもちろんリスクもあるし、その分注目もされる。
同じ問題を抱えている人達にとっては心強いことだし、とても意義のあることだと思う。
だから、それをやった人はえらいという風に見られる。
というか、実際えらいと思う。
でも、そうなると逆にカミングアウトしないのはえらくない、という暗黙の圧力がそこはかとなく漂ってくる。
いや、そう明言はされないし、そうしないとだめだとも言われない。
でもカミングアウトがえらいとなると、相対的にはそういう雰囲気になるじゃないですか。
これって結構微妙だなあと思うわけです。
だから、カミングアウトしない権利がある、と再確認することはとても大切だ。
でも、そう言っただけでは解決にならない。
相対的にせよ、えらくないというイメージがまとわりつく、そのことが問題なのだから。
うん、あなたにはカミングアウトしない権利がある。(でも、カミングアウトする人の方がえらいけど)
この( )の中の声がほんとにタチ悪いわけですよ。
そうやって、見えない圧力が生じる。
結果、しなくてもいいカミングアウトをして後悔する人だっていると思う。
こういうのって何なんだろうね。単に権利を保障するだけでは割り切れない何か。
何かがえらいとなると、どうしてもそういう空気になりやすい。
見えにくい問題だけど、人が幸せになる上ではこういうことこそが重要なのだ。
人の心って難しいとつくづく思う。。。
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