ほんとは大人も答えを知らない
世の中にはさまざまな不公平や矛盾があるものです。
多くの若者はそうした理不尽や矛盾に直面し、悩み苦しみます。
中には命を絶つ人も。
人生半ばを過ぎた人は言います。
そんなに死に急がなくてもいいのにねえ。この年になればわかるんだから、と。
幸いにも私は今日の日まで生き延びてきましたが、矛盾に悩むことは幾度となくありました。
御多分にもれずというべきか、そのうちわかるよ、と言う人たちはいました。
当時の彼らより年長になった今、私ならこう言います。
まあまあ。わかってもいないくせに分かったふりをするのはよくないよ、と。
大人もまた、若いころに悩んだ問題の答えをもっているわけではありません。
(万人が納得する答えをもっている人がもし居るのなら、公開してほしいものです)
そのうちわかるよと言っている人は、単に目に前の関心事が変わっただけなのだと思います。
のど元過ぎれば熱さ忘れる、というやつです。
いや、もうあのような悩みからは卒業したのだ、と言う人も居るかもしれません。
しかしそれは錯覚です。
一例として、成田闘争を考えてみましょう。
国の政策により不当にも、それまで暮らしていた土地からの移転を求められた人たちが激しく抵抗した事例です。
彼らの多くはそれこそ「そのうちわかるよ」と言っていたような年代の人たちです。
その彼らもそうした問題に直面すれば若者と同じように「ものわかりがわるく」なるのです。
のど元を過ぎて熱さを忘れる期間が長くなると心は落ち着き、人はしばしば何かを悟ったかのような気分になります。
しかし依然として私たちは答えなどもっていないのです。
そのうちわかるよ、と言うとき、それは先の方に何かを悟った地点があり、あなたはまだそこに達していないから悩んでいるのだ、という風な響きが伴うものです。
しかしそれは虚妄であり、そのように言う人もまた「わかっていない」ことに変わりはありません。
とは言っても、悩み多き若者を前にするとどう声をかけたものか、当惑することはあると思います。
そうした当惑を振り払うためにとりあえず出てくるのが「そのうちわかるよ」という言葉なのかもしれません。
でもそれでは虚妄を見透かされてしまいます。
それならば何も言わない方がいい。
実は私もわからないんだ。だから、これからそういったことを一緒に考えていければいいね。
私たちは率直にそう言うほかないのだと思います。
大人もまた、答えを知らないのだから。
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