明治政府はMMTをすでに証明している

備忘として書いたMMTのメモ2で例に挙げた明治政府の話、大体のMMTの理論の説明に使えそうだったので書いてみる

1.経緯 明治政府の貨幣統一対応について

明治政府設立後、通貨を政府が発行するものに置き換えるため、交換対応を行った。その際、税で集めたわけでもないのにすでにお金を用意して、なおかつインフレ率が影響しない貨幣発行を行っていることに気が付いたため、説明していく。

2.インフレ率を考慮できる範囲で国債発行(貨幣発行)を無制限に行えている

もともと江戸時代では藩ごとに差異がある貨幣が流通しており、これを統一するため、明治政府発行の紙幣に交換する、という対応を行った。国債という概念がまだなかったが、国債発行=貨幣発行という意味では同じなので同じものとして説明する。

最低でも国の全てのお金と同じだけは貨幣発行できる

ここで、交換の総額を考えてもらいたいのだが、統一が目標ということは、既存のお金の価値がなくなるため、基本的には総取り換えになる。(もちろん、記念に持つ人など抜けもあるが)

つまり、日本という国に存在するすべてのお金とほぼ同じ金額を交換のために発行している、ということになる。もちろん、一括とはいかないだろうが、交換ということは、前もって少なくとも3~4割は発行してから対応しており、数年で総取り換えができているものと思われる。

何が問題かって、要は交換という形式のため、税でいったんすべてのお金を回収してからの引き渡しというわけではなく、必ず交換のために前もってお金が用意してある、という点だ。税で集める前からお金を用意、それも国の全額(発行スピードで多少ラグはあるだろうが)も先に発行できている。

インフレ率に影響がない貨幣発行だった

交換での対応なので、交換で回収した古いお金は流通しなくなる。捨てたのか保存してるのかは知らないが、無価値になったため国のお金が増えたわけではない。そのため、この時の貨幣発行でインフレにはなっていない。

一応データでも示すと、お金の価値の推移をみると

・明治時代の1円 : 現代の2万円

・大正時代の1円 : 現代の4000円

となり、単純計算でせいぜい5倍のインフレとなっている。

明治時代は40年くらい続いていたが、明治は1年あたり平均12.5%、3年でも37%のインフレ率となる。ハイパーインフレの定義が3年で100%以上のインフレ(Wikipedia調べ)である以上、明治時代はハイパーインフレなど起こっていない。

当然、交換なのでお金が増えたわけではないので実体経済も発行額に見合うだけの影響は発生していないためである。(当然統一の影響で楽にはなるだろうし、単に発展途上のためインフレは発生している)

このように、インフレ率に影響がない国債発行であれば無制限に行えている、という歴史的な証拠と言える。国にある全額となると、貨幣価値が違うとは言え当時でも膨大な金額と言えるが、インフレ率が向上する要因ではなかった。(民間のお金の総額が増えたわけではないので)

3.支払いが先となっている

交換なので同時に見えるが、税で回収する前に予算を準備できている点が重要。

一般認識としては、税で集めたお金を予算として政策を行う、という流れであるが、明治時代の貨幣の統一交換時、税で回収する前からお金を発行している。

もちろん、引き換えのお金を受け取っているものの、統一後に使われなくなるお金であり、これを政府が使用して政策を実行することはできない。そのため、どう見ても政府は貨幣発行の負担を国民から回収している様子はない。

短いが、話が単純なのでまとめると、どっからどう見ても税が先には来ていない。なぜ現在ひっくり返っているのかはわからないが、昔は先に支払いがあったし、現在でも国債発行してしまえば、税で集める前から予算を執行できる以上、話は変わらない。

税金は、予算ではなく、政策の後に残った影響を調整するためにとっているだけで、本来最低限でなんの影響もない。


4.まとめ

MMTの大原則となる、

・スペンディングファースト(支払いが先、税が後)

・国債発行はインフレ率を考慮しない範囲で無制限発行可能

の2点に関しては、貨幣の統一段階で既に証明している。

当時は国債という概念がまだなかったため、単に政府が純粋な貨幣発行で対応していた。逆に言えば、国債発行という概念を作ったことでどこかおかしくなったのかもしれない。

単なる貨幣発行額の管理方法として存在するはずが、負債という形式で管理しているため、借金というマイナスイメージが植え付けられ、ゆがんでしまっているように思う。

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