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凡夫から須陀洹へ:離に喜楽を生じ初禅具足し須陀洹の境界に住する
これまで3回にわたり仏陀・阿羅漢に至る最初の段階、須陀洹について見てまいりました。この須陀洹の定義には下記の三種がありました。
① 身見、疑惑、戒取の三結を断じる
② 仏、法、僧への信、聖戒成就である「四不壊浄(四不壊信)」の成就
③ 欲悪不善の法を離れ、離に喜楽を生じ初禅(須陀洹の境界に住する)に入る
今回は、三番目の雑阿含経『聖弟子経』「須陀洹になると、初禅に入る」ことができることへの理解を深めて参りましょう。
「彼の聖弟子は、中間に憂苦を起こすと雖も、彼の聖弟子は、欲悪不善の法を離れ、有覚有観、離に喜楽を生じ、初禅具足して住することを聴(ゆる)されん」
このお経の「彼の聖弟子」が須陀洹ことです。具体的には、表面意識を観察し、上がってきた悪い心癖に気づくことができ、これを離れることが出来るのが須陀洹となります。さらに、良い心、例えば慈しみの心等を思い起こすことが出来ると、表面意識に「喜楽」を生じるというのです。
ここでいう「喜楽」とはどのようなものなのでしょうか。下記、震災における心温まる体験談に触れて頂きましょう。
震災の時のいい話 43選 – 心が温まる話 体験談まとめ | ほっこりストーリーズ (kaidanstorys.com)
いかがでしたでしょうか。心がほっこりとし、周囲のお幸せを願う人々の、温かく慈しみに満ちたお気持ちが伝わって参りましたでしょうか。「離に喜楽を生じる」ということは、この体験で生じた喜びと同種の体験ではないかと思われます。周囲の方々のお幸せを願う、利他の心そのものです。これらの心を思い起こして、表面意識の欲と悪不善の心から離れるのが、須陀洹での修行ととらえればイメージし易くなりませんでしょうか。
欲悪不善の法とは、欲(欲界の動物の行動原理、無明、身見)とそこから生じる悪不善の心(欲念、恚念、害念)のことで、これらの悪い心癖を離れることができると、喜楽を生じるのです。表面意識に生じた欲念、恚念、害念を離れ、慈しみの心、周囲のお幸せを願う利他の心に切り替えることができると、脳と心は喜びを感じるようになります。
ちなみに、欲念、恚念、害念とは、下記のような心の表出を言います。詳細は、リンクをご参照ください。
①欲念とは「自分は偉い」「自分は正しい」と主張する心癖
②瞋(いかり)によって欲念を成就しようとする。また、恨みの心となり人の不幸を求める
③不満を言い、人を責め、人を傷つけ、嫉妬し、慢心し、威張り、自分は正しいと主張し、自分を偉く見せようとし、人を馬鹿にする
須陀洹の段階の再確認です。表面意識に上がってきた欲念、恚念、害念に
有覚:覚有り(覚り、気づき)、それを
有観:観有り(観察します)
その結果、表面意識で動く、欲と悪不善の心に気づき、この悪い心癖を離れることが可能となります。善い心に切り替えることができると(択法)、自然に喜び(喜楽)を表面意識で感じるというのです。少なくともそれ以上に悪不善の心が増幅されることは無いでしょう。
なお、初禅に入っている時間は、長いほうが良いのですが、当初はごく短い時間で、出たり(出息)入ったり(入息)するようです。これは、第二禅の斯陀含、第三禅の阿那含、第四禅の阿羅漢・仏陀についても同様となります。
下記は、四念処法、七覚支法と四禅についての、分かりやすい阿山恭久師の解説です。重なっている部分もありますが、阿含経における四禅の理解を深めて頂きたいと思います。
四念処観と七覚支による解脱システム 四禅についてより
中阿含経 説経に説かれた四禅についてのテキストを読み解いておきましょう。四禅の心は喜覚支、軽安覚支、定覚支に相当します。四禅によって七覚支の成就を知り、聖者に到達したことを知ることが出来ます。四禅は瞑想法ではありません。静かに観察すると心の状態が見えてくるのです。
喜 初禅(喜覚支)
欲を離れ悪不善の法を離れ、覚有り観有り、離より生ずる喜と楽と有り。
動物の欲の執着「欲念」すなわち「我(が)」を離れ、悪い心癖「恚念・害念」から離れて、 覚有り観有り、「欲念・ 恚念・害念」から離れた「離」から生じる喜と楽によって心が満たされています。
(離れて) 「離れて」というのは寂滅したのではなく離れて生じなくなっているのです。
(覚有り観有り) 愛(タンハー)によって表面意識に喜憂を生じる五蘊が動くとすぐに気がつき、この動きを観察します。
止 二禅(軽安覚支)
覚観巳に息み、内靖一心にして覚無く観無く、定より生ずる喜と楽と有り。
「覚観巳に息み」、すなわち、愛(タンハー)によって表面意識に喜憂を生じる五蘊が動くことは已(すで)になくなっています。
心は清らかで寂静に満たされていて、愛(タンハー)から離れており、表面意識に喜憂の五蘊が動くのを感じることもなく、観察することもありません。
寂静の心「定」から生じる喜と楽によって心が満たされています。
楽 三禅(定覚支)
喜と欲を離れ、捨無求にして遊び、正念正智にして而も身に楽を覚ゆ、謂く聖者の説く所、聖者の捨す所の、念、楽住、空あり。
愛(タンハー)の成就によって生じる喜と、成就を求める欲を離れ、愛(タンハー)を捨離していて、愛(タンハー)による楽(ねが)いや求めるものがなく、自在に過ごしています。心の奥深くまで心を向け寂滅を知ろうと「正念正智」を為しているにもかかわらず、身には楽を覚えています。
いわゆる聖者が説く所、聖者が捨する所である、愛(タンハー)の寂滅と掉慢無明の捨離を念じていて、聖者の楽住と空が生じています。
定 四禅(定覚支)
楽滅し苦滅し喜憂は本巳に滅し、不苦不楽にして捨あり念有り清浄にして住す。
思いが成就しなかった苦の記憶と、思いが成就した楽の記憶が動くのを滅盡します。思いの成就・不成就にともなう喜憂の記憶は当初にすでに滅しています。
三界の行(ぎょう)の、全ての記憶の動きは不苦不楽になり、「我」に執着する掉慢無明の捨離に心を向けて、清浄に住しています。
釈尊の説かれる四禅とアビダルマ・部派仏教以降の四禅の違いがお分かりいただけましたでしょうか。
下記、禅定に向かう方法と、各禅定に入った後の修行について纏めてみました。
① 欲界(須陀洹):初禅に入ることができる
欲念、恚念、害念から離れ、須陀洹の「離に喜楽を生じる」境涯に入ることができる。その結果、三事和合により生じた「苦、楽、不苦不楽」受を表面意識で観察でき、斯陀含の修行に入ることが可能となる。
② 色界(斯陀含):第二禅に入ることができる
タンハー(渇愛)より生じた「苦、楽、不苦不楽」受から生じる表面意識に上がってきた五受陰(五蘊)を観察し、離れることが可能となる。表面意識の「苦、楽、不苦不楽」受からの反応がなくなると、その原因である無意識の「憂苦・悔恨・埋没・障礙」が観察でき阿那含の修行に入ることが可能となります。
③ 無色界(阿那含):第三禅に入ることができる
表面意識に上がってくる「憂苦・悔恨・埋没・障礙」の原因である無意識下のタンハー(渇愛)の動きを観察、離れ、その滅尽に向い、我慢・掉漫無明を観察し、離れる阿羅漢の修行に向かいます。
④ 滅界(阿羅漢・仏陀):第四禅に入ることができる
無意識でタンハー(渇愛)が動かなくなると、掉漫無明(我慢)が観察されます。この滅尽のための修行に入ります。同時に欲の有漏、有の有漏、無明の有漏の三つの有漏を寂滅させる、解脱知見の修行となります。
以下、ご参考までに雑阿含経『聖弟子経』全文を掲載いたします。
国訳一切経 阿含部 雑阿含経11964『聖弟子経』
是の如く我れ聞きぬ。一時、佛、波羅捺國の仙人住處鹿野苑の中 に住まわりたまへり。爾の時世尊、諸の比丘に告げたまわく
『譬えば日出でて空中を周行するに、諸の闇冥を壊りて光明顕照するが如く、是の如く聖弟子は、所有る集の法を、一切減し已り、諸の塵垢を離れ、法眼生ずるを得て、無間等を俱ひ、三結断ず。
所謂身見・戒取・疑なり。此の三結盡くれば、須陀洹と名づく。悪趣の法に墮せず、必定して正覺し、七有の天人に趣き、往生して苦邊を作さん。
彼の聖弟子は、中間に憂苦を起こすと雖も、彼の聖弟子は、欲悪不善の法を離れ、有覚有観、離に喜楽を生じ、初禅具足して住することを聴(ゆる)されん。
彼の聖弟子は、一法として斷ぜざる有りて能く還つて此の世に生ぜしむる者を見ず。此れ則ち聖弟子は、法眼の大義を得たるなり。是の故に比丘、此の四聖諦に於て、未だ無間等ならずんば、當に勤め方便して增上欲を起し、精進して修學すべ』しと。佛此の經を說き已りたまひしに、諸の比丘、佛の說かせたまふ所を聞きて、歡喜し奉行しき。
毎月NOTEに原稿を上げたいと思っておりましたが、8月にPCがおかしくなり、加えてスマホも故障し、遅くなってしまいました。ようやくPCを調達し記事を上げることができました。
さて、須陀洹につき、4回に亘って記事を書いてまいりました。阿山恭久師の修行体験をWEBと『仏陀に学ぶ脳と心』シリーズで公開された修行法をベースに、川口祐繁のささやかな修行体験を加えて書かせて頂きました。
Wikipediaの須陀洹・預流の記述は概ねパーリ仏典や漢訳阿含経をもとに書かれておりますが、アビダルマ以降の仏教哲学の強い影響下で書かれているように見えます。
このため、須陀洹に向かう修行法が、わたくし達にとって、難解な専門用語でイメージしずらいと感じるのは、わたくしだけでしょうか。ぜひ、阿山恭久師の修行体験をベースに、イメージし易く、現代語に翻訳された阿含経解説に触れ、皆様方のご修行が進みますことを、心から祈念申し上げます。合掌
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