ほんものは謙虚【きまぐれエッセイ】
力というものは、単なる筋力や経済力だけではない。知恵や経験、あるいは感情の豊かさもまた力となる。例えば、村上春樹の小説の登場人物たちのように、普通に見える人々が心の奥底に秘めた力を持っていることがある。その力が発揮される時、それはまるでカフカの変身のように、驚きをもたらすのだ。
それゆえ、力あるものが謙虚であれば、その周りにいる者たちは安心感を覚える。まるで大木の下で休む小さな動物たちのように。大木が自らの影を誇らず、ただそこにあるだけで、周囲はその存在に感謝する。同じように、知恵や経験を持つ者がそれをひけらかさず、自然体でいることで、周りの人々はその恩恵を受けやすくなる。何も声高に主張しなくとも、その存在が周囲にとっての安定となるのだ。
一方、力のないものが力あるものに対して謙虚であることは、単にへりくだることではない。それは、自分の中にある小さな力を認め、それを大きな力と融合させるための方法である。たとえば、料理の世界で言えば、一流のシェフが新しいレシピを考える時、見習いの意見を聞くことがある。見習いの素直な意見が、新しい発想のきっかけになることがあるからだ。こうして、小さな力が大きな力と合わさり、新しい価値が生まれるのだ。
斯様にして、それぞれの目的が達せられるためには、互いの力を認め合い、尊重し合うことが重要だ。それが、全体の均衡を保ち、まるく納まる秘訣なのである。力ある者が謙虚であれば、その周囲は自然とその姿勢を見習い、和やかな関係が築かれる。そして、力のない者もその謙虚さを受け容れ、自らの役割を果たすことができるのだ。
だからこそ、目的を達成するためには、力あるものも力ないものも、お互いが謙虚な姿勢でいることが大切である。特に、力ある者が謙虚であるべきなのは、その姿勢が周囲に大きな影響を与えるからだ。まるで、大海の波が小さな舟を静かに揺らすように、力ある者の謙虚さは全体の調和をもたらすのである。
大国は下流なり。天下の交なり、天下の牝なり。
牝は常に静を以て牡に勝ち、静を以て下ることを為す。
故に大国、以て小国に下れば則ち小国を取り、小国、以て大国に下れば則ち大国を取る。
故に或いは下りて以て取り、或いは下くして而もとる。
大国は人を兼ね畜わんと欲するに過ぎず、小国は入りて人に事えんと欲するに過ぎず。
夫れ両者、各おの其の欲する所を得んとならば、大なる者、宜しく下ることを為すべし。
[老子:第六十一章謙徳]