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要は『要するに』が要してない真の文章の見本【きまぐれエッセイ】

世の中には実にいろんな人間がいて、あたしの知り合いにもかなり変わった性癖を持ったヤツがいる。いや、別に性的な意味ではなくて、言葉の使い方とかそういうハナシ。
たとえば、「要するに」という言葉を嫌ってやまない人間がいる。
「『要するに』が要してない」なんて文句をつけるのが趣味らしい。まあ、あたしもTwitter(X)でそんな意地悪なオトコに絡まれたことがある。
論理問題のお題に対する回答に、普段はあまり使わない「要するに」を使った。それがいけなかったのだろう、「『要するに』が要してない」と絡まれた。

多くの人がイラっとしているのがこの「要するに」や「要は」というフレーズ。簡潔にまとめるための言葉のはずが、「要するにと言う人ほど、要約されていないことが多い!」「このフレーズがくるとむしろ話が長くなる」という不満を感じている人が多いようです。

そういうわけで、この記事のように話が全く要約されてないのに、「要するに」を使ってしまう人もいるだろうが、適切な使い方にまでケチをつけるような人は、きっと上司かなにかがこの手のタイプで嫌な思いをしたのかもしれない。だからといって、人に絡むのはやめてほしいものだ。
そんなわけで、腹が立ったので、彼らが逆に絡むのを躊躇するほどの「要するに」の使い方が破綻した文章の見本を書いてみた。

要は『要するに』が要してない真の文章の見本

あたしの朝は、いつも鳴り響く目覚まし時計の音から始まる。ベッドから転げ落ちるように起き上がり、まるでサーカスの曲芸師のようにバランスを取って歯磨きをし、そのままキッチンに向かう。冷蔵庫を開けると、そこには昨日の残り物のスパゲティが待っている。朝食にスパゲティは妙だと思うかもしれないが、これが意外と悪くないのだ。さて、スパゲティをレンジで温める間に、新聞を拾いに玄関に行くと、隣の猫がまたしてもあたしの新聞の上で昼寝をしている。
その猫を軽く撫でてから、ようやく新聞を取り戻し、スパゲティを食べながら記事を読む。世間は今日も騒がしい。政治の話題、経済の不安、スポーツの結果、天気予報。そして、あたしはその一つ一つに対して何らかの意見を持ちながらも、特に何も行動を起こさずに日常を過ごす。要するに、あたしの朝は絶え間なく続く日常の一部であり、その中には宇宙の真理が隠されているのだ。
天気が良ければ、自転車で公園に向かうことがある。公園のベンチに座っていると、まるで時間が止まったかのように感じることがある。その瞬間、あたしはすべての物事の関連性を理解したような気分になるのだ。鳥のさえずり、風に揺れる木々、人々の笑い声。それらがすべて一つの大きな交響曲を奏でているのだ。そして、あたしはその中の一音に過ぎない。要するに、世界は一つの巨大なオーケストラであり、あたしもまたその一員として奏でているのである。
しかし、家に帰ると現実に引き戻される。洗濯物が山積み、メールの返信、買い物リスト。そんな雑務に追われていると、先ほどの公園での感覚はまるで夢だったかのように薄れていく。要するに、あたしの生活は細々とした雑事に満ちているが、その中にこそ真の自由が隠されているのだ。
夜が更けると、星空を眺めるのが好きだ。星々の瞬きに思いを馳せながら、あたしは宇宙の広大さに圧倒される。そして、その無限の宇宙の中で自分がいかに小さな存在であるかを実感するのだ。要するに、あたしは夜空を見上げることで、自分の存在意義を再確認しているのだ。
要するに、あたしの一日は、目覚めから星空までのすべてが一つの流れとして繋がっており、その中には数多くの要素が絡み合っているのだ。要するに、結論などというものは存在せず、すべてはただの過程に過ぎないのかもしれない。


以上の文章は、いじわるなあなたが望んだ「要するに」の使い所ぶっ壊れた文章なのよ。

あたしも最近ちょっと思うんだけど、この「要するに」って結構めんどくさい言葉だわ。情報を簡潔にまとめる時に使うらしいんだけど、それ以前に使っちゃう奴が多すぎるのよ。言葉として機能してないっていうか。 

話を聞いてごらん。今の人間ってみんな要するに好きなのかしら。会議でも、クラスでも、ちょっと説明しようものならすぐ出てくるでしょ。
「要するに、今日は……」だの「要するにこの問題は……」だの。この「要するに」がついたらいつも冗長極まりない説明がしばらく続くのが常なのよ。要約どころか、話がかえって長くなるっていうのにね。

反面教師としては申し分ない。あたしだってたまに説明を要するに始めてしまうことがある。だって皆がそうしてるんだもの。ただ最近思うの。この「要するに」を野放しにしすぎると、要するにの意味がなくなってしまうのでは?とね。

要約できないくせに要約のフリをするバカがここまで増えたのは何故なのか。ひょっとして『要するに』の意味を知らない人間が使いすぎているのかしらね。「要する」って要求したり必要とする、ということでしょ。要点をまとめる意味合いよ。それなのにボリューム満点の説明をするってどういうことなの。いい加減にしてもらいたいわ。

言葉の乱用は文化の衰退につながるのよ。皆で気をつけましょ。要約は要約でちゃんとしましょうって話。要するにそういうことなの。

あらっ。このまま書き続けていたらあたし自身が要するにの乱用犯になってしまうわね……。それは本末転倒じゃない。とにかく要するには慎重に付け加えることこそが大切なのです。要するにを要するにと濫用すれば、語源さえ無視されかねません。

では最後に控えめに要するに一発。結論を言えば、「要するに」は適切に使うべき。それでも分からない人のために簡単に要約すると、

「要するに」は慎重に。以上!


#川越つばさの気まぐれエッセイ #創作大賞2024 #エッセイ部門 #エッセイ

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川越つばさ
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