人に怨まれない生き方【きまぐれエッセイ】
怨みというものはやっかいなもので、怨まれるときは何をやっても怨まれ、何もしなくても怨まれる。
ああされた、こうされたと怨まれたかと思えば、愛されなかった、~してくれなかったといっては怨まれる。
なんてこった。
怨み体質の人は、自分の思い通りにならないと気がすまないのだから、怨まれたくなかったらその人の言いなりになるしかない。
それは奴隷になるということに等しい。
なってこった。
怨みの亡霊にとり憑かれないようにするには、要求されても応えない、売られても買わない、暖簾に腕押し、糠に釘、柳に風で生きるがよい。
それよりもっとよいのは、初めから怨みをひきおこすようなことをしない、怨みが芽生えないようにすることだ。
だから、道(タオ)の人は、いつも借り方(債務者)の態度をとって、人に催促するような立場にならない。
そして、人を責めない。自分も責めない。
大怨を和するも、必ず余怨有り。
安んぞ以て善と為すべけんや。
是を以て聖人は、*左契を執りて人に責めず。
徳有る者は契を司り、徳無き者は徹を司る。
天道は親無く、常に善人に与す。
[老子:第七十九章任契]
※左契=債務者の割符、借金の証文
いいなと思ったら応援しよう!
常日頃から並々ならぬお心遣いをいただき感謝いたします。これからも変わらぬお引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます。