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知らないことは知らないといえるひと【きまぐれエッセイ】
正直な人は、自分が知らないことを素直に認める。
それは他人にも自分にも誠実である証だ。しかし、それよりも上を行く人がいる。彼らは、自分の専門分野で既知のことであっても、常に初心を忘れず、謙虚に耳を傾けることができる。釈迦に説法をされても、知ったかぶりをせず、真摯に学ぶ姿勢を持っているのだ。
反対に、知らないことを知っているかのように振る舞い、自分の妄想を真実のように話す人がいる。彼らは学ぶことを知らない。自分で自分を縛るような状態に陥っているのだ。知っていてもその知識をひけらかさず、よくわかったつもりでも常に不足していると考える人は、自分をよく知り、素直で謙虚だ。そういう人は、いつもいろいろなところから学び、自給自足の精神で生きている。
己の無知を自覚する賢人と、自分の浅はかさに気づけない愚人。これはまるで、己の限界を知り、その上で学び続ける者と、虚勢を張りながら進む者の対照的な物語だ。賢人は、自らの限界を知り、それを受け入れた上で成長を続ける。一方、愚人はその限界に気づかず、同じ過ちを繰り返す。世の中は広く深い。学ぶ姿勢を忘れず、謙虚さを持って歩むことが大切だ。
つまり、真の賢者とは、自らの無知を認め、常に学び続ける姿勢を持つ人のことだろう。知識や経験を積むことでさらに謙虚さを増し、その結果、ますます深い知識と理解を得る。それが、自己満足に終わることのない、果てしない学びの旅である。。
知って知らざるは上なり。知らずして知るは病なり。
夫れ唯だ病を病とす、是を以て病あらず。
聖人は病あらず、其の病を病とするを以て、是を以て病あらず。
[老子:第七十一章知病]
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