よかれと思って言ったことが裏目に。悩めるあなたへ
言葉の温度とは
ことだま(言葉の温度)を感じられれば、人とひとのコミュニケーションで悲しい思いをしなくて済むのに。
取材でインタビューの仕事をしていたときに、その言葉の意味を超えて、想いのアツさを感じたことがありました。
そのお店のことを紹介する記事なんだけど、関係ないお喋りの部分で、
「あぁ、この人は、すてきな夢を持っているのだなぁ」と感じることも多かったりします。
もちろん、その記事には載らないし、本人も話したことを忘れてしまってるほどに、自然な発言なんですよね。
こんなにアツいのに、もったいないなぁ。
わたしが5年前からはじめている、「インタビュー俳句」は、その気づきからはじまりました。
この間、教員をされている方に詠ませていただいたときに、
「ことだまこさんの詩は、シュタイナーの先生が、生徒に詩を詠んでさしあげるのと似ていますね」
と教えていただきました。
そのときに、「学校で、俳句か詩を、詠む授業をやりたい」と降りてきました。
感情的に詠むというよりは、その子の光る部分をインタビューして、浮かんできた季語と組み合わせて一句をつくります。
俳句自体は、それを読んだ方によって、受け取り方は様々。それが魅力なのです。
それを受け取ったときに、どう感じるか。
相手は違う受け取り方をしたことにも、寛容な受け取り方をする。シェアをする時間が大好きですし、大切と思っています。
言葉のコミニケーションは、本来、すれ違うものなんですよね。
それを知っているのと、知らないのでは、傷つく回数に差が出てきます。
自分が感じたような意味ではない、その方の別の想いからその言葉を選んだ、そんなことは多くありますよね。
シェアしあうことで、「わぁ、だからその詩を詠んでくれたのですね、ありがとう!」と相手の愛を受け取ることができるのです。
どうして、その方を現す季語を、その言葉にしたのか。
そんな話をしていくと、相手の方も、驚きと共に「実はシンクロがあって、驚きました!」と繋がっていくこともあります。
伝えたらコントロールを手放す
最初の話に戻ります。伝えた言葉が、相手に予想外の受け取られ方をしてしまうことがありますよね。
その方に詠んだ「インタビュー俳句」は、どうしてそう思って言葉を選んだのかを、丁寧にお話します。そのことで、奇跡が起こることも。
私が想像していたのと違うとらえ方をするのだけれど、相手が過去に体験したこととシンクロしていたりして、「なるほど! そういうことだったんだね」とその方なりの納得へつながっていることも多くありました。
日常の会話でも同じで、どういう方向へ進んでしまうかは、コントロールできないんですよね。だから、手放します。
言葉に愛をのせる
言葉には、愛をこめて。言葉遣いやポジティブなテクニックの本などもありますけど、私は、愛を込めていればそれでOKと思っています。
相手からの言葉も表面で受け取らず、「こうしたほうがいいよ」と強めに言われたとしても、「この人は愛で言ってくれているんだな」と、言葉尻に傷つかずに、「愛だけを受け取ります、ありがとう」と心の中で受け取ります。
詩を詠みあうコミュニケーションの学校
子供のころから、こういった言葉のコミュニケーションの悩みは起こります。小学生くらいの子どもに、詩を詠み合う授業をするのが夢です。
大人になると、とにかく忙しい。「どうしてこの人は、私にこんなことを言ったのだろう。嫌な人。」と一瞬で決めて、判断してしまいます。
子どものころから、こういった言葉についての考え方を身につけておくことで、「この人は、違う意味で、伝えたいことがあったのかもしれない。」と、そのまま受け取らないで、傷つくことも減ればいいなと思っています。