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ひとは真菰草。泥を吸い成長する。
真菰(まこも)という草があります。「神宿る草」とも呼ばれるそうです。
水の淀んだ場所に生えて、水を綺麗にする効果もあります。
有名なのは、6月1日に出雲大社で行われる凉殿祭(すずみどののまつり)。
島根に住んでいたときには、真菰を刈らせていただき、その真菰を編んで龍をつくることもありました。
真菰が生えている場所は、水のきれいな場所、ではなく、少し淀んでいる場所。
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先日、島根の汽水湖である神西湖(かんざいこ)近くへ行くことがあり、地元の方が蜆の話をされていました。
「水質が綺麗になりすぎても、しじみの味が落ちる」と。言い換えれば、栄養が身に詰まっていない印象。
蜆も、綺麗すぎるよりは、少し汚れている場所の方が育つ生きもの。その話を聞いたとき、「真菰も蜆も、人間に似ているな」と感じたのです。
必死に悪いものを見せないように、関わらないようにと、殺菌された箱入りで人が育つことは不可能ですよね。
どうしても、防ぎきれないかたちで、悪いものは入ってしまいます。ヘドロも堆積するような場所を浄化する真菰の場合は、それを栄養として取り込み水質を浄化します。
人も同じで、入ってきたものを一度は取り込み栄養にして、不要なものを出していきます。もちろん大量に摂りこんだ場合、身体や精神の不調になる可能性もありますが、少量の場合は糧にして、蜆のように身の厚い、人へ成長していくのではないでしょうか。
真菰や蜆のように、泥を取り込んで吐き出す。人も、整えられた環境よりも、泥も栄養にして、成長しながら、周囲の環境を浄化していく存在なのかもしれません。
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