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ゲーム&ウオッチから始まるゲーム機の世界進出
ゲーム&ウオッチは1980年発売。ゲーム機本体とゲームソフトが一体化した手のひらサイズのゲーム機である。ゲームをしないときは時計として利用できた。
1980年代はデジタル時計が人気になっていたので、ゲーム機の付加価値として時計機能を付けたのだろう。プレイステーションはCDプレイヤー、プレイステーション2はDVDプレイヤーを付加価値にしていた。
『ファイア』(1980年)と『オクトパス』(1981年)をもっていたが、ボタン型電池で駆動していたので、電池の入れ替えがちょっと面倒だった。残念ながらマルチスクリーンのものは買っていない。
昔の資料整理の際、任天堂から提供された海外向けのリーフレットが見つかった。初期の『パラシュート』(1981年)から後期の『セイフバスター』(1988年)まで網羅されている。説明はすべて英語である。おそらく1990年ごろ自分の雑誌でゲーム&ウオッチ特集を企画した際の資料だと思う。
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もうひとつの資料が1989年までの販売に関するリストだ。それによると1980年1,526,000個国内で販売されている。1982年5,316,000個が販売数のピークで、1985年11,000個を最後に販売終了している。『スーパーマリオブラザーズ』が大ヒットしたので、ファミコンに専念することになったのだろう。
一方ゲーム&ウオッチは海外でも販売されている。
1980年に322,000個発売されたが、1983年には8,558,000個発売されている。この年がピークだったが、1989年1,825,000個と国内ほどの落ち込みはない。資料には世界70カ国へ輸出と書いてある。想像以上に各国で売れていた。
国別の販売数を見ると、アメリカが2,800,000個、フランスが2,700,000個、次いでスウェーデンが1,900,000個になっている。香港やシンガポールでも発売されていたが、アメリカとヨーロッパ諸国がおもな市場だったようだ。
資料は1989年までのデータ。国内で12,870,000個、海外で28,362,000個販売されている。トータルで41,232,000個だ。
初めて海外でヒットしたゲーム機、ゲーム&ウオッチ。
これに次ぐのが1985年10月アメリカで発売されたNintendo Entertainment System(NES/ファミコン北米版)だ。現地法人Nintendo of Americaは、NESのファンづくりのために『NINTENDO POWER』というゲーム雑誌のような内容の冊子を無償で配布していた。
この冊子制作に協力していたのが『ファミリーコンピュータMagazine(以下、ファミマガ)』。内容は書店で販売してもいいようなレベルになっている。
某ゲーム機メーカーがアメリカ進出を成功させるため、同様の仕組みでユーザーを組織したいと考えた。冊子発行の相談を受け、『NINTENDO POWER』を調査したことがある。そこでわかったのが、『ファミマガ』とNintendo of Americaの協力関係だ。NES成功の陰に日本のゲーム雑誌あり、という話はあまり知られていない。
1986年NESはヨーロッパでも人気となり、世界的なゲームプラットフォームになっていく。
その後セガのジェネシス(メガドライブ)、ソニー・コンピュータエンタテインメントのプレイステーションと1990年代日本のゲーム機がゲームプラットフォームとして世界市場を席巻していく。国産ゲーム機の黄金時代。その先駆けになったのがゲーム&ウオッチだった。