4/30風越学園本城さんを囲む会 ぼくはぼくの絵をかくよ
自分の言葉を紡ぐということ。
それは簡単なようで、この情報社会の中では案外難しいように思う。
自分自身からくる言葉ではなく、誰かが言っていた、どこかの団体が言っていた、社会でよく言われている、そんな言葉で自分が埋め尽くされそうになり、自分自身を見失いそうになる。そんな感覚に、なんとなくのモヤモヤを感じていた。
そんな風に考えながらも、日々の作業に追われてあっという間に過ぎていったように思う4月。
ちょうどそのタイミングで、風越学園の創業者の本城さんを囲む会が4/30に、はなまる学習会の社長高濱さんとはなまるエレメンタリースクールの社長はやとさんと那須の別荘で合宿は5/1、2とあった。
大自然の中で、大先輩と過ごしたこの数日間。
事業に話をいっぱいした訳じゃない。
でも、何か本質的なものを直感的に感じたように思う。
上手くまとめようともしない。
上手く伝えようともしない。
ただただ、今に気持ちを、今の自分から出る言葉をここに刻んでおきたい。
風越学園創業者 シンさんとお話して
あなたを大事にするよ
チェックインからしましょう。
学生8人ぐらいでシンさんを囲む。
「呼ばれたい名前はなに?ニックネームじゃない、今日のあなたが呼んで欲しい名前。それは、今日の気分で決めても、いつも通りでもいい。」
「今日のこころとからだは?」
「拍手はしなくてもいいよ。拍手ってある種暴力性があるんだ。もしかしたら、もっと話したいかもしれない、思いつくかもしれない。でも拍手があると出来ないでしょ」
「沈黙は何も起きていないんじゃない。きっとそれぞれの中で何かが生まれている」
直感的にわかる。
きっとこの人は、ひとり1人の存在を大事にするんだ。
そっと不思議なくらい温かな空気がみんなの周りを包むのがわかる。
“あなたを大事にするよ”
そんなメッセージ性のある温かな時間を活動の中でも取り入れたいと思う。
ぼくはぼくの絵をかくよ
その次に絵本を読んでくれた。
“ぼくはぼくの絵をかくよ”
答えのない道をみんな歩く。
会社にいけばみんなきっともっと楽にお金ももらえるだろう。
それなりにいい肩書きももらえるぐらい優秀な人ばかりだ。
それでも答えのない道を歩く。
自分がいたとき、その両サイドには社会や他者と、自分自身がいる。
社会や他者の声もきくことも大事だけど、自分自身の声を聞く。
それが、ぼくはぼくの絵を書くよということなんじゃないかな。
進むべき道が分からない。
不安だ。
でもその答えは誰かが持っている訳じゃない。
自分のやりたいことってなんだっけ?自分ってなんでやりたかったんだっけ?そんな純粋ないベースになる土台があるから進んでいける。
しんどいときしんどいと言える環境を、
挑戦したいとき、挑戦できる環境を。
そのあとは、20答法。
私は〜〜。
を20個書き出す。誰かに見せるわけでも共有するわけでもない。
書いてみて思う。
事業について最近のモヤモヤ。
地域間格差・教育格差・貧困問題の解決、、、
そんな言葉で切り取られるとどこか違う感じがする。
私は何かの解決がしたいわけじゃない。
ただ、伝えたい。
あなたは力がある。
だから大丈夫だよって。
人間しんどいときも、頑張りたいときもある。
だからこそ、届けたい。
しんどいとき、頼るかどうかは別にして、助けてと言える環境を。
挑戦したいとき、挑戦できる環境を。
上手く言えないけど、そんな感じ。
不登校の子たちにとか、貧困の子たちにとか、障害のある子たちだからとか、そういうのじゃない。
ほんとにみんなに必要だと思う。
だって、人はひとりでは生きていけないんだもん。
そんなもやもやを考えながらもセッションは進む。
資本主義の中で
メーカーズのみんなの事業相談が始まる。聞きながら思う。
自分は、
資本主義の中でただ頑固になって変わる勇気がないのではないのだろうか。
お金をもらうという覚悟がないのだろうか。
ここは譲れない、ここは譲れる。
それを上手く考えてみんな自分の想いと、ビジネスを掛け合わせている。そこに悩み、苦しみながらも、頭をフル回転させる。
自分はどうか。
いいものを作りたい。
でも、その葛藤や苦悩から逃げて、お金がないと嘆いているだけではないのだろうか。
それにお金をもらう覚悟はあるのか。
サービスの質。
お金を払いたいと思えるものを作ること。
シンプルにそこに挑戦できてない自分もいたんじゃないかと思う。
お金をもらうか、貰わないかは別にして、本当に払ってでもいいと思うものを作りたいと思う。
ただ、同時に、居場所って、つながりってサービスじゃないとも思う。
ほっと出来るよね、なんかいいよね、そんな場所、余白というのだろうか。
別になくてもすっごく困るわけじゃない。
でも、きっとその余白は、そのひとそのひとの中で意味がある。
そこにいるだけで、あるだけでいい。
何かをしないといけない世の中だからこそ、そんな場所があってもいいのではないかと思う。
居場所と言っても、きっと目的によって違う。
だから、私はゆるやかな居場所と、ケア型の居場所両輪でやってみたい。
ケア型は、お金を払いたいと思うほどのものを。
ゆるやかな居場所は、みんなで作っていくものを。
未来を作るということ
さらにセッションが進む。
未来を作るということはどういうことか。
風越学園でこう伝えたそう。
「みんな中学を卒業したら、困るでしょ。だからシンさん頑張って、上田高校(地元の進学校)に上田高校風越探究科を作ってもらったよ」
そしたら、子どもも保護者もほっとしたんだって。
でもその話には続きがあって。
「その先もと思って信州大学にも入れるようにした。その先は県庁にもいけるように話してきたからって」
って伝えると、みんな顔色が曇る。
進学。
きっとそれはこういうオルタナティブスクールやフリースクールに通う子どもや親なら誰もが不安に思うところだろう。
でも、だからって何もしなかったら周りが用意した道を歩くことになる。
社会のものさしって思ったより大きい。
それでも、自分の未来を自分で作るってどういうことか、自分のものさしを持つってどういうことか、一緒に考える。
きっとそれは簡単な道じゃない。
でも、その力があれば、社会のせい、他人のせいにせず、いつも自分の人生を幸せにしていけるんじゃないかって思う。
怖い。不安。
めっちゃ思う。
それでも、自分の道は自分で歩くしかない。
だれも責任をとってくれるわけじゃない。
だから、子どもたちにもちゃんと向き合いながら、あなたはあなたの自分の人生をどう生きたい?って一緒に考えるしかないんだなって思った。
見えてきた価値
セッションはさらに進む。
最後の時間。
思わず自分の気持ちが溢れ出た。シンさんにぶつけてみた。
「風越学園。本当に素敵な場所で、きっと素敵な教育がなされているのだと思う。それでも、それは親がお金持ちで、教育熱心だから。
お金もなくて、親だってそこまで意識も高くなくて、そもそも選択肢だってなくてって子たちもいる。それはどう思うのか。
地方で活動している非営利の団体。大きいNPO団体は寄付も集まるかもしれないけど、小さい団体はそうじゃないし、じゃあ大きくすればいいってわけじゃない。」
言いながら思う。
私は直接支援もしたいし、草の根の活動も支えたいんだって!
ボランティアで2年間やってて、誰かが頑張る形の支援じゃなくて、こうやって地域に住む人が、地域にいる子どものことを思って、活動している。
それって、きっとニーズに合わせて活動していけるし、町にとってはどこかの団体や誰かが頑張るよりもきっと持続的で、居場所の効果はもちろんだけど、そのプロセスを通じていろんな副産物があると思う。
目には見えないけど、みんなに優しい地域づくりなんだと思っている。
それを、作りたい。
デザインしたい。
そんな風にいろいろ感じすぎた、本城さんとのセッションでした。
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