『プレイバックYouTub716:2020/10/27公開 GAKAラジオー12. 旅ー韓国・中国へのまなざし』

中国への旅は、中国人に長く住んでいらっしゃった年配の恩師に誘われたのがきっかけでした。先生は、ご主人が新聞社の記者で長く北京支局に勤務、それに同行されて20年程暮らしていたとか。

先生曰く、それは政略結婚だったそうで、中国美術史を研究するために都合の良い人を紹介して欲しいと人に頼んだのが事の起こり。お見合いし見事に結婚されて中国に渡ったのだそうです。その武勇伝を飛行機の中で聴きながら、この旅が始まったのでありました。

学生時代から密かに憧れていた先生。「自分も美大生の頃は、先生の授業を一番前の席で聴きながら、将来はドイツ語圏で美術史を研究する人でありたいという微かな夢があったのです」とはじめて先生に告白したのでした。

先生的には、私が作家であることの方が、大いに楽しみ、と仰ってくれたのでした。

ということで、北京では先生のツテで、北京美術学院の来賓用の宿泊室を安価で泊まらせて頂いたり、朝ご飯は、美術学院の教員用のテーブルで美味しい中華ご飯をタダで食べ、あちこち北京の画廊を案内してもらったり、現地に派遣されている日本人のご婦人に高級な上海ガニ料理をご馳走させる(現地に派遣されている日本人には、日本からのお客を接待する費用が会社から支給されているのだそうです)など、とにかく一人旅では知り得ない、世界を垣間見ることが出来ました。

この旅の最後の方で判明したことなのですが、先生は私を現地の中国人アーティストと結婚させる意図があったのだとか。

「中国のアーティスト達は、何とかして日本に住んで日本で発表活動したいと考えていて、今度来る時は、日本の若い女性を連れて来て欲しい、と頼まれていて、それで川田さんの顔が浮かんだのよ。」

そういうことだったのか、と思いましたが、私には当時全くピンと来なくて、結局先生は全くの的を外して残念がっていました。

私の中で憧れる中国人というのは、例えば諸葛孔明とか、老子とか荘子。仙人のような暮らしをしている人が好きな私。先生はそれを聞いて「そのような中国人はもうどこにもいない。」と一笑されてしまいました。まぁ、そうですよね(苦笑)

中国人のアーティストは本当に目がギラギラしていて、何かに取り憑かれているかのようにアートに取り組んでいましたっけ。

「古い中国が好きなら、瑠璃廠(るりちゃ)に行ってご覧なさいよ。」と先生が自由行動日に情報を下さったので、一人で自転車タクシーか何かを乗り継ぎながら、尋ねたのですが、その町が一番楽しい思い出になっています。

当時はあまり観光客もいなくて、静かな昔の中国の建物がずっと続く通りには、雑貨屋さんとか古本屋、中国茶のお店など色々尋ね、目的地は老舗の大きな画材店。キャンバスなんかを扱う画材店ではなくて、中国の伝統絵画を描くための顔彩や、墨、硯、上等な画材紙、画材用の絹、様々な文具が揃っていて、夢のようなお店でした。

お店の雰囲気も風格があって、店員さんも落ち着いて、丁寧に接して下さって、私は色々迷った末に、絵画用に滲み留めのドーサか膠引きされている無漂白の絹布を10m程購入。確か2万円くらいしたと記憶しています。

いつかそれを使おうと思いつつも、未だに手が出せないわけですが、それを使わなければ出来ない作風が思い付いた時に、とずっと大切にし続けています。

以前どこかで(たぶん海外)イヴ・クラインのキャンバス作品で、キャンバスに雁皮和紙を貼り付けて描いた地味な、痕跡のような現代絵画を見たことがあるのですが、その画肌のきめの細かさ、光沢が何とも魅力的で忘れられません。

この絹をキャンバスに貼ったら、どんなことになるだろうか?と構想しながら、いつか形になるのをほくそ笑みながら、既にもう15年の月日が経ってしまっています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?