『プレイバックYouTube14:2020/10/24公開 GAKAラジオーGAKAラジオー9. 画家というイリュージョンを塗りかえる。』

この回では、「画家」と名乗る理由をずっと話しています。
作家活動を始めた頃は、色々な人から職業を聞かれたり、自己紹介したり、名刺を渡さなければならない場面があって、その度に自分の職業名を言わなければならず、何かにしなければならないと考えれば考えるほど、わからなくなるという悩みにぶち当たっていた期間があります。おそらく10年くらいは悩み続けていたと思います。

吹っ切れるようになったのは、2012年に長野市に引っ越しをして、寄付を集めざるを得ない境遇に陥った時でした。

「私は画家なので、お金に困っても仕方がないのだ。」と自分の状態をそのまま受け入れ、

「作品を売りながらここまで来れたけれど、美術館所蔵の作品もあるのだけれど、私はまだ制作を安定的に続けられるほどにはなっていない画家です。」と正直に認め、理解ある人にご支援を仰いだのです。

その瞬間に私は心の底から「画家である」と思えるようになっていたのです。不思議です。ですから、私自身の経済的危機は、むしろ私自身を大きく変えたことになりました。

ですから、それからは、人から「え〜?画家?」って聞き返されても、「そうなんです。画家でしかあり得ません。」とはっきりそうなったのです。

それまでは、どこかに「画家と名乗って良いのかしら?」「画家と名乗れるのだろうか?」とか「画家では信用してもらえないのではないか?」などと、ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃ考えてしまう私でありました。

当時は本当に必死でした。このままどうなってしまうだろう?長野市には知り合いが1人もいなかったのです。普通なら心細くなっておかしくなったと思います。でも私は当時Twitterもしていましたし、ブログも書いていましたし、そこから繋がっている人が何人もいて、さらに作品を買って下さっているお客様や相模原市で知り合った心ある方々に恵まれていて、誰一人として私を非難することはなく、むしろ心からご支援の手を差し伸べて下さいました。

その中には、さまざまな方々の顔がありました。面識もないのに、遠い場所から作品を買って下さる方、たまたまブログと出会って大作まで買って下さった方、見知らぬ名前で郵便局口座に支援金を送って下さった方、何度も何度も忘れた頃にメールが届き、そして次の日には支援金が送られて来るとか。筆を買って送って下さった人もいましたし、とにかくここには書き切れないほどのご支援を集めることが出来たのでした。

本当に心から感謝の気持ちでいっぱいになりながら、ずっと制作の日々を送っているのです。

「これが私にとっての画家という生き方です。」

画家になりたいとか、画家になるにはどうしたら良いか?と度々聞かれて来ましたが、画家とは自分から意図的になれるものではないのではないか?とも思います。

「心から自分は画家なのだ、画家以外にあり得ない、という境遇になる瞬間が与えられて、はじめて自分は画家だと自覚した」というのが私の結論です。

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