感性のスイッチが押されること
自分の失われた感情を、本の中に見つけることがある。
自身の意識としてはずっと18歳の心を持ち続けているつもりでも、実はそれは遠い記憶でしかない。中二病が不治の病だとうそぶいてみても、実はそれは中年病だったりする。
思い出すことはいつも同じ出来事、同じシーンで固定化されている。
いつもと違うことを思い出すためには外的刺激が必要なのだが、本や物語の中にそのスイッチが隠されていることも多い。子供は各成長段階で、それぞれ異なる不自由や理不尽に直面する。そしてこれらに関する「あるある」が何十年も経って本の中から出てくるのだ。そこに置いた覚えなど無いのに。
不自由や理不尽に対する負の感情は子供にとってある種のエネルギー源なのだが、同時に危うさをはらむ。
子供の頃に望んでいた些細な自由を、大人になって手に入れたとしても、そこに恒久的な満足はない。新たな不自由が生まれ続けるからである。
誰しも瞬間瞬間で生きていることをつい忘れている。今も昔も、今しかないのだ。懐かしいだけでは意味がない。しかし意味ある懐かしいことには、今なお価値がある。
厚みが生まれる。
だが脳は死んでいく。
少し休み、休んだらまた歩き出す。