火事の町
私が生まれ育ったのは、火事の多い町だった。
毎日のように、町のどこかで火事が起きる。
そして次の日には、新聞の折込みチラシに
出火のお詫び広告が入っている。
自分が火事を起こしたにも関わらず、
なぜか「〇〇見舞」という題になっていることを
子供心に不思議に思っていた。
火事が多い理由を、中学の技術の時間に教わった。
私の町には織物工場が多かった。
工場では壁じゅうに高圧の電線を這わせている。
この電線の上には、繊維くず(ホコリ)が溜まりやすい。
機械や配線は昭和30~40年代に取り付けられたものも多く、
老朽化すると、長い線のどこかが漏電して火花を散らす。
時々、火花がホコリに点火する。
ホコリは電線に沿って工場をぐるりと覆っているため、
どこかに火が付くと、火は工場全体を一瞬で火の海にする。
360度を炎に覆われた状態では消火など不可能で、
出来ることと言えば、貴重品を持って逃げることぐらいだった。
当時、クラスの半分以上の生徒が、織物を家業としており、
話を聞いている生徒の中には、実際に家が火事になった者もいた。
彼はどのような気持ちでその話を聞いていただろうか。
悲しい出来事を思い出して胸を痛めたか、あるいは、
火事は必ずしも不注意で起きるのではない、
という説明に心を救われたか。
炎は美しい。
町には、火事を求めて観光に来る人が現れるようになった。
火事を写真に収めて共有したり、実況中継したりする。
また、火事の現場で愛の告白をしたら願いが成就した、という人を真似て、
カップルがこの町にくることも増えた。
町の自警団は、他人の不幸を自らの楽しみとする人々に反発し、
暴力をもってこれを排除しようとした。
火事を求めて町に観光にきたカップルが、
自警団に襲撃される事件も起こった。
それでも町を訪れる観光客は絶えなかった。
それほどに、この町の火事は美しく魅力的であった。
町の行政は、この事態を解決するため、
計画的に火災を起こすことにした。
家財道具は撤去した上で、古い建物に火を点けた。
計画火災は町の名物となったが、
町から火事が無くなったわけではなかった。
計画火災の最中に、どこか別の場所で本当の火事が起きると、
人々は本物の炎を見たくて殺到した。
放火を生業とする者も現れたが、
この町では、現住建造物の放火は死刑となったため、
そのうち放火を働く者はいなくなった。
相変わらず、暗くなると毎晩のように
火事を告げるサイレンが鳴り響いた。
なぜか昼の記憶はあまりない。
独居者が家で死んだ場合、火葬に替えて、
家ごと燃やすのが通例であった。
その場所は更地になった。
焼け野原の更地に住む人はいなかった。
時が経ち、町から人がいなくなったとき、
この町の終わりは、やはり火がふさわしかろうということで、
町のすべてに火をつけて、盛大に町とお別れをした。
町は三日三晩を過ぎても燃え続け、
はるか遠く山の向こうまで、煙の雲で覆われた。
そうして町は焼き尽くされた。
町の人はもういない。
もう帰ってこない。
どこかの町の物語である。