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反省点:積読している、俺すごい
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
いつも素敵な記事をお書きになるくれないゆきさん。最近拝読した関する記事が、我が身を省みるきっかけになりました。
読書界隈でよくある「これだけ積読している、やばい(俺すごい)」みたいな風潮が、気持ちはわかるけどめんどくさいな、と思っている。
くれないゆきさんの記事を拝読する少し前に、「本は買うだけでも良いのです。」という、積読を推奨する記事をしたためた。
いずれ読もうとは思っている、プルーストの「失われた時を求めて」やバートン版「千夜一夜物語」然り。
ここで登場した本は、「自分はこういう本も積読しているんだぜ」、的な自己顕示欲が全く無いとは言い切れない。
いや、正直に言うと、「これだけ積読している、俺すごい」は絶対にある。
数ある積読されたままの本の中から、「失われた時を求めて」や「千夜一夜物語」を選んだのは、見栄えや難易度などがあったことは認めざるを得ない。
すぐ読み終わるであろう積読本を挙げるならば、田中ロミオさんの「人類は衰退しました」とか、支倉凍砂さんの「狼と香辛料」もあった。
もっとも、1巻だけならすぐ読み終わるだろうが、2巻、3巻と続くと話は変わってしまうけれども…。
くれないゆきさんの記事は、他にも、同じだなと思った点はいくつもある。
「年間○○冊読んでます」みたいなのも、「目標○○冊」みたいなのも大々的に言っているのをみると、なんだかなぁと思わなくはない。
たくさん読むことも、たくさん読もうとすることも、いいことだと思っている。一方で、数字にとらわれているのかも?と感じる瞬間がある。
あまり大っぴらには公言しないようにしているが、読書を「読んだ本の冊数」で測ろうとするのも、私自身の反省点である。
そもそも自称でも読書家を名乗っている時点で、「何を偉そうに」と思われても致し方がないのです。
そりゃ読む本にもよるだろうし、自己啓発系の本だったら往復の電車内で読み切ることもできる。
毎日繰り返せば、1年間でそれなりの量を読むことも可能ではある。
だけど、はたと思う。それが読書の醍醐味だったっけ?と。
大好きだからこそ、たくさん読みたい。どの物語にも価値がある。物語には貴賤がない。
大事なのは何冊読んだかよりも、どれだけ素敵な本に出会えたかである。
私自身の解釈では、読書習慣を身に着けたいならば、まずは「読書を好きになる」ことが前提にあるように。
積読の量とか読了の数とか、何を読んで何を得たとか。それは大事だけれども、枝葉末節なことかもしれない。
物語に貴賤はないし、本の価値なんて読んだ人それぞれでいいし、積読の是非なんてどうでもいい。
そこに「読みたい本」があって「読んだことによる満足感」があって、世界の解像度が上がるのであれば、それでいいじゃん。だめですか。
私にとっての読書は「パラダイムシフト」ではなく「カタルシス(精神の浄化)」。
ウィットの効いたユーモアに笑って、辛い境遇の主人公で泣いて。
私にとって、読書はそうだったねと、我が身を省みるきっかけになりました。それではまた次回!
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