言葉をニュアンスを鮮明にする
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
往復の通勤電車でよく見かける、日能研の額面広告「シカクいアタマをマルくする」。あれを見る度に、つい考えてしまう。
6月掲載文は、普連土学園中学校の入試問題から『接頭語』『接尾語』にまつわる出題。
眺めていて、なるほど、言われてみれば、無意識の内に使っていたなと思った次第。
出題例でいうと、「並でない」の意味を加える『ず(図太い)』、「本当の」の意味を加える『ま(真心)』などが挙げられる。
これらの言葉は、普段何気なく使っている言葉ではあり、だからこそ、意味を深く考えずに使ってしまうこともある。
言葉をより鮮明に、分かりやすく伝えるために、様々な文法や伝え方があるのだと。
以前、菅野仁さんの「友だち幻想」筑摩書房を読んだときだったか、若者言葉を引き合いに、しっかりしたコミュニケーションが難しくなっている的な点を示唆しいていた。
相手の会話に対して、「マジで」とか「ヤバくね」とかで返答してしまう。最近だとそれすら省略して「ま?」とかもあるらしいが。
それらの言葉は会話を円滑にしているようではある。反射的に言葉を返すことはできるのは、お互いに共感しあっているようにも思える。
しかし、「ヤバい」や「マジで」だけで、自分たちの気持ちを伝え合うのは、土台無理な話である。
何にでも「ヤバい」と返してしまうことこそ、「ヤバい」のである(これでは私の意図を、全て伝えることができないように)。
それが相手とコミュニケーションを取りにくくなっている、引いては、友だちを作ることの難しさにつながっているのだと言う。
話が飛躍してしまったが、それと同じように、言葉には一つひとつ意味がある。
流石に、日常生活で「図太い」とか「どん底」とかを使う機会はない少ないにせよ、noteのような並べられた言葉だけで想いを伝えるのならば、知っておいて損はない。
もちろん、正しい言葉使いだからと言って、自分の想いが全て伝えられるわけではないし、相手の言葉を理解できる訳でもない。
これまた先日読んだ鯨庭さんの「言葉の獣」リイド社のように、言葉は、常に辞書通りの意味で使われるわけではないのだ。
だとしても、自分の想いを「ヤバい」や「スゴい」だけで伝えるよりも、たどたどしくも、自分の言葉で伝えたい。
心に届く言葉を紡ぐのならば、なおさらだろう。
またひとつ、四角い頭が多少丸くなった気がする。それではまた次回!