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読む気はないけれども買う本
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
1冊読み終えた頃には5冊欲しい本が増えている人。行かなきゃいいのに、つい古本屋に足を運んでしまう阿呆なり。
たまたまX(Twitter)におすすめされたポストに、こんなコメントのやり取りがあった。
最近買った本を写真付きで投稿したものに対し、とあるユーザーがコメントしている。
買うことが目的だろうか?ツイに載せることが目的?読めるかな、こんなに🥺
好きなものを好きに集めたいという気持ちで集めてます!一年で200冊読んだのでいつかは消費できる読書量ですが💦
読む気があるなら許します🥺
本を買うのに貴様の許可が必要ですかい?というツッコミはあるが、前半は私にとっても耳が痛い指摘ではある。
私自身、「今日は書くことが思いつかないから、古本屋で買った本を紹介しよう」的なつぶやきで済ませた経験は多々ある。
それはもちろん、読むから買っているのであって、「こんなに本を買ったんだぜ!」と自慢するためではない。
いや、どうだろう。自己顕示欲的な欲求が全くないかと問われたら、嘘にはなる。
そもそも毎日投稿を続けている時点で、承認欲求を求めていることは違いないのだが。
ところで、逆転の発想だけれども、「読む気はないけれども買う本」はあるだろうか?
大抵の本は、読むために買っている。今すぐ読めないかもしれないけれども、いずれ読むために買っている。
正直、「買ったけれども読まなかった」、というケースはある。
私自身、その場の気分やノリで買ってしまった本を、結局ほんの数ページだけ読んで捨ててしまったこともある。
例えば、「iCon スティーブ・ジョブズ-偶像復活」や「スノーボール ウォーレン・バフェット伝」などのビジネス系の伝記。
やたらと自己肯定感を高める自己啓発書や、営業スキルを高める系の仕事術系の本。
買った時は「ピンときた」けれども、後々になってから「なぜこの本を買ったのだろうか?」と思うこともしばしば。
それでも、大前提は「読む」から購入した。
決して「読まないけれども」買ったわけではない。結果的にそうなっただけで。
「読まないけれども買った本」だと、本をインテリアのように飾るために購入するケースが該当するだろうか?
会社の同僚は、ヘミングウェイ「老人と海」を机の上に置いている(エメラルドグリーンの表紙に惹かれたそうで)。
読書会でお会いした乙女には、マツオヒロミさんの「マガジンロンド」を化粧品置き場の近くに置いているとか。
それでも、少なくとも読んではいるし、例え読まなくとも本の役割を果たしている。
つまるところ、本は読まないと価値がない、と言うわけではなかろう。
買ったけれども読まなかった本は、当時の私にとってモチベーションを上げた本である。
読まないけれども飾っている本は、インテリアとしての価値がある。
そりゃ買ったからには読むべきという指摘はもっともである。折角ならば、実際に読んで味わった方が、本も本望であろう。
だけど、読むこと以外にも価値を見出だせるくらい、読書はもっと自由なのではないか。
それに、誰がなんと言おうと、私は積読し続けるけれどもね。それではまた次回!
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