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本は「喧嘩しながら読む」べし
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
先日、読書会で「本に書き込みをするか」と言う話になりました。私は断然書き込むタイプです。小説は気に入った部分や感銘を受けたところは折り目をつける程度ですが、教養本やビジネス書などは線を引き、著者の考えをまとめ、時に反駁を記したりしております。
人によっては、本は持たない前提の方も勿論いらっしゃいます。紙で買った後、面白かった本のみ電子書籍で残す方や、A3用紙にまとめたものは全て売り払う方もおります。そのような方にとっては、綺麗な状態で本を読み終えた方が経済的ではあります。
一方で、私はビジネス書や経済、教養の本などを読むときは、線を引き、余白にメモを取り、時には図やイメージを描き、とにかく本を汚します。むしろ、買取不可と言われるくらいにその本から学び取った方が、たとえ捨てたとしても効果的だと考えます。
本に書き込みをするようになったのは、思えばいつの頃だっただろうか。記憶にあるとすれば、本田尚之さんの「レバレッジ・リーディング」東洋経済新報社を学生の頃に読んだ時か。それか、受験勉強の癖かもしれない。
さて、「本は喧嘩しながら読む」と良いと言います。
喧嘩というのは、著者の意見を全て受け入れるのではく、自分の考えや異論を唱えることによって、より理解を深めることである。受け身で読書をするのではく、著者に挑戦するくらいの攻めの姿勢で本を読む。
私自身、時折穿った見方をする時がある。それはあなたの意見でしょう、それができれば苦労しない、それが一体何の意味があるのだと、著者に(勝手に)物申す時がある。
それを、本に書き込むといい。自分の考えはきちんと言語化したり、何が受け入れ難いのかを明確にする。そして、また読み返した時に、著者の意見が受け入れられるかどうか、改めて考えるのが良い。
何でもかんでも受け入れてしまうと、全てが重要だと感じてしまい、結局、何が最も大事なことなのか分からなくなってしまう。本は新しい知見を得るのみならず、自分にとって効果的なものを得るべきでもある。
ゆえに、本を読むときは自分なり前提や軸が必要となる。自分なりの考えを持っていないと「あの人はこう言っていた、でも他の方はこうも言っていた」と右往左往してしまう。
本を読んで自己を改善したい(より良くなりたい)のならば、現状や課題の把握と仮説の設定が必要である。「自分はこう考えている」という仮説を持って、著者と喧嘩しながら本を読むことで自己成長は促される。
本の価値は、値段では決まりません。1,000〜2,000円という金銭価値のみで測れるものではないと思います。その1冊から自分の行動を変え、何か成果や結果が得られたのならば、その価値は無限大です。
だとするならば、売ることを前提とした読み方よりも、売れなくなるほど著者と格闘し、ボロボロになるまで使い倒した方がよっぽど経済的ではあるまいか。
勿論この記事に対しても、喧嘩すべきです。炎上しない程度に(笑)。それではまた次回!
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