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人に本をオススメすること
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
先日、実家に帰ったときの新聞に、興味深い記事が載っていました。読売新聞の「読書推進月間」の特別面で取り上げられておりました。
「薦められて読んだ」59%
今回の調査で、身近な人から本を薦められて読んだことが「ある」とした人は59%で「ない」の39%を上回った。自分の好きな本を身近な人に薦めたことが「ある」とした人も49%とほぼ半数に達した。
思いの外、紹介された本を実際に読む人は多いそうだ。私が読書会で紹介した本を、実際に買ったり、図書館で見つけて読みましたと報告してくれる人は10人に1~2人くらいだから、もっと少ないと思っていた。
一方で私は人に影響を受けまくってしまうタイプ。この本面白いよ!と薦められるとそんなに言うなら読んでみようかと、手当たり次第に買ってしまう。
だから本棚に統一性がない。広く浅く読んでいるため、深い話ができないのが、やはり"自称"が付く読書家なのだろう。
だがよくよく考えてみると、読書家の話すことって大体本の話ではないかとも思う。国民の半分が月に一冊も本を読まないのならば、もう半分は少なからず本を読んでいる。その半数が本の話をしているだけではなかろうか。
私の場合は、例え相手が興味ないとしても、好きな本や最近読んだ本の話をする。急に村上春樹さんの「ノルウェイの森」講談社 に出てくる"苺のショートケーキ理論"を出したりもする。
というか、それ以外の話題がわからない。最近の流行りがいまいちわかっていない。
(自称も含め)読書家というものは、普段の会話のなかで、自然と本の話が出てしまうものなのだと思う。
誰だって自分の好きを語りたいのだ。
自分の好きなことを語っているだけで、人は快感を得られるし、読書家同士ならばエンドレスで好きなものを語り続けることができよう。
普段はおしとやかで、無口だとしても、読書会の中では水を得た魚かのように生き生きと話をする人を何人も見たことがある。
実際に私も、読書会以外ではほとんどしゃべらない日々を送っている。週末に一週間分の言葉を話しているのではないかと言うくらい話さない(そもそも、話す相手がいない)。
ゆえに、好きなことを語ることは、一種の自己表現なのだと思う。
何かを形作るものだけが自己表現なのではない、だから読書会のような「好き」を語る場やコミュニティは必要なのだと思う。それではまた次回!
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