やりたいことがわからない
「最近、自分のやりたいことがわからない。」
高校来のダチであるブラザーはかく語りき。
彼の持ってきたコーヒーを啜り、一言。
「わかるわ~。」
と私はお決まりの同意の文句でお茶(コーヒー)を濁した。
趣味でも、勉強でも、仕事でも、
「自分のやりたいことがわからない」状態が起きることはよくあると思う。
研究の神髄「何がしたいの?」
そういえば私が大学の研究室にいた頃、指導教官にお決まりのように
「何がしたいの?」
と言われたものだ。正直最初は本当に苦手だった笑
これは昨今のアカデミックハラスメントなるものでもなんでもない。本当に純粋な意味で「あなたは何がしたいのか?」を問われていた。
自分の現状の把握。何がわからなくて、何をわかるようになりたいのか。目的を明確にして、質問や実験を行っていかないと研究は思うように進まない。
だって最初は教官の口から出る専門用語すら理解できないのだから。正直学部4年生の頃なんて、質問から帰ってくると疑問が増しているのが日常茶飯事だし、そもそも研究で何がしたいのか?なんてよくわからない。自分の無知との対峙に日々打ちのめされていた。本物の研究者というのは変人通り越して狂人である。
ナニガシタイノ
この七文字はうちのラボメンバーの口癖だった。ほんとに、うちのラボの人はすーぐ「この論文何がしたいの?」「何がしたいのかというと~」ばっか言う。うちの研究室の古くから伝わる研究の神髄らしい。(すごく大事)
対外的には研究者なんて、わかったような口で喋ってるように見えるかもしれないけど、ナニコレわっかんね~て思うことを調べて、試して、やっぱわっかんね~!を毎日繰り返してる。
わかったかも!俺天才!やっぱなにもわからない…俺無能…という情緒の反復横飛びを日々している。だから研究を続けているとぼちぼち深淵に飲まれて病む人が出てくる。
正直、大変な作業(苦行?)である。
大学、大学院での研究生活は科学技術を扱う者としての修行の期間だったのだと思う。
やりたいことはある
話を戻すと、「自分のやりたいことがわからない。」と思う時、ちょっと表現として不正確に思う。
純粋な自分のやりたいことは、わりと思いつく。
毛むくじゃらの黒猫を飼いたいとか、映画を撮りたいとか、Iphoneがほしいとか、昼までたくさん寝ていたいとか。
やりたいことは実はたくさんあるし、わかっているけども、
現状、余裕がない。
つまり
やりたいことはあるけど、今は余裕がなくてできない。
実はこれが大半だと思う。
その結果、
今の自分の手持ちの余裕の中で可能な、やりたいことがわからない。
こんなかんじじゃないだろうか。
とすれば、自分のやりたいことがわかるようになるには、まず”余裕”がないといけない。
余裕のなさの弊害
例えば、時間の余裕が少なくなると
時間のかかる趣味、勉強、目標、将来の夢なんていう面倒だけどやりたいことよりも、ゲームしたり、ガチャを回したり、Youtubeのショート動画を見たくなる。
その方が短時間でドーパミンを獲得できて効率的だ。それが普通だと思う。
面倒だけどやりたいことのドーパミンは達成した最後にドパっと獲得できる。それまではドーパミンは少量しか出ない。
時間がとれないということは、その報酬(達成感)をもらうのが遠い未来になってしまう。
当然なかなかやる気を出すのは難しいし、短時間で気持ちよくなれる娯楽の誘惑に勝てない。私も仕事してるときまんまこれだった。
さらに余裕がなくなると、なんでもかんでも面倒だと思うようになる。
その結果、お金を使って面倒ごとを解決する。ストレスを発散するための消費行動が多くなる。私も実感としてある。
でもこれは全部、正常に脳が機能してる証拠だし、普通だということが脳の勉強をかじると理解できる。
超暇人集団アカデメイア
経済的余裕
時間的余裕
精神的余裕
私はこいつらが合体して生まれるのが「暇(schole)」だと思っている。
倫理をやったことある人なら知っている。暇が学校(school)の語源なんだ。本来学校は余裕を持った暇人が、お金なんて気にせず自分の好きなことを探究をする場所だ。
そして現代の国の仕事は、学問をしたい人たちにはちゃんと「暇」を与えて、学問(興味のあることの勉強)をする場所を提供することだ。
当然学問をするところだから、遊びに来るところでも将来の就職のために学歴を得る場所でもない。
そうならないようにシステムを維持する責任が国にはあるけれど、昨今の大学の状況を見ればわかるように、もう危機的状況になってしまっている。
私がアカデメイアを作ったのにはこうした一因もある。
アカデメイアにはみんなが暇(schole)を持つ、本来の学問探究の場所になってほしい。
暇人(ひまんちゅ)の集まりがアカデメイアの理想なんだ。
そんなアカデメイアで私はブラザー達に自分の本当にやりたいことを好きなだけやってほしいんだ。