記念日に温かさを

6月9日。今日は仕事だ。出勤は7時。30年続けているこの仕事。僕はたくさんの出会いがあるこの仕事が好きだ。目覚ましがなくても時間通りに起床。慣れたものだ。「母さんおはよう」今日も妻に挨拶をするところから1日が始まる。朝食は簡単に納豆と卵と白いご飯。これもいつも通りのメニュー。6時15分に家を出る「母さん、今日は肌寒いなあ。」

6月9日。んー。時計を確認。時間は6時13分。今日は買い物に行く予定だ。待ち合わせは10時まだ余裕がある。今日は記念日だからな。バッチリ決めよう。ゆっくりシャワーを浴びなきゃ。あれ?あんなに余裕だったはずなのに、気づいたらバスにのる10分前だ。原因は朝から読んだ大好きな小説だろうな。まずい。急いで準備をすませ、髪も乾ききらないまま家を飛び出す。「今日は肌寒いな。」

いつも通り6時20分のバスに乗る。いつも通り6時33分の電車に乗る。いつもと違うのは乗客の人数だけ。平日とは違う、少し静かで落ち着いた朝。そんな朝もまたいい。読みかけの小説を読み進めようかな。空いている席に腰をかけ、古びたブックカバーに包まれた本を開く。

駅に着いたのは6時50分。いつも通り6時55分には職場に到着だ。まずはゆっくりコーヒーを飲む。若い頃は時間に余裕がなく、仕事もたくさんミスしたものだ。時間を守れないことは母さんにもよく叱られた。いつも通りを大切にする、この習慣も母さんと一緒に住んでから身についたもの。一杯のコーヒーが心を落ち着かせてくれる。よし。仕事だ。タクシーに乗り込む。

結局バスには乗れず、駅まで歩く。ついてない。というより自分が悪い。時計は9時11分。急げ。9時26分の急行に乗らなくては待ち合わせに間に合わない。歩くスピードをあげて駅に向かう。急げ急げ。みなとみらい駅に着いたのは9時50分。待ち合わせの場所までは徒歩15分。絶望的。連絡を入れると「また〜?」と言われてしまいそうなので、ギリギリまで間に合う可能性を信じて向かうことにする。ひらめいた。タクシーだ!だが、タクシーがなかなかつかまらない。「空車」の赤文字は全て反対車線。本当に今日はついてない。ついてなさすぎる。

9時54分。約3時間で10人のお客さんを乗せた。いつも通りって感じかな。逆車線に歩道ではなく、車道を歩いている男性がいる。後ろを気にしながら歩いてるなあ。きっとタクシーを探しているんだろう。よし。まわって拾ってあげようかな。

9時55分。やっときた!一台のタクシーが希望を乗せて走ってくる。手をあげてタクシーを拾う。

「お願いします。」
「どちらまで。」
「みなとみらいセンターまで」
「かしこまりました。まっすぐ行ったらすぐのところですね。僕も昔はよく妻と買い物に行きました。」
「僕もこれから彼女と買い物に行くんですよ。すいません。短いのですがよろしくお願いします。」

ちらちらと携帯を見るこの男性、この距離でタクシーをひろうってことは、待ち合わせギリギリなんだろうなあ。

「はい。到着です。」
「すみません。1000円で。」
「はい。お釣りです。距離が短かったから気持ちね。」
「700円でいいんですか。」
「もちろん。いってらっしゃい。」
「ありがとうございます!いってきます。」

ちょうど30年前の記念日を思い出す。大好きな小説のせいで待ち合わせに遅刻したことを。「また〜?」て言いながらも許してくれる温かい母さんを。まるで若い頃の自分を見ているようだった。

母さん。母さんにもらった温かさ。僕はみんなを温かい気持ちにできているかな。温かい気持ちをもらってばかりだよ。母さんと離れ離れになってからちょうど3年。「母さん、やっぱり今日は肌寒いなあ。」時刻は10時をまわった。

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