あの夜、家族でほおばった銀だこの味。
1年前の2月10日、ぼくたち家族は火事にあった。妻から「今日でちょうど1年だね」っていわれるまで忘れていた。
この数ヶ月、あの日を振りかえることはなかった。ちょうど1年、改めて、あの日の気持ちを思い出してみようと思う。火事にあった最初の夜は、まるで嵐の中にいるような不安定な心持ちだった。思い出すだけでも鼓動が早くなる。
あの日、火事で家を失ったぼくたちは、阿佐ヶ谷駅近くのパール商店街にあるarbnbに身を寄せた。ラーメン屋さんの2階だった。玄関を入るとすぐ階段で、そこを上がると、うなぎの寝床のように縦長に部屋がつらなるわりと広めの2LDK。ベットが7つ、冷蔵庫も、洗濯機もあった。消火作業がひと段落し、arbnbに着いた時のは15時頃だった。すごくほっとしたのを覚えている。
よく晴れた寒い日だった。息子は寝巻きにスリッパで逃げたので、近所の方からお借りしたベンチコートを着ていた。子どもたちは明日から着る服がない。ユニクロにいってダウンコートから下着までを一式買い、商店街の靴流通センターでスニーカーを買った。その後、消防署に家族全員で歩いていき、子どもたちの調書を作成をしてもらった。ジェットコースターにのっているような怒涛の1日だった。
消防署からの帰り道、子どもたちが大好きだった銀だこを買った。ぼくにも妻にも、夕食のことを考える気力はなかった。airbnbの床に車座になって、家族でたこ焼きをほおばった。子どもたちの顔が少しだけ華やぐ。でも全員が不安だった。たこ焼きはその不安を少しだけかき消してくれた。子どもたちはお風呂にはいってすぐに寝た。
ひとり薄暗いキッチンで、macを開いて何か役にたつ情報がないかをググり続けた。有益なものはほとんどない。火災保険はおりるのか。仕事はどうなるのか。家を再建する数ヶ月、住む場所は見つかるのか。大量のゴミの処分にはどのくらいの費用がかかるのか。ドラマや映画だと、こういう災禍に見舞われたとき、愛し合っているのに、小さなことですれ違い、家族がバラバラになったりする。次々と不安が浮かんでくる。
考えても、考えても、答えはでない。情報が足りないからだ。それでもまた問いが浮かぶ。そして手詰まりになる。これを延々と繰り返す。不安はどんどんと膨れあがっていく。心臓がギュッとなるような苦しくなる。
あの夜から1年、改めて思い返すと、あの夜、自分はいっぱいいっぱいだった。だからなのか、ぼくはあの日、食べた銀だこの味を覚えていない。家族で車座になって食べたあの部屋のことはありありと思い出すことができる。それでも張り裂けそうになるぐらい不安だったぼくには、それを味わう余裕がなかったのだ。
あれから1年。家族はそれぞれの日常を一生懸命に生きている。再建は順調にすすみ、元の家に戻れる日も近づいている。
あの家に帰ったら、家族みんなでたこ焼きを食べてようと思っている。きっと涙がでるほど美味しいに違いない。