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家は燃えたが、きっと何とかなる。

火事になり、家を失い、あっという間に半年が過ぎました。これまで火事のリアルを伝えるためにnoteを書き続けてきました。火事なんて誰の身にも起きない方がいいに決まっていますが、万が一なってしまった時にお役に立てばと思っています。

今日は最も大変だった最初の3ヶ月を時系列で振り返ってみます。

2月10日

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火事当日。連絡をうけて出先から戻ってきた時、映画のワンシーンのような状況に驚きました。この時はまだボヤ程度だと思っていました。

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家に入ると言葉を失いました。窓ガラスはすべて割れ、床は水浸し。燃えたものがあたり一面に散乱し、何もかもが真っ黒でした。リビングは生活の場ではなくゴミだらけの廃墟でした。涙が出るということは全くありませんでした。よく燃えたなぁ、という驚きの方が大きかったです。

2月11日

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翌日、改めて焼けた家に。玄関をくぐり、変わり果てたリビングを見た時に、本当に火事がおきたんだ、と実感しました。リビングは焦げた匂いに満ちていました。奥に見えるのは妻が結婚前に買ったグランドピアノ。すっかり炭になっていました。何から手をつけたらいいのか、途方に暮れたのを覚えています。

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とりあえず身を寄せたのはAirbnbでした。火事の翌日、渋谷のラジオを一緒にやっていた西本武司さんが家族全員分の靴と服を買ってきてくれました。子どもたちの顔がぱあーっと明るくなりました。

2月14日

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火事から4日後。最初はアドレナリンが出ていてみんな元気でしたが、この頃になると疲弊が色濃く出始めました。大学受験真っ只中の息子がどうしてもお寿司が食べたいと言うので、銀のさらで出前をとりました。片時でも火事を忘れられたらと、家族5人でワイワイ言いながら食べました。

2月15日

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仕事の仲間が家のゴミの撤去を手伝いにきてくれました。焼けた炭のにおいがキツくて休み休み作業をしました。みんな汗だくになりながら、大量のゴミを運び出してくれました。作業終了後に記念撮影。「どんな掛け声でとりましょうか」というカメラマンの汰木志保さんの問いかけに、日本テレビの土屋敏男さんが「ここはファイヤー!でしょう」といって一同爆笑、最高の表情を引き出してくれました。

2月21日

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当時、メインパーソナリティをしていたラジオ番組「渋谷のテレビ」に火事の後、初めてスタジオから生出演。西本さんの呼びかけに応え、大勢が駆けつけました。ありがたくて、情けなくて、いろんな想いが湧き上がってきて、どんな顔をしていいのか、わからなかったです。

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Airbnbにいる間のおよそ2週間。主に近所のママ友さんが、家族を支えてくれました。代わる代わる食事の差し入れ、子どもたちの体操着や上靴など学校で必要なものを揃えてくれたり、体温計や食糧を買ってきてくれたり、子どもたちを預かってくれたり。幼稚園、小学校、中学校、高校、それぞれのつながりの方々が一斉に動いてくれました。ありがたかったです。

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妻の職場の方からいただいた食器一式。ご両親が長年使っていたものなんだそうです。こういう心温かな気遣いが、少しずつ気持ちを落ち着かせてくれました。ずっと大切に使います。

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Airbnbに住んでいた時期は、荷物を増やさないようにしていました。引っ越しが大変になるからです。ほとんど何も持ち出せなかった長女、この頃の荷物はたったこれだけでした。

2月21日

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Airbnbの最後の晩餐。日野珠美さんから「FUKKOレストラン」というメニューとともにフルコースを用意してくれました。その日野さんから食事を受け取り、届けてくれた城井剛さん、涙ぐみながらこんなメッセージを残してくれました。

「なんて言っていいのか。何のお役に立てないかも知れませんが。またお声かけていただいたらと思います。できる限りのことはさせていただきたいと思います」

ちなみに真ん中の肉じゃがはママ友が鍋ごと差し入れてくれたものです。

2月22日

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火事から12日後。ご好意で一軒家を貸していただけることに。日当たりが良くて、住み心地の良い家です。家主のお母様が「この家はとても運がいいの。だからあなたたちももう大丈夫」と言葉をかけてくれました。それにちなんで「メゾン ド ボヌール」と名付けました。引っ越しに際し、沢山の人たちが、荷物を運んだり、お掃除をしたりと手を貸してくれました。

2月28日

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「渋谷のテレビ」にワタナベアニさんがゲスト生出演。アニさんが愛用するコンデジSONYのRX100をわざわざ購入して「大作戦」してくれました。帰宅するバスのなか、セルフポートレートを撮りました。家族の日常を今も記録しています。

3月2日

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仮住まいにテレビが来ました。仕事の仲間の伊達吉克さんが配線工事をしにきてくれました。子どもたちはすごくうれしそうでした。

3月28日。

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娘が無事小学校を卒業。ランドセルも卒業式のために用意していた袴も燃えてしまったのですが、妻の同僚の方がこの日のために一式用意してくれました。

 3月29日

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季節外れの雪が降った寒い日。髪を切りにいきました。茂木あかねさんが子どもたちの髪も切ってくれました。

3月3日

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再建を始めるにあたり、家を一旦解体することに。家族で最後のお別れに行きました。燃え残ったダイニングテーブルの天板に花を置きました。

4月6日

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転校先での始業式。ランドセルは長女のお友達のおさがり。

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この頃から再建に向けた工事が始まりました。焼けた壁を取り除いてみると、柱や梁は無事でした。これを生かすことで費用も抑えられ、なんとか再建の目処が立ちました。

4月26日

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子どもたちは、火や熱いものをずっと避けてきましたが、火事から2ヶ月半が過ぎたこの日、初めてホットプレートで焼肉をしました。その数日後には、たこ焼きも作りました。このホットプレートは、かわせ大作戦でいただいたもの。

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緊急事態宣言のなか、近所の公園に散歩にいきました。娘たちとかけっこで競争したり、思いっきり身体を動かしました。


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2020年2月10日、僕たち家族は家を失いました。人生には思いがけないことが起こります。僕も自分が火事に見舞われるなんて思いもしませんでした。平穏無事な日常が一転、大混乱の日々が始まりました。

あれから半年、再建はまだ道半ばです。今も多くの人たちからご声援、ご支援が僕らを支えてくれています。そんな中、心底こう思うようになりました。

生きてさえいれば、何とかなる。

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河瀬大作
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