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近しいからこそ、傷つけることがある。

 FUKKO DESIN代表理事の河瀬です。2020年2月10日に火事にあい、あまりの情報のなさに途方にくれた経験をへて、FUKKO DESIGNに火事部を創設し、貴重な体験談をまとめる活動を続けています。

 今回は、近しい人たちの言葉について考えます。突然の災難に見舞われた時、近しい人との言葉に傷つけられることが少なくありません。そんなことを考えるようになったきっかけは伊藤さん(仮名)との出会いでした。ぼくのnoteをみてご連絡をいただいた方のひとりです。

残念ながら今年で連れ添って25年になる家内が逝ってしまいました。子供達は無事でしたが、(中略)落ち着いてこの先を考えられる状況にはなかなかなれそうにありません。日本は、欧米の様にグループケアみたいな活動が少ない中で、情報を発信して頂けていることは、大変有り難く思い、連絡させて頂いた次第です。

 火事を境に人生は一変します。生活再建への不安、近隣への謝罪、火事の後片付け、保険の請求など、やらねばならぬことが一気に押し寄せてきます。それだけでも尋常ならざるストレスです。伊藤さんのようにお連れ合いを亡くしている場合は、ご葬儀などもあります。考えただけでも気が遠くなるような大変さです。その最中に何を感じていたのか、お話をいかがいたくて、2022年3月に伊藤さんを訪ねました。

  真っ青な空に白い雲がうかぶ気持ちの良い日でした。しかし春一番の黄砂にみまわれ、借りた車のフロントガラスは真っ白となりました。

黄砂がふりつもった自動車のフロントガラス

 日曜日の午前、待ち合わせをしたお店は混み合っていました。しばらくすると伊藤さんが現れました。50代半ば、グレーヘアの短髪で精悍な顔つき。若い頃はカヌー選手だったといい、筋肉質のひきしまった体格です。

 改めて火事の状況をお聞きしました。

 火事の夜、伊藤さんは会社で仕事をしていて不在でした。家にいたのは、おつれあいの陽子さん(仮名)と大学生の娘さん、それと中学生の息子さん。家族3人でいつもと変わらず1階で夕食を食べ、くつろいでいました。すると突然、2階でドーンと大きな物音がしたそうです。不審におもった陽子さんは様子を見に2階にあがりました。
 すると2階の火元の部屋はすでに火の海になっていました。階段の下の子どもたちに火事であることを伝えたものの、火元の部屋からの火のいきおいにおされ、陽子さんは一階に戻ることができず、2階の別の部屋に逃げ込みました。娘さんがバケツに水を汲んで2階にいこうとしましたが、火の燃え広がるスピードはすさまじく、階段の上は炎に包まれており、とても消せる状態ではありません。
 しばらくすると家中が停電。固定電話が使えず、娘さんは携帯から119番通報します。娘さんと息子さんは逃げることができましたが、陽子さんは2階で煙に巻かれて、逃げ遅れてしまったそうです。

 伊藤さんが帰り着いた時には、家はまだ燃えて続けていました。おつれあいに対面できたのは、翌日の夕方。警察の遺体安置所でした。消防隊に発見されたときに陽子さんは、力尽きるようにうずくまっていたといいます。

 それから伊藤さんの怒涛の日々が始まりました。陽子さんの葬儀の手配を行い、その合間にも罹災証明を取ったり、保険の手続きを行わなくてはなりません。悲しみに暮れる間もなく、やらねばならぬことがつぎつぎと押し寄せてきます。

 そんな最中、伊藤さんを苛んだのは、近しい人々からの言葉でした。陽子さんの喪失は、誰にとっても悲しい出来事でした。それは行き場のない苛立ちとなり、時に伊藤さんに向けられました。葬儀を気丈に取り仕切っていると「あんたは悲しくないのか」と言われ、必要な書類や現金をいれたポーチを持ち歩いていると「よほど大切なんだな、それ」といわれたり。近しい間柄であるがゆえに、言葉も強くなりがちで、度をこえるとそれは攻撃になってしまいます。

 次第に伊藤さんは、お酒を飲まねば寝られなくなりました。自分はそんなに冷たい人間なのか、なにがダメなのか、どうすればよかったのか、自問自答を繰り返し、一時は子どもたちとの関係すらギクシャクしたといいます。半月ほどしたある日、伊藤さんはカウンセリングをうけることにしました。ぼくがお会いした喫茶店で、カウンセラーと定期的に会うようなりました。カウンセリングを重ねていくに従い、次第に自分を傷つけるものを遠ざけられるようになり、今では親族ともなるべく会わないようにしているそうです。
 近しいからこそ、力になってくれることももちろんあります。でも近しさ故の危うさもあります。その危うさに自覚的であることは、危機のときに、自分の身を守る「精神的バリア」になることがあるのです。

 こうした話を聞くたびに、カメラマンの幡野広志さんの著書「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために」のなかにある「NASAの考える家族の定義」というエピソードを思い出します。スペースシャトルの発射の時に、その様子を家族たちはNASAの特別室で見守るのですが、その部屋にはいることのできる家族の定義があるといいます。

NASAの定義は明確だ。
①配偶者
②子ども
③子どもの配偶者
までが「直系家族」なのだ。父親も、母親も、兄も、弟も、姉も、妹も、特別室に入ることはできない。血がつながっているはずの彼らは、みな「拡大家族」に分類されているのだ。しかも「拡大家族」には、乗組員の親友も含まれている。 

「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために」より

 NASAが考える家族、それは自らが選択したパートナーとの関係が核となり、その子どもたちまでだと考えるのだそうです。

 火事を含め、大きな災禍を乗り越えるときにも、実はこの考え方は大切です。極限の状態に追い込まれると、普段は蓋をしている感情がふきだしてきます。いわゆる身内といっても、普段から一緒に暮らしていなければ、いろんな考え方の人がいます。困難の最中にあるときには、その意見の違いを受け止めることは難しいです。近しい人であるからといって、すべて耳を傾けることはないのです。

 火事になると助けられる側になりがちで、ひけめを感じてしまい、イヤだなと思っても飲み込んでしまいがちです。しかし親族だろうと、友人であろうと、心ない言葉をいう人とは距離をおいたほうがいいです。もっとも大切なことはじぶんを守ること。そうでなければじぶんが大切にしている者を守ることはできません。

伊藤さんの家のあった場所は更地になっていた
おつれあいの好きだったスイセン

 喫茶店でお話をうかがったあと、自宅があった場所に案内していただきました。焼けた家はすっかりと撤去され、すっかりと更地になっていました。その傍らには、陽子さんが大切にしていたというスイセンがさいていました。
 ぼくが訪ねる1週間ほど前、大学生の娘さんは海外留学に旅立ったとお聞きしました。火事から1年半がすぎ、少しずつだけれど、家族ひとりひとりが新たな一歩を踏み出そうとしているように感じました。

 伊藤さんのご家族ひとりひとりの人生が明るく照らさされますように。 

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 またFUKKO DESIGN火事部では、火事の体験談をあつめ、未来のためにアーカイブする活動を続けています。自分の経験を誰かの役に立てたい、またそうした活動のお手伝いをしたい、というかたがいらっしゃいましたら、下記のお問合せフォームにご連絡ください。




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河瀬大作
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