天地神名(Unique ancient Japanese Gods) 洞水天玄根 制作雑記
こんにちは!
はじめましての方ははじめまして!
カワバタロウです!
まず、今回の制作雑記をご紹介する前に
お伝えしなければならないことが2つあります……!!
それは……
<その1>
とんでもなく長いです……!!
文字数、
43000文字……!!(白目)
前回の約3倍です…!!
無事(?)過去最長を更新しました…!!!
……では、
なぜこんなにも長くなってしまったのか……?
それは、きっと読んでいただければわかると思います……と言いたいところですが、
さすがに
「気軽に読んでください…!!」
とは言えない量なので、
まずは、見出しから飛んでただいて、
気になるところだけを読んでいただいても大丈夫です……!
(……むしろそっちの方がいいかもしれない……。)
でももし…!!
少しづつでも読んでいただけるのなら
とてもうれしいです!
<その2>
そして、
二つ目にお伝えすることは……!!
「キャンピングカー」です!!!
…………
「????」
「え…???キャンピングカー??」
「なにそれ意味が分からない…」
……となった方がほとんどだと思いますので
簡単に説明させていただきますと……
私は、キャンピングカーを購入することが夢の一つでもあるのですが
今回はなんと…!
2月初旬に「キャンピングカー」をレンタルして、泊りがけでロケハンに行ってきたのです……!!
(一泊二日で約6万円…!!
めっちゃ奮発しました…!!)
ではなぜ、そんなことをしたのか…??
それは…
「楽しそうだったから!」
というのが理由の一つでもありますが、
重要な理由としては、
私は毎回、神様を制作するにあたり
ロケハンなどの取材を行っているのですが、
今回は、制作に取り掛かる前から、
なんというか……
ある一つの予感があって……
「ヤバイこれ……絶対時間かかるやつだ……」
「日帰りでは、ロケハン回り切れないどうしよう…!」
という理由から、
「あ…!そうだ…!!」
「日帰りで無理なら、
泊りがけでロケハンすればいいじゃない!!」
との安直な考えから、
キャンピングカーをレンタルすることになりました!
今回はその時の様子も少し触れつつ、
制作雑記を展開していきたいと思います…!!
また、
今回のメインは#006の神様になるのですが、
ロケーション的には
#007以降の神様とも深く関わり合いがあり、
とても、切り離して説明することは出来ず、
一部、関係なさそうな事でも
ちらほらと紹介させていただいてます。
「#006以降の神様は関連性のある神様……!」
と、
今後を予想する一助としても
楽しんで見ていただけたらうれしいです。
それでは、
全力で読んでも1時間以上はかかる制作雑記ですが、
もし宜しければ、お付き合いいただけるとうれしいです。
「富士山」と
「水」と
「洞穴」のお話です!!
よろしくお願いいたします!!
【洞水天玄根(どうすいてんくろね)】
天地神名シリーズ第六作目の創作神様は
齢(よわい)300歳以上~数百万歳以下…!!(??)
富士山の地下に潜む「見えない川」「巨大な水瓶」
「溶岩洞穴」(ようがんどうけつ)
そして
「地下水脈」(ちかすいみゃく)
の神様になります!!
【きっかけは忍野八海(おしのはっかい)】
富士山から北東部、
山梨県から見たら南東部、
富士五湖の一つ、山中湖から
ほんの少し北に進んだところに、
とんでもなく綺麗な湧水池(ゆうすいち)があります。
その名は
「忍野八海」(おしのはっかい)
およそ数百年程前から、
主に「富士講」(ふじこう)
と呼ばれる富士山信仰の講社に属する道者さんたちが、
禊(みそぎ)や水行(すいぎょう)
などを行うために訪れた巡礼地だそうで、
そこは、
富士山をバックに底まで見通せる透明な水をたたえた、とても神秘的な池々がひしめきあう
「霊場」になります。
*富士講の道者さんたちは、今ではその数は減ってしまったそうですが、現在でもちゃんと残っており、
かつての信仰、文化を受け継いでいらっしゃるそうです。
忍野八海は
富士山や周囲の山々の伏流水を水源とした湧水池で、
かなり有名な場所だと思うので、
知っている方は多いかなと思います。
特に、休みの日に訪れると、
たくさんの観光客が池々をめぐる姿が見られ、
八海を囲むように、地元の特産品や、
食べ物、お土産などを販売するお店が
林立(りんりつ)しています。
さて、
忍野八海にはどんな池があるのか?
簡単に八つの池を紹介したいと思います!
まずは
出口池(でぐちいけ)です
お釜池(おかまいけ)
底抜池(そこなしいけ)
銚子池(ちょうしいけ)
涌池(わくいけ)
濁池(にごりいけ)
鏡池(かがみいけ)
菖蒲池(しょうぶいけ)
そして、これら全ての池に
「八大竜王」(はちだいりゅうおう)
という、
仏教の龍神様が祀られています。
そして、八海には含まれていませんが他にも、めちゃくちゃおっきくて綺麗な池があり、
むしろ、こっちの方が賑わっていたりします。
今回、私が神様を描くきっかけとなったのは、
この忍野八海の一つ
「涌池」(わくいけ)
を見たことから始まるのですが、
涌池(わくいけ)はおそらく、忍野八海に訪れた際に、一番最初に出会うであろう池だと思います。
涌池(わくいけ)の透明度と神秘的な情景に、初めて来た人は、きっと心奪われ、この場所が好きになることでしょう。
かくいう私もその一人で
涌池(わくいけ)の色は、コバルトブルーというか、
エメラルドグリーンというか……
透明なのに強い青色を発していて、
塵や異物が浮いている様子はなく、
鏡のように、
空と、雲と、周囲の景色を反射して映し、
水の色と、
それらたくさんの色を混ぜ合わせたかのような色彩は、
見ていると吸い込まれそうな、
そんな衝動を感じました。
「時間があれば一日中でも見ていられる気がする…」
自然とそう思えてしまう程、
素晴らしい場所だと思いました。
【涌池(わくいけ)の湧水】
涌池の湧水量はとても多く、
八海の中でも一番だそうで、
実際に調べてみると、
1秒間に2.2立方メートルもの湧水が供給されているとのこと。
「1秒間に2.2立法メートル…??」
はて……。
いまいちその量がピンと来なかったので、
自宅の水道水で比較してみることにしました。
お風呂場の蛇口をMAX全開にして水を流し続けてみると、
1分間におよそ18リットルほどの水が貯まりました。
●我が家のお風呂場蛇口の流量:1分間に18リットル
涌池の湧水量は計算すると、
1分間に132立法メートルとなるので、
それをリットル換算すると………
●涌池の湧水:1分間に132000リットル
「!!??」
「…13まん2せんりっとる……!!!???」
なんですかこれ…ちょっと何言ってるかわからない……
桁が違います……
というか、自宅の水道と比べるのもどうかと思いましたが、
とにかくぜんぜん違います……!
その差はなんと
自宅の水道の7333倍!!!(?)
(計算が違っていたらスミマセン……)
5日間ぶっとおしでお風呂場の蛇口を開けっぱなしにして出す水の量を、
たった1分間で出してしまう涌池(わくいけ)
これだけでもう、なんというか、
大自然の驚異を感じずにはいられませんでした。
「このような大量の水、一体どこから……。」
もちろん湧き水なので、
当然答えは地下からなのですが、
私はその時こんなことを想像していました…。
地下で淡々と、膨大な水を運びつづける、
見えない巨大な川が確かに存在する……。
「…………」
それは私に、
畏怖の念を呼び起こさせました。
地表を流れる、目視で確認できる大河であれば、
「おっきいなー、すごいなー」
と感動し、そして
その雄大さを写真に収めたりするのですが、
地下水脈については、まず
「見えない…!!」
そして、
「どうなっているか全くわからない…!!!」
当然、写真なんかには撮れません。
でも、いっぱい水出てるし、
きっと凄い水脈が足元の地下に広がっているはず……!!
でも、よくわからない…!
……………
そこには、
暗闇や、
先のことが見通せない時に感じるような恐怖があって、
「もはや人知の及ばない領域…?」
とも、感じました。
事実、
涌池(わくいけ)には地下水脈へと繋がる横穴があって、
何度かテレビの取材で潜水調査が行われたそうです。
【涌池の地下水脈】
NHKスペシャルで取り上げられた内容では、
地下水脈の長さはおよそ50Mで、
内部は複雑に入り組んだ迷路のようになっており、メインの水脈につながる水路は11か所も見つかったとのこと。
水脈内の映像では、
まるでそこに水があるのを忘れてしまうほどの空気のような透明度で、
一度も空気に触れることなく湧水で満たされ続けた洞穴内は、神秘的としか言えない姿を保っていました。
そして、ただ綺麗なだけではなく過去には、
自然の驚異を思い出させるような、
痛ましい事故もあったそうです。
―今から約35年前
某テレビ局に属するカメラマンの二人が、
水中撮影をするために忍野八海の水中洞穴に潜っていったそうです。
二人はベテランのダイバーだったそうなのですが、命綱を付けていなかったようで、
潜水を開始してから30分……
帰還予定時間を過ぎても
二人は戻ってこなかったとのこと。
その後、1時間を過ぎても彼らが浮上してくることはなく、
そのまま行方不明に……。
……おそらく、
洞穴内の入り組んだ地形に迷い
出口が分からなくなったためだと言われています。
ご遺体の捜索は難航を極め、
最終的に発見、回収されたのは
事故発生から5日~2週間(?)程
あとだったそうです。
洞穴のような閉所では、
心理的負担が大きくなり、ましてや水の中……
入り口や出口が見えなくなったり、
塵や堆積物で視界がなくなると
恐怖で呼吸が乱れ、
過呼吸に陥り、
パニックを起こすことがあるそうで、
そうなってしまうと
酸素の減りがどんどん早まっていくのだとか……。
私はダイビングはやったことがありませんが、想像しただけでも、息が苦しくなるような錯覚を覚えます。
そしてこの事件の後、
忍野八海では原則、潜水禁止となったそうです。
涌池(わくいけ)では、たまたま見える位置に横穴があり、
人が入れる水中洞穴として存在していますが、他の湧水池もまた同様に水源を持っており、
もとをたどればそれは、
富士山から流れてきた地下水になります。
水源は、
富士山の2000Mの位置からとされ、
雨や雪解け水などが地下にしみ込み、
湧水となって忍野八海に湧き出るまで、
約数十年程(20年程)掛かると言われています。
「20年…!!」
つまり今湧き出ているのは2002年頃の水で、
そのころの私は何をしていたのか……。
そんな取り留めのないことを考えたりもしました。
そして忍野八海は、
富士山周辺に存在する湧水地のほんの一部の話です。
富士の裾野には100を超える富士山由来の湧水があると言われていて、
富士山を中心に、周囲ぐるりと360度、
全方位に向かって張り巡らされた
「見えない川」
溶岩洞穴、地下水脈の根が地下にあると想像すると、
その実態はもはや、
人の力では計り知ることはできないものであって、
そこに、神性を感じずにはいられませんでした。
【富士山周辺の湧水地】
ここで富士山周辺の、有名な湧水地を
いくつか紹介したいと思います!
まずは何といってもここ……!!!
「湧玉池」(わくたまいけ)
全国におよそ1300社あるとされる、
富士山をご神体とした浅間神社(せんげんじんじゃ)の総本宮、
「富士山本営浅間大社」(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)
その本殿から脇に抜けたところにある池。
「湧玉池」
こんこんと湧き出る富士山の伏流水で形成されたその池は
古くから禊(みそぎ)の場とされ、
富士山を登拝(とうはい)する富士講などの道者さん達が、ここで水垢離(みずごり)をし、体を清めた後、
俗界との縁を切り、
神域である富士山へ登っていったとされています。
湧水は、
幾層にも重なる地下溶岩の隙間を通り抜け、
数十年(15年?)もの歳月を経て地表に湧き出ると言われていて、
その量は、一日でなんと20~30万トン……!!
水温は一年を通して約13℃とされ、
冷たい清流中にしか育たない「バイカモ」という、水中花が根付いているのだそうです。
*梅の花に似ていることから「梅花藻」(ばいかも)と呼ばれるのだとか。
バイカモは春から夏ごろに花を咲かせるようなので、機会があればぜひ、観に行きたいなと思います。
そして、湧玉池から南に流れた湧水は、
神田川とよばれる一級河川を形成し、潤井川と合流し、やがて海へと流れていきます。
(湧水だけで一級河川を作るとか凄すぎます……)
水源近くにある「水屋神社」では
竹筒から勢いよく流れる湧水を汲むことができるのですが、
飲料用とする場合は煮沸が必要とのこと……。
すごい綺麗だったのに、そのまま飲めないだなんて……残念…!!
そして、かつて太古の時代には、
「山宮」(やまみや)という、
より富士山に近い所に
「遥拝所」(ようはいじょ)
という形で、
浅間神社があったそうなのですが、
この「湧玉池」の水の御神徳(ごしんとく)を頼りに、
今の場所に遷(うつ)ってきたとのこと。
時は平安、
西暦806年
実はその時代、
富士山はめちゃくちゃ噴火していて、
遷座(せんざ)はその数年後の事だったそうです……。
【柿田川湧水群】(かきたがわゆうすいぐん)
「こんな所に湧水地が…!!??」
でおなじみ(?)の柿田川湧水群です!!
ここもきっと有名かと思います…!
その理由はなんといってもアクセスの良さ!
天下の国道、
1号線の真横にある湧水地です!
「1号線ってあの、バンバン車が走っている…??」
「そんなところにある湧水地って、なんかちょっと汚れてそう……」
いえいえ、そんなことはありません!
まったくもってその逆。
めちゃくちゃ綺麗です…!!
ここには自由に汲んで飲める湧水があり、
しかもタダで汲み放題…!!!
それに、地元の人たちにとても愛されている場所だと感じられました!
私もキャンピングカーでのロケハンは
まず最初にここを訪れたいと思っていて。
案の定、
「これぞ湧水!」
を肌で感じられるすばらしい場所で、
来てよかったと思いました!
柿田川湧水群は丁寧に整備されていて、
観光地化されています。
駐車場からほど近い場所には、
水汲み場もあって、
ポリタンクをいくつも抱えた人が、
じゃんじゃか湧水を汲んでいる様子が見られました。
私もさっそく汲んで飲んでみましたが、
とにかくまろやか(?)で美味しかったです…!!
柿田川湧水群は、
「湧き水」
をベースとして、
その地域の歴史ある建物や
お土産屋、飲食店、公園などが統一感を持って整備された観光地です。
駐車場から順路へ進み、
「湧水の道」
という通りを進んでいくと、
歴史ある建物や、庭園、湧水など
心地よい景色に癒されながら散歩することができ、
地面から砂利を巻き上げて水が湧き出る
「湧き間」
を見られる展望台や、
湧水と一体となった森の中を歩くことができます。
あんまり居心地がよかったので、
しばらくここでゆっくりしていたいなー
と思ったのですが、
ロケハンの旅は、時間との戦いでもあるので、ぐるっと一巡だけして次の地へと出発しました。
【柿田川湧水群の湧水量】
柿田川湧水群の水源は
数十か所あるとされ、
水温は約15℃
一日約100万トンもの水が湧き出ているのだそうです。
「!!?」
「いちにちひゃくまんとん……!!???」
「さっきの湧玉池(わくたまいけ)の3倍以上……?!!」
「そもそも…100万トンって…」
「いったい何リットルなの……??」
……私の脳は考えることをやめたので
電卓に計算してもらったところ……
100万トンの水 = 1000000000リットルの水
わぁい、ゼロがいっぱいだー!(白目)
この量を毎日絶え間なく出し続ける柿田川の湧水ヤバイ…。
そして、その水は
静岡県東部、
35万人の飲料水用としても使われているそうで、
その量は毎日30万トン。
そして残りの(70万トン)は、
そのまま流れて
川を形成しているのだとか…。
「人間たちがいっぱい使って残ったお水は、
その後おおきな川になりました。」
とか…
もはやスケールが大きすぎて、
神話の一節かな?
と思いました。
ちなみに、柿田川湧水群は
「東洋一の湧水」(量)
と言われることもあるそうで
現代に残る
とにかくすごい湧水地なのです。
―さて、
残った水こと「川」ですが、
湧水は南に流れ、
日本一短い一級河川、
「柿田川」
を形成しています。
実は、この川
長良川(ながらがわ)、四万十川(しまんとがわ)と並び
「日本三大清流」
と呼ばれていて、
柿田川は、
河川そのものが天然記念物に指定されている
とても珍しい川なのだそうです。
そしてここにもバイカモ(梅花藻)が。
*正確には「ミシマバイカモ」と言うそうです。
これら大量の湧水は、
数千年前(約8500年前?)に富士山から流れ出た
「三島溶岩流」(みしまようがんりゅう)
の中を通り、
数十年の時を経て湧き出ているそうですなのですが、
この溶岩は、
富士山からおよそ30kmという
とてつもない長い距離を流れてきたそうで、
イメージとしては、
東京駅からだいたい横浜駅くらいまで
溶岩が流れた感じでしょうか。
(溶岩ってそんなに流れるんだ……。)
怖すぎます………。
昔、どこかの海外のテレビで、
自分の家に向かって流れてくる溶岩に、
植木用の散水ホースで立ち向かう
勇敢な人の映像を見たことがありましたが、
溶岩は水をかけ続けても一向に止まる様子はなく、
そのまま確か、溶岩は家を飲み込み、
燃やし尽くしてしまった記憶があります……。
「溶岩ヤバイ……」
と
その時感じたこと、をふと思い出しました。
というか、溶岩だけじゃなく
大自然、強すぎてヤバイですねほんとに……。
昔の人が大自然に神様を見た気持ちも、
なんとなく分かるような気がします。
そして、
ここでちょっと道は外れて余談ですが、
今でこそ名水百選、天然記念物に選ばれている超絶綺麗な柿田川湧水群ですが、
その昔は……
……といっても数十年くらい前ですが、
実は、
川がめっちゃ汚染されていた時期があったそうです。
というのも、
柿田川周辺にはかつて、
紡績工場などの化学工場が進出していたようで、
廃水などのたれ流しにより水質が悪化、
ヘドロで清流は荒れ果て、
「死の川」
になりかけたとのこと…。
それを、地元の方達が団結して、
清掃や募金などによる土地の買い上げや、
何十年にもわたる活動の末に、
今現在の景観が保たれているとのことでした。
当時は経済優先で、
環境問題には理解を得られず、
こういった活動を続けていくうえでは、
大変なこともあったのではないかと思います。
今でも柿田川に残っているコンクリートのパイプは、当時の紡績工場の名残だそうで、
今では
「ブルーホール」
などと呼ばれているのだとか。
さらに余談ですが、
現在進行形で「死の川」になりつつある川が、山梨県と静岡県にあります。
それは
「富士川」です。
駿河という地名の元になったといわれる
日本三大急流、富士川。(諸説あり)
万葉集(まんようしゅう)でもその名を目にすることができ、
当時の人たちは、
「富士山の水が富士川に注がれていた」
と考えていた様子も見て取れます。
なぜ富士川がそうなってしまったかについては、
ここで詳しく触れてしまうと、
さらに大変な文字数になってしまうのでやりませんが、
気になった方は調べてみるといいかもしれません。
今後、この問題がどうなっていくのか。
この地に住む者の一人としては、
注視して、何かできることがあれば力になりたいなと思いました。
【富士五湖】
「エッ…??」
「湖!??」
「湧水なのに湖……!?」
「って……話それてない?」「大丈夫…!!?」
……はい……!!大丈夫です!
出てます…………湧水……!!
湖の
「どこか」から…!!
富士五湖とは、
「本栖湖」(もとすこ)
「精進湖」(しょうじこ)
「西湖」 (さいこ)
「河口湖」(かわぐちこ)
「山中湖」(やまなかこ)
と呼ばれる富士山の周辺にある湖の事です。
とくに有名なのは本栖湖でしょうか?
人気アニメ「ゆるキャン」の第一話の舞台が
「本栖湖」で、
その舞台になった本栖湖のキャンプ場は、
人気が出すぎてしまい、
なかなか予約が取れない聖地と化しています。
(いつかキャンプしてみたい……)
そして、湧水については
はっきりとした湧き場所までは分かりませんでしたが
富士山由来の湧水が、それぞれの湖底から
ふつふつと湧き出ているのだそうです。
そして太古の昔、富士五湖は
富士山噴火時の溶岩で分断されるまでは、
「せの海」
という
とても巨大な湖が
富士山の北側にあったとされ、
さらに大昔には
「古せの海」(こせのうみ)
という、
本栖湖、精進湖、西湖が一体となった超巨大湖
もあったそうです。
他にも、
富士山北東部にも
「宇津湖」(うつこ)(諸説あり)や
「忍野湖」(おしのこ)という
おっきな湖があったとの事で、
こちらも、今では無くなってしまったのですが、古代のロマンあふれる情景を妄想させてくれます。
そして、
富士五湖同士は、
「ひょっとして地下で繋がっているのではないか??」
という話があり、
特に、本栖湖、精進湖、西湖は、
お互いの水位が連動していることから、
高い確率で繋がっている…!
……のだそうです。
河口湖と山中湖は水面標高が全然違うので望みは薄いそうですが、
「山中湖」と
最初に紹介した「忍野八海」(おしのはっかい)は、
「もしかしたら地下のどこかで繋がっているんじゃない??」
的な、
伝説めいた話もあったりします。
まぁ……真相については分かりませんが、
そう考えるだけでもワクワクするのです。
【駿河湾】
「駿河湾って……」
「え…??」
「これ…」
「海ですよね……?」
「湧水じゃないですよね…!?」
「……??」
「出てるの…!?湧水が……!!?」
「ほんとに…??」
出てます湧水…!!
ちゃんと海底から…!!
大丈夫です…!!
太古の昔に富士山から流れ出た溶岩は、
ずんずんと南へと南下し、
最終的には駿河湾にも到達しています。
そして、三島溶岩流のように溶岩の中を通って流れてきた地下水が、
海底にある溶岩の切れ目から湧水となって
海中に湧き出しているのだとか。
海中の成分を分析すると
ちゃんと湧水由来の成分も検出されるそうです。
まさに海 vs 溶岩…………神々の戦い…!!
散水ホースで溶岩に立ち向かった人が、
なんとなく神々しく思えてきました。
でも実際はとても危ないと思うので、
溶岩に遭遇したら必ず逃げるようにしましょう。
【白糸の滝、陣場の滝】(しらいとのたき、じんばのたき)
「白糸の滝」は富士山の西側にある、日本三大名瀑の一つで
「陣場の滝」は、白糸の滝の北に位置する、白糸の滝より小さい滝ですが、
近くまで行って触れる、身近に感じられる滝です。
通常、滝は
川とか湖の一部が、
段差になっていて、
そこから水が流れ落ちる姿のことを言うと思うのですが、
この「白糸の滝」は違っていて、
川とか湖とかじゃなく、
まさに
「溶岩の隙間」から
富士山由来の地下水が
「噴き出して」いて、
そして流れ落ち、
滝となっています。
その様子が、
美しい絹糸を垂らしたように見えることから「白糸の滝」と呼ばれているそうです。
「陣場の滝」は白糸の滝と同じく、
溶岩の隙間から噴き出る水と、
川から流れ落ちる水の合わせ技で滝を成しています。
陣場の滝の名前の由来は、その昔、
時は鎌倉時代、
「源頼朝」(みなもとのよりとも)が
「富士の巻狩り」(ふじのまきがり)という、
かつてのコミケで集まった人数と同じくらいの
御家人(ごけにん)たちを全国から一か所に集めて(約70万人)
(諸説あり)
猪や鹿などの獲物を
取り囲みながら追い詰めて、
仕留めるという、
もうスケール感が良くわからない
めちゃくちゃ壮大な狩の事です。
その、「源頼朝」の一行が、
この滝の近くで一夜の「陣」を敷いたことから、この名前が付いたとされています。
私も過去、
何度か白糸の滝を見に行ったことがありましたが、その時は特に何も考えずに見ていたので、
「わぁ。凄い滝だなー。綺麗~!」
「さぁ、お土産見て帰ろう。」
と、なってしまったのですが、
「溶岩の隙間から噴き出る、大量の富士山の地下水」
という点を意識して見ると、
なんというか、
また違った感慨深さを感じるようになりました。
そして、白糸の滝の横には、
「音止めの滝」
というもう一つおっきな滝があって、
「日本三大仇討」(にほんさんだいあだうち)の一つ
「曾我兄弟の仇討ち」(そがきょうだいのあだうち)に
ちなんだエピソードもあるとされています。
これも「富士の巻狩り」に関連するお話なので、
気になった方はぜひ調べてみると楽しいかもしれません。
【神池】(かみいけ)
そして最後にもう一つ、
もはやこれは伝説の類なのですが……
伊豆半島の左上にぴょっこりと飛び出た不思議な池の話です。
「大瀬神社」という神社の鳥居を通り過ぎて、入り口でお金を払うと見ることができる神域、
伊豆七不思議にも数えられる伝説の池
「神池」
下の写真を見て頂くとわかるように、
周囲を海に囲まれた不思議な地形の池になります。
海と池の距離は、近いところでは20mほどしかなく、天候によっては海水が池へ吹き込んでくるそうで、
「海の水が溜まったり、海水が浸透して池になったのかな?」
と想像してしまいがちですが、
実はこの池の水、
「淡水」
です。
「海の水は定期的に入ってくるのに、なぜ淡水…」
池にはめっちゃたくさんの鯉もひしめき合っていました。
……謎です…!
その昔、
神様が土佐(高知県)の土地をここまで引っ張ってできた、との伝説もあり、由緒ある場所でもあります。
ではなぜ
「海水がたまに入っちゃうのに淡水なのか?」
については、
「神聖な池なため、調査ができない…!」
とのこと。
一節には、
富士山の湧水がこの池のどこからか湧き出ている
との話もあるようですが、
調べることは出来ず、
真偽のほどはわかりませんでした。
ただ、
先ほど紹介した柿田川湧水群もけっこう近く、神池と富士山の位置関係を見比べると、
「もしかしたらワンチャンあるかも…!?」
と妄想が捗ってしまいましたが、
果たしてどうでしょうか……!
大瀬崎は有名なダイビングスポットでもあるそうで、
2月のとても寒い時期なのにもかかわらず、たくさんのダイバーさんたちを見かけました。
天然記念物である「ビャクシンの樹林」も見られますので、気になった方はぜひ足を運んでみてください。
―というわけで、
いくつか有名な場所を紹介させていただきました。
しかし湧水地は、他にもたくさんあって、
全部をここで紹介することはできませんでした。
なので、もし湧水に興味がわきましたら
是非、調べてみてくださるとうれしいです!!
【 水 】
命の水……。
生命が生きて行くためには、
絶対必要不可欠なもの。
水……
みず……
農業用水…
工業用水…
生活用水…
人間が、一日で使う水の量は、
一人で300リットルだとか……。
「300リットル…!!?」
思っていたよりも多い……!
「飲むだけなら一日2リットルくらい??」
そんなイメージでしたが、
あらためて調べてみると、
水の使用量って半端ないですね……。
「日本人は水と安全はタダで手に入ると思っている」
と、
誰かが言ったこんな言葉を思い出しました。
調べてみると
「イザヤ・ベンダサン」
という方だそうで、
ペンネームの由来がまた面白く、
ある意味水に関わっている(?)
と言えなくもないかもしれません。
「いやいやタダじゃないよ!ちゃんとお金払ってるよ!」
という反論はもちろんありますが、
海外の人と比べたら、
きっと日本はそうなのだろうな、
と妙に納得もしてしまいました。
とにかく安全でおいしい水を、
毎日滞りなく使えている現状に、
あらためて感謝する気持ちがふつふつと沸いてくるのでした。
そして、今も昔も、
変わらず水は大切なもので、
太古の時代には当然、
「上水道」というものはなかったわけですから、
川や池、湖、湧水地など、
とにかく、水辺のそばに集落を作り、
生活をしていたのだと思います。
先ほど紹介させていただいた柿田川のそばにも、縄文時代や弥生時代の人たちが住んでいた形跡が見つかっていて、
富士山周辺の溶岩洞穴の中にも、
水を求めて生活していた人たちの土器などが見つかっています。
「万物の根源は水である」
―そう唱えた古代ギリシャの哲学者がいましたが、
結果的にそれは間違いではあったのですが、
ただ、
当時の人たちからすれば、
そう考えてもおかしくない程の重要性を
水に見出していて、
それほど水は、
ありとあらゆるものの根幹に
必要不可欠であると認識されていて、
日本神話でも、
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)は、
海(水)から国を生み出していたり、
水に関わる神様もとにかく多く、
両指では数えきれないほど
とにかくたくさんいらっしゃいます。
かつて縄文、弥生時代に広がった稲作文化は、水とは切っても切り離せない関係でした。
水の多寡(たか)によって、
作物の出来栄えが変わったり、
荒れ狂う川の氾濫によっては、
命を失う事さえある…。
生活がより水に近くなった分、
それだけ、水に関わる願いや、
「感謝」
「畏れ」が
大きくなっていったのではないかと、
そんな風に思いました。
一方日本神話では、水に関わるこんなお話があります。
伊邪那美命(いざなみのみこと)が亡くなり、
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は愛する妻を取り戻そうと
黄泉の国(よみのくに)へと訪れた時、
伊邪那美命(いざなみのみこと)の体は既に腐り、蛆が湧いていて、
変わり果てた妻の醜い姿を見て驚いた伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は、
現世(うつしよ)へ全力で逃げ帰りました。
なんとか黄泉の国から帰還した伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は、
穢れた身を清めるために、
水の中で禊祓(みそぎはらい)を行いました。
このように
「水で清める」
という行為は、
神社仏閣で、お参りする際の
「手水」(ちょうず)などの習わしにも残っていて、
神道の「大祓詞」(おおはらえのことば)
でも、水による
「罪穢れ」(つみけがれ)
を浄化する描写が出てきます。
【大祓詞】(おおはらえのことば)
大祓詞とは、
先ほどの伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の
禊祓(みそぎはらい)を起源として、
一年に二回、
6月と12月に行われる固有の神事で、
社会全体における罪穢れ(つみけがれ)や、
災厄を取り除く、
祓(はらえ)といわれていて、
重要な儀式の一つとされています。
内容についてはとても長いので割愛しますが、浄化の部分だけ大まかに説明しますと、
祓戸大神(はらえどのおおかみ)
という4柱の神様がいらっしゃって、
その神様たちが次から次へと、
災いや、罪穢れを、
川から海にむかってバトンリレーしながら
浄化していく様をうたっています。
最後は
「根の国・底の国」という
海の底、地下深くにあるという場所に、
災い、罪、穢れを落とし込み、
最後の神様が、それらをさすらって消える。
という内容になります。
水による禊祓(みそぎはらい)は今でも残っていて、
特に富士講などの富士山に登る道者さんたちが
水垢離(みずごり)をしてから、
富士山の登拝(とうはい)に臨むそうです。
北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)では、
6月30日に大祓詞(おおはらえのことば)を奏上したあと、
「お道開き」という神事を行い、
翌7月1日に、
晴れて富士山の開山を迎えます。
「身を完全に清めてから、富士山に登る…!」
富士山とはかつてそういった神域であって、
心や身の穢れ(汚れ)を持ったまま富士山に登ると、
「お改め」(おあらため)
という、
富士山に吹き荒れる凄まじい風などによって、生命を落とす。
また、本当にそういった目に合う人が少なくなかった、
とも言われているそうです。
【 富士山と湧水 】
水の次は、
富士山に目を向けていきたいと思います。
富士山は3776Mの日本一高い山ですが、
他の山にはあって、
富士山には無いものがあります。
それは何でしょうか。
「……えーと……なんだろう……」
「木…?」
「とか……それとも土……?」
探せばたくさんあるような気はしますが、
代表的なものとしてはこれです。
「 川 」
「えッ…!?富士山って川ないの???」
そうです…!
富士山には川がありません……!!
正確に言えば、
恒常的に山肌を流れる川がありません。
下の「川だけ地図」をご覧ください。
日本列島に流れる川だけで構成された日本地図らしいのですが、
まるで毛細血管のように日本中のあちこちに川が張り巡らされていて、
迷路のようです。
ほんと、あちこち川だらけで凄い……
というか、これを作った人が、凄い……
古代の人が川を龍と例えたのも
なんとなく分かるような気がします。
この地図を見るとわかるように、
富士山から離れた麓(ふもと)では、
富士山の湧水を源流とする川がたくさんあるのですが、
肝心の富士山の部分だけは
見事にぽっかりと川がないことが分かります。
いえ、あるにはあると思うのですが(地下に)
地表を見て、
「目に見えて流れる川はない」
ということなんですね。
これにはちゃんとした理由があって、
富士山は
「玄武岩質」
という溶岩や噴出物で形成された「成層火山」というものになるそうですが、
現在の富士山の表面土壌は、
玄武岩を中心とした溶岩や、穴が開いた多孔質の火山噴出物
「スコリア」と呼ばれる
赤黒っぽい石のような、
砂のような粒子状のものが多く、
富士山に降る雨や雪どけ水は、
川や池になることはなく、
地表にどんどん染み込んでいってしまうのだそうです。
一部偶然が重なり、
短期間だけ沢や滝を形成する場所もあるそうで、
そこは
「まぼろしの滝」とも呼ばれているそうです。
富士山の山肌に吸い込まれた水は、
幾重にも重なる玄武岩の層を、
長い時間を掛けて通るうちにろ過され、
加圧される形で溶岩の切れ目などから噴出するものが湧水となります。
ろ過される過程において地下水は、
「バナジウム」などの様々な成分を獲得し
理想的なバランスとなって、
おいしい水として人々にその恵みを分け与えてくれています。
先ほど取り上げた
「忍野八海」
や、その他の特定の湧水池では、
延々と湧き出る湧水口に人々が集まり
ペットボトルや、ポリタンクなどに湧水を注ぎ入れて持ち帰る姿をよく見かけました。
ミネラルバランスもまさに理想的だそうで、
ここら辺の調整力もなんというか……
「神がかっている」
としか言いようがありませんでした。
まとめると地下水は、
かつて富士山が噴火した際に、
麓まで流し広めた、溶岩の隙間を通り、
遠くは40kmという距離を流れ
数十年という時を経て、
地表に湧き出す大自然の、
奇跡の恵みなのです。
【富士山の成り立ち】
富士山は現在も活動を続けている「活火山」です。
過去に起きた噴火によって、
その美しい稜線(りょうせん)が形成されたことは広く知れ渡った事実かと思います。
ですが、
「富士山が一体いつから存在し」
「どういった噴火史を辿ってきたのか?」
そこらへんの詳細はほとんど、というか、
まったく知らなかったので、
これをいい機会として
色々と調べてみることにしました。
【富士山は「四階建て」】
現在分かっている事実としては、
富士山は
4つの火山が重なるようにして形成されたとのことで
ただこれは、結構最近になってわかった事実でもあって、
数十年前は、
「富士山は三階建て」と
呼ばれていたそうです。
つまり「富士山四階建て」は
比較的最新の情報になります。
ひょっとしたら、さらに数十年後は
「富士山は五階建て」になっているかもしれません…。
話を戻しますと、
現在、毎日のように目にすることができる富士山は、
富士山の噴火史では
「新富士火山」(しんふじかざん)
という名称で呼ばれていて、
その新富士火山の下には、
「古富士火山」(こふじかざん)
があり、
その下には
「小御岳火山」(こみたけかざん)
さらに下には
「先小御岳火山」(せんこみたけかざん)
と続き、
3つの火山が埋まっています。
富士山は世代を重ねるごとに
噴火と崩壊を繰り返しながらどんどんと大きくなり、
今では日本一の高さになりました。
火山の寿命から見ると、
富士山はまだ若い火山と言われていて、
こらからも活動を続けていくと考えてもおかしくはありません。
あと数百万年もすれば富士山は
世界一高い山になってたりするのでしょうか…。
そのころには確実に私は生きてはいませんが、
富士山の行く末には色々と気になることが多いのは事実です。
そして、
上記4世代の火山の活動期についてもまとめてみましたので、下記に紹介したいと思います!
*調べてみると、なにやら色々と幅があって、おそらくは、これぐらいの時期かなーと思います。
先小御岳火山:約数百万年前~数十万年前(?)
小御岳火山 :約数十万年前
古富士火山 :約10万年前
新富士火山 :約 1万年前~現在
あらためて、
スケール大きすぎ…!と言わざるを得ません。
数十万年前と言われてもイマイチよくわからないですね……。
比較になるか分かりませんが、
縄文時代が今から約16000年~約3000年前の出来事だったらしいので、
数十万年前は、さらにその何十倍も昔になります!
…………
(逆にわかりづらい……!!)
……とにかく、富士山の歴史は長い!!
その事が分かっただけでもよかったと思いました。
そして、
先ほど触れた、
「縄文時代には既に富士山周辺に人が住んでいた」
という話について、
当時、縄文時代の人たちは、
すでに富士山を信仰していた…??
との痕跡も見つかっているそうで、
当時は、富士山という概念……名称はなかったでしょうから、
「この山おっきくて凄いな~……!!」
的な感じで、
目の前にある雄大な山に、
何かしら感じ取るものがあって
何かしらの儀式を行っていたのかもしれません。
(ちなみにこの時代にはまだ、今でいうところの神様はいなかったとされています。)
「自然崇拝とアニミズム」
山、川、動植物、自然現象
ありとあらゆるものに霊魂や精霊が宿っていたと信じられていた、
学校の授業で習った縄文時代のアレです。
調べていたらなんとなく思い出しましたが、
現代においては、
ある程度の事柄(ことがら)は科学的に証明できるようになりましたが、
地震や雷、噴火や大雨など、
大昔の人たちから見ればそれは、
「どうしてこんなことが起きるのか!!?」
「わからない…!!」
「タスケテ…!!タスケテ…!!」
的な感じで、
めちゃくちゃ怖かったのだと思います。
そもそも
「なんでここに山があるの??」
など、
その成因や原点を求めても、
到底当時の人からは、計り知りえるものではなく、
人知の及ばぬ強大な力、
精霊的な何かでなければ造形することは出来ないと本気で信じ、
人間以外の
「めっちゃすごい力」
を感じ取っていたのだと思います。
そうやって生まれたであろう「伝説」や、「伝承」は
富士山の成因についてはたくさん残っていて、
縄文時代からだいぶ進んだ神話の時代には
例えば、「ダイダラボッチ」
と呼ばれる巨人の伝説があります。
その内容をざっくりと簡単に紹介しますと……
二人の巨人が競争して山を作ることになり、
一人の巨人が一晩にして、土をガンガンに盛り上げて
富士山を作り上げてしまった。
―とまあ、こんな感じの内容になります。(ざっくりすぎ)
これには、様々なパターンがあるようで、
ダイダラボッチが富士山を作り上げた時に使った大量の土は、
「近江(滋賀県)」
から持ってきた、
というパターンのお話があり、
その時、地面をほっくりかえして出来た大地の窪みが、
のちの
「琵琶湖」
になったとの神話になります。
昔の人の想像力はおおらかで、
ユーモアにあふれ
とにかくスケールが大きかったのです……!!
富士山の成立年代についても伝説があり、
これはもう伝説というか……
江戸時代では江戸の庶民の間で通念とまでされていたようですが、
それにまつわる川柳が残っています。
「孝霊五年あれを見いあれを見い」
孝霊5年とは、
孝霊天皇(紀元前290年~前215年)の御代、
紀元前286年に突如…!
近江の地面がザックリ割れて琵琶湖となり、
駿河にドカンと地面から
突然、富士山が隆起して出現した
と伝えられていて、
それを見て慌てふためく人々の様子を、
有名な葛飾北斎も、富嶽百景に描いています。
さきほどのダイダラボッチと同じく、
ここでもまた、琵琶湖と富士山の繋がりが見られました。
現代の人間からすると、
「こんな突拍子もない話、到底あり得ない…!!」
と思うのはしごく当然ですが、
当時、江戸時代の人々は、
学者さんでもこの説を信じる人がいたようで、
登山して富士山の天候が荒れると、
「近江!近江!」
と叫んで、山の神様を鎮めたとの話もあります。
そしてこの伝説は、
今でもしっかりと息づいており、
この伝説を発端に、静岡県の富士宮市と近江八幡市は「夫婦都市」という提携をされているようで、
現代でも琵琶湖の湖水を汲んで富士山に登り、
これを富士の頂上に撒き、捧げ、
帰りには、富士山の霊水を持って
下山してくるという行事があるのだとか。
もとはただの伝説であっても、
その伝統が今でも活きた形で残り、
そして続いているの見ると、
ただ単純に、
「あり得ない」と一笑に付す事は出来ず、
「文化として根付いた」
という価値を感じずにはいられません。
しかし、やっぱり現代において富士山の成り立ちは、もう既に科学的に証明されているので、
「ないない」
と思うのが当然だと思いますが、
色々調べてみたところ、
例えば富士山は「天然の水瓶」と呼ばれていて、ものすごい量の水を山体に蓄えていますが、
富士山の貯め込める水の総量、
いわゆる「総貯水量」は、
琵琶湖の貯水量とほぼ匹敵する
とされていて……
単なる偶然だとは思いますが、
富士山と琵琶湖の現実的な一致点がここにあり、なんだかとっても気になる情報だなーと思いました。
【富士山の噴火史】
富士山は古代から現代にいたるまで、
大小さまざまな噴火を、幾度となく繰り返してきました。
現代でも活きている「活火山」
それが富士山になります。
「富士山は4階建て」と先ほど紹介させていただいたように、
今見えている富士山の下には
さらに3つの火山があるといわれています。
富士山の歴史に深く関わる火山たち……
そんないにしえの火山や、
富士山の噴火史について簡単にまとめてみましたので、紹介させていただきます!
先小御岳火山(せんこみたけかざん)
「4階建て」の一番下にあるとされる火山。
21世紀の初めごろ、
ボーリング調査でその存在が発見されたそうで、まだまだ謎多き火山だとか。
数十万年前くらいに活動していて、
「安山岩」
という白っぽい溶岩を出しています。
小御岳火山(こみたけかざん)
4階建ての下から二番目にある火山。
約、数十万年前に噴火を繰り返して、
2400Mほどの高さまで大きくなったそうです。
先小御岳火山(せんこみたけかざん)と同じく、安山岩(あんざんがん)と呼ばれる溶岩を大量に噴出していたそうで、
今でも富士山5合目の、スバルライン終点あたりで、ちょっとだけその名残を見ることができるのだとか……。
古富士火山(約10万年前)
爆発的な噴火を繰り返した
下から3番目に位置する火山です。
噴火回数はおよそ数百回くらい(?)
荒ぶりすぎて、
山体が何度も崩壊してしまったとのこと。
その噴火で噴出されたものは、
先ほどまでの溶岩とは違っていたとされ、
玄武岩や火山灰、
溶岩、スコリアなど、
そして、
名前も一気に富士山っぽくなりました!
また、この時代
「火山泥流」(かざんでいりゅう)
というものが頻発したようで、
火山泥流とは、
噴火の熱で溶けた雪や氷などの大量の水が、
火山灰や岩石などを巻き込んで一気に流れ落ちる……!!
いわゆる、土石流の火山版のようなものらしく、
それが四方に広く流れ、拡がり、
小御岳火山を覆いつくしたとのことです。
この時大量に流れ出た火山泥流は
水を通しにくい性質とされており、
今では、富士山の地下水を遠くまで流すための、川底のような役目を果たしているのだとか。
先ほど「白糸の滝」を紹介させていただきましたが、
この白糸の滝で、
火山泥流の一端を見ることができます。
新富士火山(約1万年前~現在)
4階建ての最上階、
つまり
現在見えている富士山を形成した時代です。
そして、このころから噴火のパターンが変わりました。
めっちゃ大量の溶岩を何度も流すようになり、
流動性の良い玄武岩質溶岩は遠くまで流れ、
南は駿河湾(海)まで到達したと言われています。
その後は、「噴火のデパート」と言われ、
噴火、溶岩、火砕流、スコリア、山体崩壊、泥流
なんでもござれ状態でさらに数千年、
結果、
新富士火山から出た噴出物は、
古富士火山をすっぽり覆ってしまったとのこと。
この時期に流れた溶岩は100mもの分厚い層と言われ、
ひび割れた層と、隙間の無い層の溶岩が幾重にも重なり、
それが上記の、水を通さない層と合わさり、
天然のろ過機能を持った地下水脈を
形成しているのだと思われます。
【記録に残っている富士山の噴火】
次は、有史時代における、
大きな噴火をいくつか紹介したいと思います。
万葉集の時代(780年頃?)
歌人たちは、富士山をいくつか歌に詠んでいて、
その内容から、当時の情景の一端をうかがい知ることができます。
富士山を詠んだ歌は、万葉集に11首あるとされ、有名なものは、
山部赤人(やまべのあかひと)
高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)
などの歌で、
歌の内容を見てみると当時の富士山は、
若干煙や火を噴き上げていたり、
降った雪で、その火が消えたりしている様子が伝わってきます。
「富士山から火が噴き出してる……???」
「それってカナリヤバイのでは…???」
現代人の感覚からすると、
「富士山が火を噴いてる = ヤバイ」
なので、
ニュースでは災害情報が飛び交い、
周辺の人たちは軽くパニックに陥っているのではないかと思われますが、
しかし、
大昔の人たちはわりと余裕があったのか、
「俺の恋心は富士山の火のように」
「熱く燃え続けるかもおおぉ……!!?」
的な歌を残していて、
富士山に畏敬の念を抱きつつも、
その光景(軽い噴火)に風情のようなものを感じ取っていたのかもしれません。
つまりこの頃は、
あんまり「ヤバイ」って、
感じてなかったんじゃないかなあ……。
―そして、
その数十年後……
やっぱり富士山は大噴火します……。
【延暦大噴火】(800~802年 平安時代)
きたる延暦19年 4月15日(800年)
「冨士山巓自焼 昼則烟氣暗瞑 夜則火光照天 其声若雷 灰下如雨 山下川水皆紅色也」
富士山が大噴火します。
その噴火はおよそ一か月もの間続き、
噴き上げられたすさまじい噴煙は、
太陽の光を遮り、
昼でも夜のように暗くなり、
夜は噴火の光が空を照らし、
その鳴動はまるで雷のようだったと、
そして、
大量の焼けた灰が雨のように降り注ぎ、
溶岩が流れ込み
ふもとの川が紅色に染まった。
……と
「日本紀略」という歴史書に記されています。
その翌年の新年にも大きな噴火があったそうで、
焼けただれた砕石があまりにも多く降ったため、東海道の足柄峠を越える道が通れなくなり、
代わりに箱根に道を作ったそうなのですが、
めちゃくちゃ険しかったせいか、
一年後に元の道を復旧しています。
当時は神官とか、僧のお祓い、祈祷を頼りにして国家を運営していた時代だったでしょうから、
噴火のメカニズムなどつゆ知らず、
とにかく「恐怖」以外の何物でもなかったと思います。
噴火に神の怒りを重ね合わせたのか、
当時、
この噴火が疫病を発生させる前兆との
占いもあったらしく、
神の怒りを鎮めるために、
鎮謝の読経を捧げていたそうです。
(鎮謝の読経は、今でも噴火が起きたらやりそうな気がします……。)
そして、最初の方で紹介させていただいた
富士山を「浅間大神」(あさまのおおかみ)として祀っている富士宮市の
「富士山本宮浅間大社」(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)
全国に1300社あるとされる浅間神社の総本宮ですが、
その元宮とされる、
「山宮浅間神社」(やまみやせんげんじんじゃ)
が、この時期(806年頃)に
現在の場所(富士宮市)に遷座(せんざ)され、
同時期に他の場所でも
富士山の鎮火を願い、浅間神社が建てられたとのことです。
私は、
今まで何も知らずにあちこちにある「浅間神社」によくお参りに行きましたが、
「富士山」を神様としてお祀りしていた神社だったのだと
この頃、初めて気が付きました。
そしてこの後、
富士山、浅間大神(あさまのおおかみ)のお怒りがよほどヤバイと思ったのか、
朝廷は、
「明神」(みょうじん)や「正三位」(しょうさんみ)などの神階を次々と与え、
結構本気で浅間大神(あさまのおおかみ)を
鎮めようとしたのが伝わってきます。
……しかし、
そんな人々の思いとは裏腹に、
富士山はまた大噴火します……。
【貞観(じょうがん)大噴火】(864年~866年 平安時代)
延暦大噴火から60年後、富士山は再び大噴火しました。
多くの文字記録が残る大噴火で、
ここでは、
甲斐の国司から伝えられたとされる、
「富士山噴火第二報」
について紹介したいと思います。
貞観6年(864年)6月
「駿河国冨士大山 忽有暴火 焼砕崗巒 草木焦殺 土鑠石流
埋八代郡本栖并剗兩水海 水熱如湯 魚鼈皆死 百姓居宅
与海共埋 或有宅無人 其數難記 兩海以東 亦有水海
名曰河口海 火焔赴向河口海 本栖剗等海 末焼埋之前
地大震動 雷電暴雨 雲霧晦冥 山野難弁 然後有此災異焉」
駿河国の富士山が大噴火した。
丘や岩を焼き砕いて、草木を焦がし殺した。
真っ赤な溶岩が流れこみ、
八代郡の本栖湖と せの海、両方を埋めた。
湖水は熱っせられて湯のようになり、
魚や亀はみな死んでしまった。
百姓の家は湖と共に埋もれて、
溶岩に飲まれず残った家にも、
もはや人はおらず、
村全体がもぬけの殻のようになり、
その数は記しがたいほどだ。
ふたつの湖の東には、また湖があって、
その名を河口湖という。
火焔はこの河口湖の方にも向かっている。
本栖湖やせの海が、焼け埋まるよりも前に、
大きな地震と激しい雷雨があって、
雲や霧であたりは暗くなり、
山や野の区別もつかなくなった。
―しかる後に、この災厄が訪れたのだ。
「日本三代実録」より
私はこれを読んだ時「ヒェッ…」となりました。
なんという具体的な描写……。
うっそうと生えていた木々が、山から押し寄せる大量の溶岩で燃え尽き、
辺り一面焼け野原に……。
そして、
そこにあったはずの村や、人々が忽然といなくなる……。
荒廃した絶望の景色がぼんやりと目に浮かんできます。
そして気になる記述としては、
大噴火の前後には、大きな地震と、雷雨があったそうで、
やはり大噴火の前兆だったのでしょうか。
そして、噴火があった数年後のことですが、
東北の陸奥国(むつのくに)でも大震災があったようで、
これは、
2011年の「東日本大震災」とよく似た地震だったとされているそうです。
地震と噴火の連動は、大昔の史料からも見て取れるように貴重な情報です。
この時富士山が噴火した場所は、
富士山北西部の1合目~2合目あたりで、
富士山の側火山(そっかざん)
「長尾山」
からだったと言われています。
大量の溶岩が2か月以上、広範囲に流れ続けたため、
当時、富士山の北西部にあったとされる
「せの海」
というめちゃくちゃ大きな湖を
溶岩がほとんど飲み込んでしまい、
せの海は二つに分断され、
それが現代に残る
「精進湖」と「西湖」になりました。
この貞観大噴火で流れ出た溶岩の上には、
その後、1200年もの長い間、
木々が根付き、大森林となり、
現在の「青木ヶ原樹海」(あおきがはらじゅかい)となっています。
また、
「鳴沢氷穴」(なるさわひょうけつ)や
「富岳風穴」(ふがくふうけつ)などで有名な
富士北西部の溶岩洞穴は、この時期にできたものだとされていて、
他にも数多くの洞穴や溶岩樹型(ようがんじゅがた)を生み出しています。
(溶岩樹型:溶岩が木々を包みこんで焼き切り、のこった木型の穴のこと。)
噴火の原因は言わずもがな火山活動によるものなのですが
当時の人たちにはそんな知識は当然なく、
今回の噴火の原因について、
時の朝廷は占いを行わせたそうです。
その結果は……
「駿河国(静岡県)の浅間神社でのお祀りが」
「不十分だったせいだ!!」
と、出たそうで、
「そのせいで神様がめっちゃ怒って噴火したんだ!!」
という結果になり、
今考えれば、「バンナソカナ……」的な感じですが、
当時は占いが大きな力を持っていたでしょうから、
朝廷は早々に駿河国に対して、
「鎮謝」するよう命じたそうです。
そして、
駿河国とは別に、今回めちゃくちゃ被害を被った甲斐国(山梨県)にも同じように、
「甲斐の国でも富士山の神様(浅間大神)を祀りなさい!」
という命令があったらしく、
そのことがきっかけで
浅間神社は甲斐国でも創られるようになり、
さらには、あちこちで富士山の噴火を鎮めるための祈りが広がっていったとのことです。
こうやって浅間神社があちこちに広がっていったんですね……。
わかりみが深いです。
ちなみに余談ですが、
この時、甲斐国(山梨県)の国司が
噴火を伝えた内容には、
富士山の事を
「駿河国冨士大山」
と言っていて、
「駿河(静岡)にある富士山……」
……つまり……
「富士山は……」
「駿河(静岡)にあるよ!」
って甲斐(山梨)の偉い人が言っていたわけです……!
ということはつまり……!
「富士山は静岡のものだ!!」
と、大昔の人は認識していたわけですね……!!
あぁ…これはやってしまいましたね……。
静岡 vs 山梨で今でもくすぶり続ける
「富士山どっちの県のものか論争」
について、
この大きな戦いに終止符を打つ情報を
ついに私は見つけてしまったのかもしれません……(超既出)
【宝永大噴火】(1707年 江戸時代)
その後も富士山は何度か噴火を繰り返し、
840年後の1707年、
「生類憐みの令」(しょうるいあわれみのれい)で有名な
「徳川綱吉」(とくがわつなよし)
の時代に、
またもや富士山は大噴火を起こします。
「宝永大噴火」(ほうえいだいふんか)
宝永4年(1707年)12月16日に発生したこの噴火は、
有史以来最も激しいものとされており、
この時もやはり
噴火が起こる前には、大規模な地震があったとされています。
宝永4年10月28日「宝永大地震」発生
「南海トラフ地震」という名前を最近よく目にしますが、
この南海トラフ地震が、
300年前のこの時に発生していたようで、
あちこちに甚大な被害を出した
巨大な地震だったとされています。
宝永大地震は、全国を揺らしに揺らし、
推定震度は4~7(?)
場所によっては家屋が倒壊し、
立つことはできず、
地べたに這いつくばってもころころと転がされてしまったり、
地面が割れ、水が噴き出し、津波によって家や人が流され、
山崩れによって村人が全滅するという地域すらあったそうです。
そして地震が発生して49日後…
再度、頻発する地震と共に
「宝永大噴火」が発生しました。
この噴火は、富士山から100km離れた江戸にまで灰を積もらせたこともあってか、拾え切れないほどの記録が残っているらしく、
その一端を読むだけでも、
一部地域に壊滅的な被害を及ぼしたことが分かります。
噴火した場所は富士山南東部、5合目付近の
「宝永火口」
富士山のえぐれた、あの部分からです。
1707年(宝永4年)12月16日に始まった噴火は16日間続いたとされ、
噴煙の高さは10km~20km、
成層圏にまで届き、
火柱や雷を伴って、
噴石や、火山れき、火山灰が偏西風に煽られ、
富士山から東側の地域に大量に降り積もりました。
富士山に近い駿東郡(すんとうぐん)の須走村(すばしりむら)では、
約1丈( 3メートル )の火山れきに埋め尽くされ全滅。
他にも50あまりの集落が噴火物の影響で埋まってしまったそうです。
地獄のような凄まじい光景に
「この世の終わり」
を感じた人々が
頭を剃り上げて庭先に薪を組み、
そして
その上に座して、
死を待ったとの話もあります。
降灰の影響はすさまじく、農作物にも多大な影響を及ぼしました。
降り積もった灰は、川の水位を上げ、洪水が頻発しました。
藩や幕府によって被災者にお米やお金などの支援がなされたようですが、
全員には渡らず、
見捨てられた地域もたくさんあったとのことで、
一方的に
「亡所」(ぼうしょ)
とされた場所に住む人々はどうすることもできず、
餓えに苦しみながら、多くの人が亡くなったそうです。
当時、
伊奈半左衛門(いなはんざえもん)という人がいて、
幕府により治水復旧作業の責任者とされた方ですが、
復旧計画を進める一方で、
目の前で農民が餓え、倒れていく有様を見て、
どうすることもできない無気力感にさいなまれていたそうです。
幕府は被災地復旧のために、各藩から義損金(ぎそんきん)を徴収しましたが、その多くは流用され、
実際に復興に回されたお金は
わずかしかなかったとのこと……。
(とある史料では48万両ほど集めたうち、6万両くらいしか復興に回らなかったとか……)
これは、正式な記録には残っていないとされていますが、
伊奈半左衛門が
「餓えて困っている人々の為に、なにとぞ…!」
と幕府に請願しても取り合ってもらえず、
やがて幕府のやり方に不満を持った半左衛門は決起し、公儀に背きます。
独断で幕府が貯蔵している非常米を運び出し、
餓える人たちに分け与えたのです。
彼は弱い者を見捨てることなく、
民のためを思って行動しました。
己が正しいと信じたことを貫き通した、
まさにヒーロー…!!
かっこいい…!!
めでたしめでたし!
…………
と、なればよかったのですが、
残念ながらそうはならず……
その後、
伊奈半左衛門は罪人として召し捕らえられます。
そして、咎められ、代官を罷免となり、
最後は切腹をして
この世を去ったそうです。
これが事実であればなんとも不憫……
なんとも無慈悲な結末だと思いました。
ちなみに、宝永大噴火では、
溶岩の流出はなかったとされていますが、
降りつもった火山噴出物の量が尋常じゃなく
復旧には数十年から百年近くかかったとされています。
重機が無かった当時からすれば、
復興は途方もない道のりだったはず……
100年間……
とんでもなく長い時間を経て復興し、
今の美しい景観があるのだと思うと、
何気なく見ていた景色が、
まったく違ったものに見えるような気がしました。
【深淵の溶岩洞穴】
富士山周辺の山々は数百万年前という太古から
活発な火山活動を重ね、噴火によって流れ出た溶岩は
広範囲に広がり森を焼き、湖を埋め、冷え固まって、
一部は
「溶岩洞穴」
という不思議な穴を形成しました。
富士山周辺の溶岩洞穴は、
人が入れるものや、小洞を含めると
ゆうに100を超える数が見つかっていて、
人が入れないもの、さらには、まだ見ぬ地下深くには、
地下水をたたえた洞穴が、いったいどれほど眠っているのか、
その数を計り知ることはできません。
溶岩洞穴ができる成因はいつくかあって、
溶岩が冷え固まるときの状況によって異なります。
主に大別すると以下の4つになるそうです。
①ガスがたまって膨れ上がり、外側の溶岩殻を破ってできた空洞
②外側だけ冷え固まった溶岩で、まだ冷え切っていない中身の溶岩が抜け出たあとの空洞(シュークリームみたいな感じ)
③①と②の複合によってできた空洞
④木が溶岩に包まれ、燃焼し燃え尽きた後に残った空洞
富士山周辺の溶岩洞穴は、
観光地化されて誰でも入れるものと、
許可を得ないと入れないもの、
そもそも危険すぎて立ち入り禁止になっていたり、
保護の目的で柵に囲まれたものなど、様々あります。
安易な冒険心で遊び半分に入ると、
おそらく命に関わるものが多いため、細心の注意が必要です。
次は、実際にロケハンで訪れた洞穴や、
古い本などで調べて気になった洞穴をいくつか紹介してみたいと思います。
【富岳風穴、鳴沢氷穴】(ふがくふうけつ、なるさわひょうけつ)
富士山北側を横断する国道139号線沿いにある、
観光地化された有名な溶岩洞穴です。
二つの洞穴は、共に距離が近く(1km以内)
入場する際のチケットもセットで販売されていて、
昭和4年に同じタイミングで国の天然記念物に指定されました。
上記で触れた貞観大噴火(864年~)の際に流れ出た
大量の溶岩が形成した洞穴で、
周囲には「青木ヶ原樹海」があります。
青木ヶ原樹海に生い茂る木々は、
溶けた玄武岩に絡みつくように根を伸ばし、
その根は隙間から地下に入り、
内部に存在する水や栄養を取り込み成長しています。
周りは溶岩質の土壌であるため、
そもそも水や養分が少ないとされていますが、
1200年という年月を経て成長した森は、
溶岩の下に
確かにそれらがあり続けていることを示しています。
ここにはかつて
「せの海」と呼ばれる巨大な湖がありましたが、溶岩によって埋め尽くされ、
今では「西湖」と「精進湖」に分かれてしまいました。
しかし今でも、その地下には、
当時の溶岩に閉じ込められた、
「幻の地底湖があるのでは?」との伝説もあり、
今となってはその真意は分かりませんが、
事実として
「鳴沢氷穴」「富岳風穴」の両洞穴の地下には、
冷たい地下水が染み込み、そして流れ続けています。
「富岳風穴」(ふがくふうけつ)
富岳風穴は夏でも涼しく、横穴型の大きな洞穴です。
冬季に一定した内部気温は、蚕の越冬に適し、昭和の初期まで蚕種の保存庫として使用されていました。
洞穴内には見事な氷柱がそびえ立つ姿を確認することができ、
周囲には、
切り出されたブロック状の氷が積み上げられ、再現された当時の文化を知ることができます。
そして洞穴の最奥には、まだ小さい穴が続いていますが、
人が入る事は出来ず、
岩壁に張りついたヒカリゴケが、
あやしく銀色の光を反射していました。
(いったいその先はどこに続いているのか……)
そして、入り口の横には、
誤って人が落ちないように竹の柵で囲われた横穴があり、
その中をのぞくと……
巨大なつららが地下深くまで垂れ下がっているのを確認できました。
そして、耳を澄ますとなにやら下の方から水の音が……
暗闇でよく見えませんでしたが、
そこには確かに水の気配があって、
それが、さらなる地下へと流れ続いているのか……
それとも、その場にとどまり、
湖水のようになっているのか……
冷たい空気が流れ込む小さな横穴は
あまりにも暗く、
これ以上確認することは出来ませんでした。
「鳴沢氷穴」(なるさわひょうけつ)
鳴沢氷穴は竪穴型の洞穴で、
輪っか状の構造になっています。
行きと帰りがそれぞれ別ルートになっていて、入り口で合流するような感じです。
鳴沢氷穴は富岳風穴同様、
中は年中ほぼ一定の気温を保ち、
見事な氷柱と氷の壁が見受けられます。
昔はここの氷を切り出して、
かき氷にしたり
氷枕の中に入れたりして、
病気で苦しむ多くの人を救ったのだとか。
最奥には
「地獄穴」
と呼ばれる小さな穴が開いていて、
(すごい名前です…)
誤って落ちないように鉄柵が設けられています。
伝説では、
「鳴沢氷穴の地獄穴と、江の島の洞穴が
繋がっているのではないか……!?」
と言われているようですが、
ざっくりと距離を測ったところ、
100kmくらい離れているので、
「まぁ……ないだろうなー……」
と思いましたが、
世界一長い洞窟を調べてみたところ、
その長さは、
「およそ600km…!!」
600kmて………
東京駅から高知くらいまであるじゃん……!!?
「なら、まぁ…100kmぐらいなら、もしかしたら……」
……と
変に納得してしまいました。
ちなみに日本最長の洞窟は岩手県にある
「安家洞」(あっかどう)だそうで
その長さはおよそ23km程になるそうです。(すごい……)
でも、もし鳴沢氷穴の地獄穴が、江の島まで繋がっていたら……!
その時は日本一長い洞穴になりますよねー……!!?(白目)
でもまあ、地獄穴については
入ったらおそらく二度と生きて帰ってはこれない、
そんな雰囲気が満ち満ちていましたので、
仮に繋がっていたとしても、
絶対に入らないようにしましょう。
というか、どんな目的であれ、
洞穴内のヤバそうな穴には
絶対に入らないようにしてくださいね。
そして、
そんなヤバそうな穴の横には、
麗しい水神
「豊玉姫」(とよたまひめ)
と
「木花開耶姫」(このはなさくやひめ)
がお祀りされていました。
豊玉姫は日本神話に登場する神様で
海神、綿津見神(わだつみのかみ)の娘、
「龍神」ともされています。
しかもここでは、龍は龍でも
「黒龍」
とのこと……!!
黒龍……!
何か、中二心をざわつかせる響きです……!
洞穴の暗さと相まって、
本当に黒龍がどこかに潜んでいるんじゃないかな……?
………そんな妄想に掻き立てられてしまいました…。
黒龍……カッコイイですよね……!!
ちなみに黒龍は、
「五行思想」では「水」
そして「北」に対応しています。
洞穴内のとっても暗い祠ではありましたが、
今回ロケハンに来た旨をお伝えするため、
手を合わせて、お参りさせていただきました。
「豊玉姫」についてはまた後程、いろいろと紹介したいと思いますので
これぐらいにしておきたいと思います。
そして余談ですが……
スマホで「地獄穴」を動画撮影していたのですが…
動画を撮り終わって振り返り、写真を数枚撮った直後……
なぜか突然スマホの電源がプツリと落ちて
その後起動しなくなりました……。
まだ充電、70%くらいあったのになぜ……。
「寒すぎると充電がすぐなくなってしまう。」
とは、よく聞きますが、
キャンピングカーに戻って充電して確認したところ、
やっぱり充電は70%くらい残ってて、
「何だろう……」
「まぁ…いっか……」
と、
ごまかしつつ次の場所へと出発しました………。
【竜宮洞穴】
富岳風穴から西湖に向け北上する途中、
舗装されていない砂利道が脇に姿を現します。
車を邪魔にならないよう止め、
青木ヶ原樹海の中を進んでいくと
たどり着くことができる洞穴。
「竜宮洞穴」(りゅうぐうどうけつ)
観光地化されていないそこは、
人の姿もなく、
冷気と静けさで満ちていました。
俗信では、青木ヶ原樹海は
「入ったら二度と戻れない森」
とされていますが、
それは道を外れて奥まで入ってしまった場合で、ここはちゃんとした
「道っぽい道」(?)
があります。
「大丈夫かなこれ…」
と思いながらも
信じてその道を進んでいくと、
やがて立て札が見えてきました……。
「竜宮洞穴入口」
古い立て札は無残にも倒され、
なんかヤバそうな感じを醸し出していましたが、新しい立て札もあり、
それを信じて更に進むこと少し……
……ありました!!
なんかすごい洞穴が……。
そこは、
溶岩が陥没してできた大きな洞穴で、
今では崩落の危険があるため、
立ち入り禁止となっていました。
(確かに……今にも岩壁が崩れ落ちそう……。)
その日は特に雪など降っていませんでしたが、
森の中は日が当たらないためか、地面が凍り付き、
気を付けて歩かないと、滑って洞穴内に転げ落ちてしまわないかと、
ヒヤヒヤしてめっちゃ慎重に歩を進めました。
…………
……そして、
立ち入り禁止のロープが張り巡らされた洞穴を横目に
「道っぽい道」をどんどんと進んでいくと……
大きく口を開け、
神聖な雰囲気が漂う大穴が見えてきました。
竜宮洞穴です。
入り口には
おそらく地元の人が整えたのか、
溶岩でできた階段があり、
階段をおりた最奥には、
小さな祠がありました。
なぜこんなところに祠なんか……。
……いや、
むしろこういったところだからこそ、
祠を建てたのかな……?
詳細はよくわかりませんでしたが、
RPGだったら
絶対重要なアイテムがもらえる雰囲気が漂っていました。
そして祠の周囲は、絵に描いたように削り取られた大きな窪みがあり、
降りたら、そのまま奥に引きずり込まれてしまうかのような怖さがありました。
そして辺りを見渡すと、
先ほどと同じく、今にも崩れそうな岩々が……。
「ここも結構危ないのでは……?」と思いつつ
私はおそるおそる祠に近づき、静かにお参りしました…。
そしてお祀りされている神様をあとで調べたところ、
先ほどの鳴沢氷穴と同じく、
「豊玉姫」と「木花開耶姫」
とのことでした。
ここは小さな祠ではありますが
れっきとした神社で、
「剗海神社 」(せのうみじんじゃ)
と呼ばれ、神社庁にも登録されています。
歴史ある神社で、その昔、
延喜13年(913年)の飢饉のおり、水神である「豊玉姫」をお迎えされたとあります。
「剗海神社 」
「せのうみ」…
さきほども出てきたこの言葉、
覚えていますでしょうか。
そうです…!
かつて溶岩に飲みこまれる前、
この地に存在した巨大な湖の名前です。
そしてここは、
古代の湖の名前を冠した神社…!
「竜宮洞穴」でもあり
「剗海神社 」(せのうみじんじゃ)でもあるのです…!
この洞穴は、
地下の湖水に繋がっているとの伝説があって、古く、龍神のすむ所だと考えられてきました。
そして一説にはここも、
地下で江の島に繋がっているかもしれないとか……
江の島……
また出てきましたね江の島…!
なんでこんなに江の島…!?
気になります……!!
もともとこの地は、
火山灰や火山れきの上にできた土壌であったためか、砂地の畑が多く、
一週間も日照りが続くと作物が枯れてしまったそうで、
そんな折は、竜宮へお参りして、
当時洞穴にあったとされるお水を借りして、
雨乞いの祭りをしたそうです。
ここ数年祭りは行われていないようですが、
「西湖竜宮祭」
という豊玉姫をお祭りする祭典は今でも存在し、
灯篭を流したり、
花火を打ち上げたり、
とても幻想的だそうで
是非一度は見てみたいと思いました。
そして、この竜宮洞穴では
タイミングによっては
横にたなびく
「白いもや」
のような、
謎の写真が撮れることがあるそうです……。
そしてそれを
「白龍」
と呼んでいる人もいるのだとか……。
これもまた気になる現象の一つです。
そして、
さっきは黒龍で、今度は白龍…!!
これはもう、
「龍の聖地」と言ってもいいのでは……!?
ちなみに私は
「青眼の白龍」(ブルーアイズ・ホワイト・ドラゴン)が好きです。
【豊玉姫命】(とよたまひめのみこと)
竜宮洞穴…
……りゅうぐう…
これを聞いて
「竜宮城」(りゅうぐうじょう)
を思い出した人は少なくないと思います。
そうです!
浦島太郎に出てきた、あの竜宮城です。
豊玉姫は、
浦島太郎に出てきた乙姫(おとひめ)のモデルともされているそうで、
浦島太郎については、
「山幸彦」(やまさちひこ)
*またの名を「火遠理命」(ほおりのみこと)
という神様が
モデルになっているそうです。
日本神話における、有名で重要な神様なのだとか。
山幸彦と豊玉姫のお話を
簡単にまとめてみましたので、
ここに紹介したいと思います。
【山幸彦(やまさちひこ)】
彼は、ひょんなことから
兄の海幸彦(うみさちひこ)が
とても大事にしていた
宝物のような仕事道具、
「釣り針」を
海で無くしてしまいました。
山幸彦は海幸彦に謝るため、
代わりの物をあれやこれと用意して、
許しを請いますが、
「ダメ!!」
「釣り針を探して返せ!!」
と言い返され
どうやっても、
許してもらうことはできませんでした。
山幸彦が、途方に暮れ岸辺で泣いていると
潮流を司る神様、
「塩椎神」(しおつちのかみ)が現れ、
山幸彦にこう助言しました。
「海の宮殿へ行ってごらんなさい」
「そこで探し物が見つかるかもしれない」
山幸彦はその助言に従い、
無くした釣り針を探す為に、
海の中、綿津見神(わだつみのかみ)の宮
へと向かいました。
山幸彦はそこで綿津見神の娘、
「豊玉姫」と出会い、
惹かれ合った二人はやがて結ばれます。
3年間程、山幸彦は
綿津見神の宮で幸せな時を過ごしました。
しかしある時、
ここに来た本来の目的を思い出したのです。
「兄の釣り針を探さなければ…!」
それを知った綿津見神は山幸彦に協力し、
あっという間に釣り針を見つけ、
おまけに秘宝まで山幸彦に授け、
元の世界へと送り返したのです。
―とまあこんな感じのお話になるのですが、
さて、
どうででしょうかこのお話。
なんとなく「浦島太郎」に似ていると思いませんか?
もちろん、ところどころ違いますが、
浦島太郎の元になっていると言われても
おかしくない程の一致感があるような気がしました。
しかし、
これ以降の話はまったく違っていて……
「玉手箱を開けたらおじいさんになってしまった…!!」
という展開はなく、
(そもそも宝は貰ったけど、玉手箱ではない)
山幸彦は浦島太郎のようにおじいさんにはならず、
海辺で一人、
孤独に絶望することはありませんでした。
むしろ逆に、
身ごもった豊玉姫が山幸彦を追いかけてきてます。
海の世界の神様が、陸の世界にやってきてしまうのです。
聞けば彼女は、地上でお産をするとのこと。
そして豊玉姫は山幸彦にこうも告げました。
「私が子供を産む時は、本来の姿に戻って産むので、
絶 対 に
産屋を覗かないでくださいね!?」
「いいですか!?」
「ぜ っ た い に ですよ!!!?」
…………
ああ…これもうアレです……
絶対に見るパターンのやつです。
「絶対に見ないでください」は、
「絶対に見てしまうフラグ」
いにしえの神話の時代にも
「絶対に押すなよ!」
的な作法があったのかは分かりませんが、
案の定、山幸彦はガマンできずに
豊玉姫のお産を覗き見てしまいます。
(ひょっとしてこれが玉手箱……?)
するとそこには…!
人の形をしていたはずの豊玉姫が
「八尋和邇」(やひろわに)となり
のたうち回っていたとのこと。
ああ…!!やっぱり見てしまったかー…!!
「絶対に押すなよ」は日本神話から続く伝統的な作法だったんだ……。
しみじみ……
と謎の感動を覚えつつ、しかしすぐその後に、
一つの疑問がわいてきました。
「やひろわにってなんだろう……?」
「え…?ワニ……???」
「日本にワニっていたの???」
和邇(わに)という単語自体は
因幡(いなば)の白兎伝説(しろうさぎでんせつ)にも出てきていて、
昔絵本で見たような気はするのですが、
よく覚えてなかったので、
改めて調べてみることにしました。
すると、和邇とは……
「サメ」
「ワニ」
もしくは「龍」とのことで、(あるいは蛇)
この場合の「八尋和邇」の意味するところは、
「とってもおおきいサメ、ワニ、もしくは龍」
とのことだそうです。
サメ、ワニ、龍って……
随分とイメージの幅があって困惑しますが、
でもワニと龍はなんとなく似ている気もします…!
どうにも南方から「ワニ」の話が日本に伝わってきて、
そこから出来た言葉ではないかのこと。
「ワニ」という言葉の響きだけが独り歩きして、
「ワニ」を見たことない人が、それがどんな生き物かイメージできなくて、実際に見たことがあるサメに置き換えられた…??
「んー…………」
まぁ……
難しいことはよくわかりませんでしたが
豊玉姫が「龍神」とされるいわれは、
「八尋和邇」
と
「水に関わる水神様」
ゆえの事なのかな?
と、勝手に想像して、
何とか腑に落として納得したのでした。
そして、
水を司る神様は、
だいたい「蛇」(へび)か「龍」と、相場が決まっているようで、
縄文時代の土偶には
蛇(へび)を頭に乗せている女性の姿が見られたそうです。
蛇や龍は、
水が絶対不可欠な田畑の重要性と結びついて崇拝され、
雨乞いなどの祭祀が受け継がれ、現代に残ってきたのだと思います。
しかしここで分からないことがまた一つ……。
「八百万(やおよろず)の神々」
ともいわれるように、
日本にはありとあらゆるものに神様がいるとされていて、
その中で、水に関わる神様も
もちろん、たくさんいらっしゃるのですが、
でも、なぜこの地では
「豊玉姫」
をお祀りされているのか?
この疑問については、
正直調べても
確定的な事は分かりませんでした。
ただ、竜宮洞穴に祀られている豊玉姫が
剗海(せのうみ)神社に勧請(かんじょう)されたのは、
延喜13年(913年)とされており、
また東の河口湖にある、
「産屋ヶ崎神社」(うぶやがさきじんじゃ)
という神社では、
御由緒に
「山彦、乙姫たちは海の国より帰られ、この岬に茅で産屋を作られ、御子鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)を産み給う。この故に産屋ヶ崎の地名あり。」
と記されており、
ここら辺と何か関係があるのかもしれません。
その時期については調べても分かりませんでしたが、
河口湖周辺の方にお話をうかがったところ、
「日本三代実録」には書かれてはいないが、
865年、甲斐国に
富士山鎮火の為に浅間神社を建立した際、
産屋ヶ崎にも何かしらの遥拝所(ようはいじょ)的な物を建てたのは明らかだと思う、
とのお話でした。
豊玉姫のルーツとしては、
宮城県や鹿児島県の九州地方のイメージが強くありますが、
山梨県 河口湖のほとりに彼女がどのようにしてやってきたのかは、
おおらかな神話の物語として、
妄想の余地に残しておきたいと思います。
そういった歴史ある神様が、
青木ヶ原樹海に形成された溶岩洞穴には
お祀りされているのだなー。
ということが分かっただけでも
楽しかったのです。
【 人穴 】
「じんけつ」ではなく
「ひとあな」
と呼びます。
なんとも「いわく」ありげな名前……
風穴や、氷穴は
字面からなんとなくイメージが付きますが、
ひとあなって……
なんかすごい響きです……
色々と想像を搔き立てられる名称に、
太古の人たちも、
私と同じような印象を持っていたのかはわかりませんが、
富士山西麓にぽっかりと口を広げるこの穴には、
不思議で恐ろしい怪奇譚が残っています。
それを少し紹介したいと思います。
……時は鎌倉時代…
二代目将軍 源頼家(みなもとのよりいえ)の治世、
1203年6月……
富士の裾野のどこかに、
入ったら二度と出てこられないと言われる、
「人穴」(ひとあな)
という奇妙な洞穴があり、
そこは、
近隣の村人から
たいそう恐れられていた場所でした。
人穴の存在を知った頼家は、
仁田四郎忠常(にたんの しろう ただつね)を呼び出し、
自らの太刀を渡して、
「もし、穴の奥に妖怪が住んでいるなら、ひっ捕らえて来い!」
と命じ、人穴探索を命じます。
仁田四郎忠常は伊豆出身の武士で、
日本三大仇討(にほんさんだいあだうち)で有名な、
「曽我兄弟の仇討ち」(そがきょうだいのあだうち)
の、兄
曾我祐成(そが すけなり)を討ち取り、
先代の頼朝(よりとも)の頃に行われた、
「富士の巻狩り」(ふじのまきがり)では
暴れ狂う大猪の背に飛び乗り、
これを仕留めたとされる、
めちゃくちゃ強い人だったと言われています。
「吾妻鏡」(あづまかがみ)
という鎌倉時代の歴史書があります。
江戸時代の作家、浅井了意(あさい りょうい)という方が、
この吾妻鏡をもとに記したとされる
「北条九代記」(ほうじょうくだいき)には、
人穴探索の様子がおおよそ、
このように記されていたそうです。
……6月3日
仁田四郎忠常は家来5人を連れ人穴に向け出発します。
人穴の恐怖で動けなくなった案内人の村人を入り口で帰らせ、
忠常たちは
松明(たいまつ)と兵糧を持って、
洞穴内へと探索に向かいました。
忠常が人穴に入ってから日が暮れ、
夜が明けても帰ってくる様子はなく、
家来たちが心配していると、
さらに昼過ぎになり、
丸一日経った後、
ようやく忠常たち一行は戻ってきのですが、
ただ、
どうにも忠常の様子がおかしく、
よろめいて、顔は青白く、
5人いたはずの家来も一人しかいない。
頼家の前に座して、語り始めた忠常の話によると、
穴の中で家来が死に、
訳あって
頼家から賜った太刀を投げ捨ててきたという。
周囲にいる者たちはみな、
忠常の発する言葉に音もたてず聞き入り、
忠常は再び
人穴について、
話を続けたのでした。
●人穴内で起きたことを簡単にまとめると、
おおよそ次のようになります。
・人穴は地下にもぐりこんでいく洞穴で、
はじめは狭く、
人一人がようやく潜り込める程の
広さだった。
・やがて穴は広くなりるが、
行く手には水が流れていて、
忠常一行は水に浸かりながら
先に進んで行った。
・人穴の壁には、
あばら骨のような奇妙な筋が付いており、
気味が悪かったとのこと。
・川を渡る途中で、
数百匹にも及ぶコウモリの大群に襲われ、
その後も、
大量の蛇が忠常たちの足元に絡みつき、
一行は蛇を振り払いながら川を渡った。
・地下からは、
まるで
千人の軍兵があげる鬨(とき)のような
すさまじい声が聞こえてきたとのこと。
(雷の音にも聞こえたらしい)
・松明の光を吸収する無限の闇から、
女のすすり泣きが聞こえてきたとのこと。
・どんどん進んで行くと、
やがて洞穴内に流れる大河に遭遇し、
それを渡ろうと試みるも、
とてつもない勢いの水と、
言いようもない冷さで、
忠常は足をさらわれ、
渡ることができなかった。
・忠常一行が大河を渡る方法を
あれこれ考えている時、
突如対岸に
「謎の光」が現れ、
光の中には真っ白な着物を着た
「何か」がいたとのこと。
・「何か」を見た家来5人は突然気を失い、
そのうち4人は即死してしまった。
・忠常だけは倒れることなく踏みとどまり、
守護神である
「八幡大菩薩」(はちまんだいぼさつ)
に祈りを捧げ、
対岸の、
神とも人ともおぼつかぬ何かに、
頼家から拝領した太刀を捧げ、
川に向かって投げ入れたところ、
謎の姿は消え、
同時に怪しい光も消え去って
いたとのこと。
・その後、
無事に人穴から戻った
忠常の話を聞いた古老が、
「この穴は
浅間大菩薩(あさまだいぼさつ)の
住たもう所だと言われています……。
おそろしくも、
もったいないことです……。」
と言い、
さらに人穴探索を続けようとした
頼家を制止した。
―と、このような感じになります。
これは、吾妻鏡に書いてあることをかなり脚色したものだとされており、そのまま信じることはできませんが、
この話を見て率直に感じたことは
不謹慎かもしれませんが、
「おもしろい…!」
の一言に尽きました。
よく、ホラー系や、都市伝説系のyoutubeなどを見るのですが、
それに似た、
なにか惹きつけられる魅力がこの話にはあるような気がしました。
ちなみに、
吾妻鏡に書いてある人穴探索の原文は
こんな感じになります。
そしてさらに色々調べて行くと、
鎌倉時代の「吾妻鏡」に端を発した人穴の話は、多くの人に伝わり、
さらにはまるで
「二次創作」のように
数多くの写本が書かれていったようです。
ここまで多くの人に広がったのも、
おそらくはその面白さ、
そして、
話のネタとしての秀逸さがあるとは思いますが、
さらには、
付加価値を付けたであろう出来事として、
この人穴探索を命じたすぐ後に、
源頼家と、仁田四郎忠常は、
殺害されているようで、
その悲劇性と、
「禁忌の地を荒らしたことで罰が当たったのだ…!!」
という祟りに寄った話が、
見えない「畏怖」として
「人穴」の神性を
さらに高めたのではないかと思いました。
「浅間大菩薩」(あさまだいぼさつ)というのは、
富士山信仰の富士講(ふじこう)が
もっとも崇めた神仏混淆(しんぶつこんこう)の存在とされ、
富士山を司っています。
富士山信仰では、
富士山に登った回数が多いほど功徳(くどく)があると考えられていて、
「富士人穴記」には、
「人穴の書」を書き写した者は、
富士山へ7度参詣したことと同じであって、
読む者は3度富士山に登ったことと同じ、
また、
話を清聴した者は1度富士山に登ったことと同じ功徳がある。
と記されていたそうで、
人穴草子は「小説」であると同時に、
「教訓書」としても使用され、
富士講の隆盛とともに広く普及したとのことです。
―そして「吾妻鏡」の霊験譚から三百数十年後、戦国、江戸時代に
「富士講」とよばれる
富士山信仰の開祖とされる
「長谷川角行」(はせがわかくぎょう)
という行者様が、
人穴で苦行を行い、それを成し遂げています。
その内容は、
四寸五分(13~14cm)の角木を立てて
その上に爪先立ちし、
一日に三度の水垢離(みずごり)
三十三杯の水を飲み、
内心六根を清浄にし、
一千日それを行い続けるというもの。
13cmの角材の上に爪先立ちって……
私ならたぶん10秒以内に怪我する自信があります。
それを1000日休まず続けるって……
……すごすぎます。
角行は、
「天下泰平、庶民救済」を願い、
物欲はなく、売名心もなく、
ただひたすらに修行して、
それを人々の安穏(あんのん)にかえる……
そういった考えの人だったそうで、
不眠の大行18800日
断食300日
富士登山128回
などなど、
とにかく驚異的な苦行を成し遂げ、
齢106歳にして、
人穴内で入寂(にゅうじゃく)されたとのことです。
そして、その後富士講は、
「江戸八百八講」と呼ばれるほど隆盛し、
あまりにも増えすぎたためか、
幕府よりたびたび禁止令が出されていたとか。
また現在では、
人穴のすぐ隣には、
角行や富士講に関わる方々の
供養碑や記念碑がたくさん建立されています。
ロケハン後、
人穴からキャンピングカーに戻るまでの道中で、
鈴を鳴らしながら人穴へ向かう人とすれ違いましたが、
「ひょっとして富士講の人かな…?」
と思いましたが、
そういえば以前調べた時、
ここら辺は確かクマが出没していたような……
そんな記憶が蘇り、
「もしかしたらあれはクマ除けの鈴だったのでは……?」
と、思い至ると
別の意味で恐怖したのを覚えています。
行かれる方は色々と、
十分にご注意ください……。
なお実際の人穴は、全長約80~90mの小洞で、
1年中水をたたえてはいるそうですが川はなく、
現在は勝手に入洞することは出来ず、
許可がいるのだとか。
(昔、TVでSMAPの草薙剛さんたちが人穴で肝試しをされていたそうです…。)
そして、人穴の最奥部には細い穴があり、
伝説によると、この穴が
「江の島」
に繋がっているそうです。
…………
案の定……
やっぱり出てきました
「江の島……!!」
……色んな所と繋がりすぎです江の島…!!
ここまでくるともう、
ただの偶然ではなく、何かあるのだろうか?
と思ってしまいます……。
いつの日か、
江の島のサーファーさんたちが
ボードを持って、
あちこちの洞穴から出てくる姿を
見られる時代がやってくるのかな……?
そんな風に思ったりもしました。
―以上、数か所ですが、
有名な洞穴を紹介させていただきました…!!
ですが富士山周辺には他にもたくさん洞穴があり、
さすがに全部をロケハンして、紹介することは出来ませんでした。
他にも気になった洞穴を
以下に簡単にまとめさせていただいたので、
もし、良かったら読んでみてください。
【富士山周辺の洞穴】
①船津胎内樹型、吉田胎内樹型、印野御胎内
胎内巡りができる溶岩樹形などの洞穴。
富士講の隆盛によって広く宣伝され、
今なお安産祈願などで訪れる人は多い。
②バンバア穴(姥穴、姥捨穴)
富士山西側の朝霧高原近辺と
富士宮市山宮に2か所あるとされ、
かつて「老婆を捨てた穴」とされている。
結構ショッキングな逸話もあり。
落ちたらたぶん自力では出てこれない
色々と危険な所です。
とにかく危ない。
③鬼穴(新穴)
富士山西麓にかつて暴挙を振るった鬼が
住んだとされる洞穴。
村人の狙撃と、和尚様のとっさの機転で
鬼は爆死する。
その後、残った鬼と村人が戦い、
結果、鬼を退治したらしい。
④三ツ池穴
富士山西麓にある全長約2200M程の洞穴。
溶岩石筍(ようがんせきじゅん)
と呼ばれる、
世界で数件しか見つかっていない
貴重な溶岩の柱があるとのこと。
現在は鉄柵でおおわれていて、
一般人は入ることは出来ない。
あと、非常に危ない。
⑤富士風穴
鳴沢村から南西約4km程にある洞穴。
多くの氷をたたえ夏もほぼ溶けないとか。
一般公開はされていない。
あと、危ない。
⑥西湖コウモリ洞穴
西湖にめっちゃ近い、
溶岩流の末端にできた洞穴。
観光地化されていて、洞穴に行くまでの
トレイルも楽しい。
昔はコウモリがいたようですが、
今は遭遇することはまずありません。
西湖の水位が上がると
溶岩層を水が浸透し
ここに滞留するらしい。
⑦万野風穴
富士山初期の溶岩流でできたとされる
溶岩洞穴。
入口部に
大日如来が安置されていたことから、
大日穴とも呼ばれている。
富士山はその昔、
仏教との繋がりが強かった…。
とにかく今は立ち入り禁止になっている。
とにかく危ない。
その他にも、たくさん…!!
繰り返しになりますが、すごく危険な所が多いので、行かれる際は絶対に無理せず、ご注意ください。
というか、
危ない場所には近づかないのが一番かと思います…!
【繋がっている伝説】
色々と湖や洞穴を紹介させていただきましたが、
それらは、水中や、地下で繋がっていたり、
あるいは、地理的にかなり無理があっても
「ひょっとしてこれ繋がってる……!?」
というロマンにあふれる想像や伝説が残っていました。
根拠のあるなしに関わらず、
そういった伝承がかき消されることなく
現代にまで残ってきたのは、
第一に、「それを信じている」
もしくは
「信じてもいいかな?」
という人がたくさんいて、
なんというか、
無くしたくないというか、
繋げていたいというか、
とにかく、
人間が持っている、根源的な「性質」のようなものを、そこに感じるのでした。
・本栖湖や西湖、精進湖の繋がり。
・山中湖と忍野八海の繋がり。
・神池と富士山地下水脈の繋がり。
・氷穴、竜宮、人穴と、江の島。
・人穴と根の国、底の国、
あるいは地獄と思われる異世界への繋がり。
などなど、
他にも、
富士山信仰の巡礼地、
「外八海」(そとはっかい)と呼ばれる、
静岡県御前崎市の「桜ヶ池」と、
長野県の「諏訪湖」も
実は繋がっているという伝説があります。
詳しくは調べていませんが、
おそらくこういった
「繋がっている伝説」は
他にもたくさんあるのではないかと思いました。
明確な根拠はありませんが、
なんとなくそんな気がしてなりません。
そして、#006 洞水天玄根(どうすいてん くろね)は
そういった、
繋がりを司る神様でもあるのです。
【溶岩洞穴と地下水脈、まとめ】
溶岩洞穴、地下水脈は、
太古に
富士山や周辺の山々が
噴火した際に流出した溶岩や、
火山噴出物の堆積によって形成されました。
それは同時に富士山の山体をも形成し、
日本一高い、
そして
天と地を分ける美しい稜線(りょうせん)と、
周囲で育まれた信仰と文化をいだいて、
今では世界遺産となっています。
富士山を形成する多孔質の溶岩は、
雨や、雪解け水を山肌にとどめることなく吸収し、
地下水脈として四方八方に分配しながら、浄化し、
地下の川となり、また、
大きな水瓶となって、
大量の水をその身に貯え続けています。
そして、数十年の時を経て地下水は、
新たなる水の浸透とともに押し出され、
命の水として、こんこんと地上に湧き出るのです。
溶岩洞穴は、
いくつもの偶然が重なり合って生まれた
いわば自然の建築物であって、
その出で立ちは、
驚異と、
人知を超えた何者かの存在を知らしめ、
洞穴の暗闇は人々に畏怖を感じさせ、
人をいざなうかのように開いた洞穴の小孔は、
まだ見ぬ
いずこかへの繋がりを連想させました。
溶岩によって埋めつくされた幻の湖は
「せの海」と呼ばれ、
いつしか溶岩洞穴と繋がり、
そこは、
龍神が住む神聖な場所として祀られました。
雨乞いなど、
水を求め、捧げられた祈りは、
今でもなお「お祭り」として残り、
氷や蚕など、
天然の貯蔵庫としても洞穴は活用され、
人々の生活を密に支えました。
そして洞穴では太古の土器も見つかっていて、
それは、
かつてそこに、
水を求め暮らしていた古代人の存在を
私たちに教えてもくれました。
また、
神の啓示を受け洞穴に籠った人たちもいます。
彼らは
過酷な苦行を己に課し、
ただひたすらに修行に明け暮れ、
天下泰平と庶民救済を切に願い、
最後は洞穴で
静かにその息を引き取ったのです……。
後に広まる富士講は、
江戸の世で隆盛を極める富士山信仰となり、
富士山に登拝する前には、
湧水でその身を清めたといいます。
しかし、増えすぎた富士講は、
その後衰退の一途を辿ります…。
今ではその数は激減してしまいましたが、
富士山だけは、変わることはなく、
今なお、雄大な姿を残し続けてくれています。
富士山の地下に流れる水脈は、
今この瞬間にも水を運び続け、
飲料水、生活用水、工業用水など、
現代においても人々に、
その恵みを分け与え続け、
人々もその恩恵をありがたく頂戴し、
さらには、守り、後世に残そうとしている姿は、
何とも感慨深く、ありがたい気持ちになります。
私が今回、富士山の成り立ち、
歴史、文化、湧水などについて調べ、
ロケハンし、まとめて感じたことは、
私が描きたかった神様とはつまり、
こういった積み重なった歴史や文化、
いい時も悪い時もですが、
自然が与え続けてくれている恵みと
その神秘性について、
そして決して忘れてはならない、
自然災害など、
これらに対する「感謝」とか「畏怖」のような感情が
色々と混ぜ合わさったような、
そんな感じを表現したかったのだろうな……
と改めて思うのでした。
【名前の由来】
#006 洞水天玄根(ドウスイテン クロネ)
「洞水」は
「導水」を表し
水をみちびき、流す(浄化する)
神様です。
「洞」は
「洞穴」の洞でもあり、
「洞察」の洞でもあります。
奥深い所に住み、
あれこれと思索(しさく)を巡らせることが好きな性格の持ち主。
つまり、
妄想好きです。
そして「水天」は
仏教の神様で、龍を司る水神になります。
日本では「水分神」(みくまりのかみ)と習合し、
流水を分配する神様となりました。
「玄」(げん)は
玄武岩を現わしています。
富士山から流れ出た溶岩は主に玄武岩で、
赤色が混じった黒は深遠であるさまを表します。
五行思想で黒は、北を意味し
四神、玄武(げんぶ)も、北を守護する水神です。
「根」は
ずばり根っこであり、
玄武岩に絡みつく青木ヶ原樹海の木々を表しています。
木は、水を保ち、浄化の一端を担います。
そして「根の国」
海の底、
地下深くにあるとされる死者の国のことで、
「黄泉」(よみ)
を表しています。
そして黄泉は同時に「地下の泉」も表しており、
神道の大祓詞(おおはらえのことば)によると、
世の「罪穢れ」(つみけがれ)を
川から海へ流し、
根の国でさらうと言われ、
祓(はらえ)を司る神様になります。
洞水天玄根……
闇とか黄泉とか……
なんかちょっと怖いイメージを持つ彼女ですが、
簡単に言い表すと
学校の「生徒会」
もしくは「学級委員」的なアレで言うところの
「委員長」
になります。
「委員長」…!
不器用でかわいいです…!
一番最初に思い浮かべたイメージは、
「みんなを取りまとめる知的」キャラでした!
上から下に水が流れるように
ありのまま、
「無為自然」(むいしぜん)なる生き方を彼女は目指していますが、
おせっかいで、
すぐ他人に干渉してしまいます。
彼女の性質がそれを許さないからです。
なぜならば彼女は
富士山の地下に広がる、
溶岩洞穴の神様で、
降り積もった雪や、雨水をその身に受け入れ、
貯め込み
浄化、分配する
水の管理者でもあり、
同時に
繋がりを司る神様でもあるからです。
冷静沈着で包容力のある彼女ですが、
いざ貯め込みすぎて、限界を超えると
一体どうなってしまうのか………。
それは、大自然の営みを考えれば
おのずと、
答えにたどり着くことができるでしょう。
そして、彼女は
洞穴同士を渡り歩く力を有しており、
彼女ならばきっと
富士山周辺の洞穴から、
「江の島」に行くことができるはず………!!
それが、
「洞水天玄根」という神様になります。
【さいごに】
…………
…………
長い…………。(白目)
なんですかこれは…!!
いやほんとに…!!
自分で言うのも何ですが、
長すぎます……!!
でも、
こんな長くて拙い文章ですが、
ここまで読んでくださった方々には、
本当に感謝の言葉しかありません。
ありがとうございます……!!
今回#006の神様を描くにあたって、
まず最初に、
ざっくりとしたイメージとテーマを決めていたのですが、
その段階でもう何というか、
すでにヤバそうな感じはしていて、
ロケハンも、とても一日では回り切れないと確信していたので、
夢の一つであるキャンピングカーを借りて、泊りがけであちこち巡ることになりました。
しかし、行きたいところが多すぎて、
結局、予定の半分くらいしか回ることができず……。
というわけで後日、こっそりと日帰りで、
追加のロケハンにも行ってきましたが、
これも雪の影響でほとんど回れず、
「こりゃあ、短期間で取り扱うべきテーマじゃなかったかも……!!」
と
立ち向かった存在の大きさを思い知りましたが、
それでも何とか形にできたのは、
ひとえに、
先人の方々が書き記してくれた知識の集積のおかげであって、同時に、深く感謝申し上げる次第です。
さて、
ここで2冊、参考にさせていただいた書籍を紹介したいと思います。
・富士山-史話と伝説- 遠藤 秀男 著 名著出版
・怪奇と伝説 富士山の洞穴探検 遠藤 秀男 著 緑星社
60~40年くらい前の本なのですが、
特に
「富士山-史話と伝説-」は当時、
幻の名著と言われていたそうで、
今回私が読ませていただいたのは、その再版本になります。
著者の遠藤 秀男さんの富士山に掛ける熱量はすさまじく、
当時見ることができた富士山に関する旧著は、
ほとんど目を通されたということで、
学校の授業では見たことも聞いたこともないような書物の名前が、わんさと出てきました。
私もそれに倣って太古の本を読み漁るべきかとも思いましたが、さすがにそこまでは出来ず、
まさにライフワークとは、こうあるべし……!
と、
ただただ感銘を受けたのです。
そして、今後の事は分かりませんが、
この本を読んだことにより、
クリエイターとしての生き方を見つめ直すきっかけになったような気がして、読んで良かったと思える名著でした。
キャンピングカーについては、
今回生まれて初めてレンタルしたわけなのですが、
案の定、めちゃくちゃ楽しかったです。
まさに動く家…!!
車体が大きく、横幅と縦幅の感覚が全くつかめず、最初は怖かったのですが、
慣れればコンビニの駐車場に止めることもできて、
これ一台されあれば、泊まるところを気にせずどこへでもロケハンいけるなーと思いました。
後部座席は、備え付けのクッションをパズルのように敷き詰めると、
フルフラットな空間が出来上がり、
「え??これもうでっかいベッドじゃん!!?」
的な快適空間に。
運転席上部のバンクベッドは想像していたよりも広く、
ほとんどの荷物はここに押し込んで、
トランクや備え付けの棚はまったく使わなくて済んだという、
おそるべし収納力を持ち合わせていました。
車中での食事は、
コンロを持ち込んで何か料理をしようと画策しましたが、
やはり借り物の車だったので、
結局お湯を沸かしてコーヒーを飲んだり、
カップ麺を食べたり、
地元のお菓子を食べたりして過ごしましたが、それだけでも十分に楽しかったです。
夜は富士吉田の道の駅で一泊。
他にもキャンピングカーが何台か止まっていて、ふつふつと沸き上がる同族意識に一人で興奮していました。
そして、同族意識で思い出しましたが、
キャンピングカーで走っていると、
反対車線に走っているキャンピングカーが、すり抜けざまに手を振ってくれることが何度もありました。
「???……なんだろう…?」
バイクやバスの運運転手さんがやっている、同族車両への挨拶的な慣習でしょうか…?
初めて知りましたが、
後半はこっちからもめっちゃ手を振り返して
キャンピングカー仲間(?)へコンタクトを取っていると
なんだかさらに楽しい気分に。
就寝時の暖房もエンジンを付けることなく、
少しのガソリンで稼働する独立した暖房が備え付けてあり、
ものすごく寒い夜でしたが、
朝まであったかく眠ることができ、本当に快適の極みでした。
そして、朝起きると人間が出した呼気に含まれる湿気のせいか、
運転席側のガラスがバリバリに……!!
出発前に大量に張り付いた氷を剝がすのに
数十分格闘したのは、今ではいい思い出です。
デメリットとしては、
やはり維持費と、駐車スペース、そして、狭すぎる道や、
車高の高さを常に気にしないといけないため、
山奥の超狭い辺境の道などは、
行くのは厳しいかなーと思いました。
しかし、
それを差し引いてもやはり欲しいと思う魅力がキャンピングカーにはあって、
特に災害時などでも移動でき、
かつ快適に寝泊りできる場所があるというのは、何とも心強いです。
そしてなにより、ゾンビが襲ってきても安全(?)に逃げられます!
そして、ようやく最後になりましたが、
ここまで雑多で、大量の文章に目を通してくださり、
そして、お時間をいただき、
本当にありがとうございました。
天地神名シリーズの神様も、残すところあとわずかになり、本当に感慨深いです。
もし、このシリーズに興味を持っていただけましたら、
引き続き、次もまた見に来てくださるとうれしいです。
できれば、
次の制作雑記はもっと短くできたらいいなー……(遠い目)
と、思いつつ……
また長くなるかもしれない……
いや、
気づいたらきっと
長くなっている……(?)
それでは、また!!!
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