「膝枕」外伝 六千人の命の膝枕
2021年8月7日、Clubhouseで今井雅子作「膝枕」朗読を行い、膝枕er番号67番に認定されました。
多くの膝枕erから刺激を受けて、2022年5月24日に、外伝「カチンの森膝枕事件」を発表し、膝枕iterとして デビューしました。
本作品は膝枕外伝第二弾となります。
前作を覚えておられるかたには???なところもありますが、パラレルワールド的な物語としてご笑覧くだされば幸いです。
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「膝枕」外伝 六千人の命の膝枕
Ⅰ.
1939年8月28日。
第二次世界大戦がはじまる3日前、リトアニアの首都カウナスにできたばかりの日本領事館に、杉原千畝(すぎはらちうね)が領事代理として赴任した。
日本人など皆無に等しい国に常駐する外交官を、リトアニアは国を挙げて歓迎した。
だがその4日前、ナチスドイツとソビエト連邦の間で結ばれた密約により、リトアニアは50年にわたってこの世の地獄を生き続けることが決まってしまった。
これから綴られるのは、のちに世界中に称えられた杉原千畝の偉業に隠れた、悲しくもほほえましい物語である。
赴任した翌日、帰宅した千畝は顔面蒼白だった。
「おかえりなさい。あなた、どうなさったの?」
妻の幸子(ゆきこ)に問われた千畝は、
「もうすぐ戦争だ」
と、無機質な声を放つと、今度は幸子の顔が青ざめた。
イギリスの新聞によれば、領土要求を拒否するポーランドに対し、ドイツは最後通牒を突きつけるとともに、戦車一千両をポーランドとの国境に配備したという。
「これからどうなるのかしら?」
幸子から声をかけられた千畝は、
「赴任早々、先が思いやられるなんてもんじゃないな。ここリトアニアだって、ポーランドと接しているんだから・・・・・」
それ以上は声を出せなかった。
「あなた・・・・・」
ベッドに腰かけ寄り添う幸子に声をかけられた千畝は、静かに目を閉じると、ゆっくりと倒れ込み、幸子に膝枕される格好になった。
翌朝、夫と自分がどうやって床についたのか、幸子は思い出せなかった。
1940年6月15日。
ソ連軍はリトアニアに侵攻し、さしたる抵抗もないまま、エストニアやラトビアと合わせて制圧した。
リトアニアという国が消え失せるのも、杉原千畝の領事代理としての職務が停止するのも、時間の問題となった。
Ⅱ.
7月18日。
日本領事館の周囲は、朝から騒然としていた。
「いったい何の騒ぎだ?見に行ってくれ」
千畝から命じられた現地採用職員のユオザス・パディマンスカスは、思いもよらぬ光景に呆然とした。
入口だけでなく領事館の周囲全体が、着のみ着のままな老若男女百人余りに囲まれていたのである。
ドイツ軍に制圧されたポーランド西部から、命からがら逃げてきたユダヤ人たちであることは、一目でわかった。
領事執務室に戻ってきたパディマンスカスは、初老のユダヤ人男性を一人連れてきて、千畝に詫びた。
自分が応対しても埒が明かないので、代表者として来てもらったという。
ユダヤ人男性は、自分のパスポートを千畝に渡した。
ポーランド政府発行のパスポートには、サムエル・ダビドビッチという名の下に、何やら手書きされたものが付いていた。
『本旅券を有する者がキュラソー島に入る際に、ビザは免除とする。
オランダ王国駐エストニア・ラトビア・リトアニア特命全権大使 レオ・ピーター・ヨハネス・デ・デッケル』
「ん、キュラソー?カリブ海の島か。いや、いくらオランダ領といっても、総督の許可がなければ外国人は上陸できないはずだ。大使一人の独断でできるわけがないだろう?」
信じられないという表情の千畝に、ダビドビッチが声を絞り出した。
「リトアニアやポーランドにはユダヤ教の神学校が多く、オランダからも多くのユダヤ人が留学していました。ところがナチによってオランダという国が消し去られ、彼らは国籍を失いました。このままポーランドにいては、命まで失ってしまいます。ここリトアニアにも、遠からず必ずドイツ軍がやってきます。彼らを救うべく、オランダの大使はご自身の責任で、彼らのパスポートにこう書いたのです」
「なるほど、それでポーランド生まれの君たちも、同じユダヤ人ということで便乗したわけか」
ダビドビッチは無言で頷いた。
「それで、日本の領事代理である私に、何をして欲しいのかね?」
「日本の通過ビザを、私たちに発給してください!」
ダビドビッチはありったけの力を込めて訴えた。
千畝は、パディマンスカスの「冗談じゃありません!」という視線を感じた。
「いやいや、日本はドイツの同盟国だ。そんなことが知れたら、私の首が飛んでしまう。それにリトアニアはソ連に占領され、この領事館も間もなく閉鎖されてしまうから、ビザの発給などムリな話だよ」
千畝は首を振りながら答えた。
リトアニア全土を制圧したソ連から「もうここはソビエト連邦の一部だから、とっとと出ていけ!」と強要され、日本領事館以外の外国公館は、全て閉鎖されていた。
「そのソ連が、日本の通過ビザを取って来いと言ってるんです!」
ダビドビッチが叫んだ。
彼らが太平洋を渡ってキュラソー島にたどり着くには、シベリア鉄道で東へ移動してウラジオストックから出国し、日本を経由することが唯一の選択肢だった。
だから日本の通過ビザさえあれば、ソ連はウラジオストックからの出国を認めてくれるという話だった。
「今すぐ私の独断ではできない。本国の外務大臣の許可が必要なので、それまで待ってほしい」
千畝はそう言って、ダビドビッチを下がらせた。
千畝は早速、外務大臣・松岡洋右(まつおかようすけ)宛の電文を発信した。
自分が日本の通過ビザを発給する以外、ユダヤ人避難民たちが助かる可能性はなく、領事館が存続できるのもあとわずかで、極めて自体が切迫しているので、ウラジオストックからの船に乗ったユダヤ人避難民が、福井県の敦賀港に上陸することを認めるよう訴えた。
だが松岡からの返信は、冷酷非情な却下だった。
通過ビザといっても、飛行機の乗り継ぎのように数時間で済むわけではなく、当時は目的地に行く船に乗り換えるまで、何日も待たねばならない可能性があった。
日本に滞在するカネもない連中を入国させてもロクなことにはならないし、既に神戸あたりの入国管理局がてんてこ舞いしている状況で、面倒のタネを持ち込むとはけしからんと、一喝されてしまった。
多くの罪もないユダヤ人たちを見殺しにはできない。
だが外交官として、本国の大臣の命令に背くことは許されない。
千畝は悩み抜いた末に、自分の権限でビザを発給することを決心し、幸子に告げた。
「そうしてあげてください」
幸子は微笑んだ。
Ⅲ.
かくして千畝は、ユダヤ人たち一人ひとりに応対し、ビザを発給した。
厳密には、親子で一枚の写真に写れば、親子一緒に一通のビザで済んだが、限られた時間の中で手書きで領事としてサインするのは、過酷を極めた。
むろん代わりは誰もいない。
ある日、疲れ果てた千畝は、崩れ落ちるかのように応接室のソファに座り込んだ。
幸子が茶を持ってきた。
「あなた、ムリはなさらないでくださいね。いくら人の命を守るためだからって、あなたが倒れてしまっては、救える命も救えないわ」
「・・・・・」
千畝は何か言ったが、それは言葉になっていなかった。
目をとろんとした千畝は、隣に座る幸子にもたれかかった。
幸子は千畝を抱き抱え、静かにソファから立って床に正座し、千畝を膝枕した。
千畝の頭や腕を撫でるうちに、幸子の目から涙が滴り落ちた。
そのとき、突然物音がした。
幸子がハッとして見上げると、そこには若い男が立っていた。
「あ、あなたっ!」
幸子が声を上げるより早く、千畝は目を覚まし、ソファに座り直して男を見上げた。
男は武器の類は持っておらず、強盗等ではなさそうに見えたが、不法侵入以外の何物でもない。
「君は何者かね?ここが外国の公館だとわかっているのか?」
「もちろん、あなたが日本の領事代理とわかってここに来ました」
「だったら名前ぐらい名乗ったらどうだ?」
「失礼しました。ダビド・モルゲンシュテルンといいます」
男は千畝に、ポーランド政府発行のパスポートを差し出した。
千畝はパスポートと男の顔に一瞥をくれると、怒気も露わに吐き捨てた。
「フン、いかにもユダヤ人みたいにとってつけたような名前だが、君のそのなりは、どう見てもポーランド人じゃないか」
「ご想像にお任せします」
千畝は改めてパスポートに目を向けると、日本の通過ビザを求めて押し掛けたユダヤ人たちが持っていたのと同じ、キュラソー島にビザなしで入れるというオランダ大使の署名に気づき、一瞬表情を変えたが、再び厳しい目を男に向けた。
「だいたい君はどうやってここに来たんだ?領事館の業務時間が終われば、誰も中には入れない筈だ」
「魔法を使いました」
「魔法?」
男が千畝に一枚の紙を渡した。
そこにはこう書かれていた。
『大日本帝国駐カウナス領事代理 杉原千畝殿
この度の貴殿のお働きに、当方としては何とお礼を申し上げればよいかもわかりません。大変申し上げにくいことながら、もう一つ貴殿にお願いしたいことがあります。
本書簡を貴殿に直接手渡す者に、ユダヤ人避難民と同様に、日本の通過ビザを発給していただけないでしょうか?
この男は自らの危険を顧みず、ドイツ軍に占領されたポーランドにおいて、数多くのユダヤ人の命を救うために奔走してきました。貴殿によって日本の通過ビザを発給されたユダヤ人避難民の中にも、この男に命を救われた者が、少なからずおります。貴殿にとっては、とんだ迷惑かもしれませんが、おかげでこの男は、いまやゲシュタポのお尋ね者であります。いずれドイツ軍がソ連を攻撃し、ここリトアニアがドイツ軍に占領される日が遠くないことは、貴殿も見通しておられると思います。
ユダヤ人避難民とともに、この男をナチスドイツの魔の手から救うべく、厚かましさを承知の上で、さらに貴殿の恩情にすがらせていただきたく存じます。
オランダ王国駐カウナス領事代理 ヤン・ズバルテンダイク』
眉間に皺を寄せながら読んでいた千畝の表情が、みるみる穏やかになっていった。
「なるほど、こんな魔法を使われてはかなわんな」
いつの間にいなくなっていた幸子が、千畝の万年筆を手に戻ってきた。
男は千畝に、新たにもう一枚の書類を差し出した。
そこには男の写真が貼ってあり、氏名や生年月日等が記されていた。
あとは千畝がサインすれば、日本の通過ビザとして完成だった。
「おいおい、いくら何でも手回しが良過ぎるぞ」
苦笑いしながら千畝がサインしようとしたら、ペン先が折れてしまった。
「まいったな。明日から何でサインすれば・・・・・」
と千畝が言うが早いか、
「これを使ってください」
男が差し出したのは、「在カウナス領事代理・杉原千畝」と日本語で彫り込まれたゴム印だった。
「ありがとう。これならもっと早くたくさんのビザを発給できそうだ」
ゴム印を押されたビザを受け取った男は、
「ありがとうございます。必ず生き抜いて、お礼にうかがいます」
と言って、深々と頭を下げた。
「私に感謝しているのなら、今すぐできることをやってくれないか?」
「何でしょうか?」
「君の本当の名前を教えてくれ」
「ミコワイ・マイダンです」
「そうか、覚えておくよ」
その後、ミコワイは幸子と千畝を交互に見やった。
「あ、あの・・・・・」
「ん、何か?」
「・・・・・いえ、何でもありません」
そう言い残し、ミコワイは風のように姿を消した。
千畝がビザ発給に忙殺されている間、7月21日に発足したリトアニア・ソビエト社会主義共和国は、8月3日にソビエト連邦に編入。
独立回復からわずか22年半で、リトアニアという国は再び失われた。
8月31日をもって日本領事館も閉鎖され、領事代理という役目が失われた千畝は、カウナス中央駅からベルリン行きの列車に乗り込んだ。
列車が発車する直前までビザを発給し、遠ざかっていく千畝の姿を目に焼き付けながら、ミコワイは声を出さずに叫んだ。
「必ず生き抜いて、お礼にうかがいます」
Ⅳ.
こうしてリトアニアを離れた千畝は、当時ナチスドイツの支配下にあったチェコのプラハ、ドイツのケーニヒスベルク(現在のロシア領カリーニングラード)、フィンランドのヘルシンキ、ルーマニアのブカレストを転々とし、1947年4月5日に帰国したが、待っていたのは「お前はクビだ」という外務省からの宣告だった。
終戦後、ミコワイは焼け野原と化した日本で、在日米軍基地の何でも屋という仕事を与えられていた。
ある日、満州から命からがら引き上げてきて、行き倒れ寸前だった日本人女性を連れ帰ったミコワイは、彼女からこんな身の上話を聞かされた。
貧しい家に生まれ、身売り同然で芸者をさせられ、名前を胡蝶と変えられ、客である陸軍の将校に気に入られ、満州に渡ったこと。
なのにある日突然、ソ連軍の将校に膝枕をしたという理由で、遠ざけられてしまったこと。
ソ連軍の攻撃により、自分を抱えていた将校は戦死し、命からがら日本へ戻ってこれたこと。
膝枕という日本語は初耳なミコワイが、どういう意味かと問うと、
「やってみますか?」
と胡蝶は問い返した。
ミコワイがうなずくと、胡蝶は正座して自分の膝を指さし、
「ここへ」
とささやいた。
どうしていいのかわからず狼狽するミコワイは、胡蝶に手をとられ、静かに引かれると、ごく自然に身を横たえ、頭を彼女の太腿の上に乗せた。
「いったいこれは・・・・・」と思う暇もなく、戦争が始まってから日本にやってくるまでのいろんなことが目に浮かび、ミコワイの眼から涙がとめどもなく流れた。
目に浮かんだことの一つに、カウナスの日本領事館に忍び込んだこともあった。
日本の領事が妻の膝の上に頭を載せていたのは、これだったのか。
涙を流しながらもミコワイが微笑んだことに、胡蝶は気づかなかった。
ミコワイが自らに課した、命の恩人に礼を言うという約束を果たせぬまま、何年かが過ぎた。
ようやくまとまった時間を持てるようになったことで、まずは日本の外務省に杉原千畝の身分照会を依頼したが、「杉原千畝なんて外交官はいなかった」と一蹴されてしまった。
ミコワイは様々な情報網を駆使して、杉原千畝が本当は外務省から解雇されたことや、今はどこで何をしているのか等を突き止めた。
それからというもの、ミコワイは毎日仕事を終えると、胡蝶に膝枕をしてもらい、膝枕についていろんなことを尋ねた。
命の恩人の頼みなら、胡蝶にとっても悪い気はしなかったが、ミコワイが膝枕にしか興味がなさそうなのがやるせなかった。
ところがある日、ミコワイは帰宅するや、膝枕をせがまずに部屋にこもり切りとなった。
たまにはそんなこともあると自分を納得させた胡蝶だったが、翌日もそうだったので、こっそりのぞいてみると、寝っ転がるミコワイの頭の下に、まるで女の腰から下だけが正座しているかのような物が見えた。
自分が部屋を覗いていることにも気づかぬミコワイに、胡蝶は嫉妬を覚えた。
また翌日の夜も、帰宅したミコワイはすぐに部屋にこもった。
意を決した胡蝶が部屋に入り込むと、ミコワイはハッと起き上がった。
胡蝶は、ミコワイが膝枕をしていたかのような物をむんずと取り上げると、それは女の太腿そのものな感触だった。
「私という膝がありながら・・・・・」
ワナワナ震える胡蝶に、ミコワイはうろたえた。
「違う!本当に大事なのは君だけだ。これはおもちゃじゃないか!」
「そのおもちゃのために、私を三日三晩放っておいたのね」
「待ってくれ!全て話すから聞いてくれ!」
そしてミコワイは、膝枕型模型についてや、そもそもなぜ自分が日本に来たかに至るまで、一部始終を語った。
「私に毎晩膝枕をねだったのも、そういうことだったのね。なぜ最初から言ってくれなかったのよ?」
「本当に済まない。君の膝枕は、僕がこれまで体験した中で最高の癒しだった。だからこそこれを作ることとは切り離したかったんだ」
「それで、もうその方にお渡しできるのかしら?」
「ああ。いろんな人が協力してくれて、ついに完成だ」
Ⅴ.
ある日、千畝の自宅に荷物が届いた。
送り主が在日米軍基地になっており、身に覚えがなく訝しんだ千畝だったが、開けてみると、出てきたのは女の腰から下が正座した格好の模型だった。
わけがわからず箱の中をよくよく見ると、紙が一枚入っており、こう書いてあった。
「六千人の命の膝枕を贈ります」
千畝は早速膝枕をしてみた。
まるで生身の女の膝枕と変わらない感触に、千畝は心が肉体から離れていくかのように感じた。
リトアニアに着任してからビザを独断で発給し、帰国して外務省をクビになり、今に至るまでのあれやこれやを思い浮かべ、静かに千畝は涙を流した。
「あなた、何をしているのよ?」
幸子がドスの利いた声で、千畝を見下ろしていた。
「そりゃ、私だってもう年だから、あなたにいつまでも膝枕をしてあげられないけど、だからってこんなおもちゃに・・・・・」
ワナワナと声を震わせる幸子だが、千畝は平然としていた。
「きみの膝枕があてにならないからこれを使っているわけじゃないさ。おもちゃかもしれないが、これは特別だ」
そして添えられていた手紙を幸子に渡した。
「六千人の命ですって?」
幸子は絶句した。
「私が助けたユダヤ人たちからの恩返しってわけだ。さすがに君の膝枕が一番だとは言えないよ」
「いやねえ、もう。六千人が相手ではやきもちも妬けないわよ」
ふくれっ面をした幸子は、ふと我に返った。
「でもなぜわざわざ膝枕なのかしら?ヨーロッパの人たちは膝枕なんて知らないし、ましてあなたが・・・・・あっ、まさか?」
「そういうことだ。あのポーランド人が押し掛けたとき、私は君に膝枕されたままうたたねしていた。彼はそれを覚えていたんだろう」
泣きながら笑う幸子を、千畝はそっと抱き寄せた。
Ⅵ.
1985年1月18日。
杉原千畝はイスラエル政府により「諸国民の中の正義の人」という称号を与えられ、ユダヤ人の命を救った者を称えるヤド・バシェム賞を受賞した。
受賞式後のパーティーで、千畝の前にミコワイが姿を見せた。
「おめでとうございます。私を覚えていますか?」
「忘れるわけがないさ。六千人の命の膝枕とは恐れ入ったよ。本当にありがとう」
「喜んでいただけてうれしいです」
「ところで、君はあのとき『必ずお礼にうかがいます』と言ったのに、なぜ直接うちにあれを持って来なかったんだ?」
「もしあれをもってお邪魔したとき、あなたが奥様に膝枕されているとしたらと思うと、さすがにちょっと・・・・・」
「ハハハハハ。妻が負け惜しみを言っていたよ。『私はもう年だから、あなたに膝枕をしてやれない』て」
「ハハハハハ」
千畝とミコワイは、いつまでも笑い続けた。
だがそんな千畝の栄誉を、日本政府は黙殺した。
1986年7月31日。
杉原千畝は86年の生涯を終えた。
外務省が解雇処分の過ちを認め、正式に謝罪して杉原千畝の名誉を回復したのは、2000年10月10日になってからだった。
1990年6月1日。
杉原幸子は、夫と共に過ごした日々を綴った「六千人の命のビザ」という著書を世に出した。
だが著書の中に、膝枕をめぐるエピソードは、なぜか一言も語られていなかった。
2008年10月8日に、幸子が千畝の後を追って旅立つまで、ビザの話はあっても膝の話がないことの真相は、誰にも伝わることはなかった。
この物語は全てフィクションであり、歴史上の事実や実在の人物・組織とは一切関係ありません。
2022年11月11日、本作品がClubhouseで膝開きできました。
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