「膝枕」外伝「膝枕ナビッコ」
2021年8月7日、Clubhouseで今井雅子作「膝枕」朗読を行い、膝枕er番号67番に認定されました。
多くの膝枕erから刺激を受けて、私も膝枕iterとしてこんなのを書きました。
本作品は膝枕外伝第四弾となります。
第三弾同様、こちらのシリーズにヒントをいただきました。
「膝枕」外伝 膝枕ナビッコ
1840年の暮れ。
ミラノのスカラ座に、ジュゼッペという若き音楽監督がいた。
娘と息子と妻に相次いで先立たれ、悲しみから再起すべく世に問うた作品が大失敗したことで、音楽への情熱を失ったジュゼッペは、廃人同然だった。
これから綴られるのは、ジュゼッペが世界中にその名を轟かした陰に隠れた、誰からも信じてもらえない物語である。
ある日、ジュゼッペの家にスカラ座の支配人が押しかけてきた。
「早く仕事しろ。お前がやらなきゃスカラ座は崩壊だ」
支配人は荷物をジュゼッペの目の前に置いて立ち去った。
箱を開けてみると、中身のひとつはオペラの企画書で、表紙にナブコドノゾールと書かれていた。
中身のもうひとつを包む紙をはがすと、そこにあったのは女の下半身だけの模型で、なぜか両膝がきれいに折りたたまれていた。
わけがわからずにジュゼッペがあちこち触ってみたら、
「初めまして。膝枕ナビッコです」
と突然話しだしたので、ジュゼッペは仰天した。
「わーっ、おもちゃがしゃべった!」
「ナビッコです。おもちゃではありません。ナビ主さんの野望実現に向けてナビゲートする膝枕です」
「いや膝枕って、なぜ膝が枕になるんだ?」
「ナビッコです。日本人は、こうやって膝を枕にしています」
「日本?マルコ・ポーロの東方見聞録か。わけわからんな」
「ナビッコです。ナビ主さん、お名前は何ですか?」
「ベッぺと呼んでくれ」
ジュゼッペの愛称としてベッぺと呼ぶのは、イタリアではあまりにも普通なのだが、
「ナビッコです。ナベッペさんですね」
「違う!ベッぺだよ」
「ナビッコです。ベッペッ!さんですか?」
「唾吐くみたいに言うな!」
「ナビッコです。私は唾を吐いたことはありません」
「だったらなおさらわけわかんねえよ!じゃあ本名のジュゼッペと呼べよ」
「ナビッコです。数珠をしながら屁をこくんですか?」
「もういい!勝手にしろ!」
「ナビッコです。では勝手にナベッペさんとお呼びします」
「おい、お前は枕だといったな。このまま頭乗せて寝っ転がるぞ」
「ナビッコです。膝枕ですから、それが仕事です」
ジュゼッペは寝っ転がって頭を乗せると、これまで体験したことがない心地よさを感じた。
家族を失い、作曲意欲も消え失せ、荒れ果て荒み切っていた心が少しずつ癒されていくのを感じたジュゼッペは、いつしか眠気を覚えた。
「ナビッコです。ナベッペさんを素敵な夢にナビゲートします」
そんな声が聞こえた気もした。
「夢のナビゲート?新しいオペラが大ヒットする夢でも見せてくれるのか?」
そんなことを思いつつ、ジュゼッペの意識は遠のいた。
縄でつながれた者たちの、ヨロヨロした行進。
奴隷として酷使され、牢獄に閉じ込められる、生ける屍たち。
だが、そんな生ける屍たちが、心を合わせて歌う。
飛べ、我が思いよ。黄金の翼に乗って。
ハッと目を覚ましたジュゼッペは、夢の中で聞こえていた歌を口ずさんだ。
「これだ!」
と叫んだジュゼッペは、起き上がるやペンと五線紙を持ってピアノに向かった。
「よーし、これでいけるぞ」
しばらく無言だったナビッコが声を出した。
「ナビッコです。素敵な夢を見られましたか?」
「夢では終わらないぞ」
ある日、出先から帰宅したジュゼッペは、ため息をつきながらナビッコに頭を載せた。
「ナビッコです。ナベッペさん、元気なさそうですが、どうされましたか?」
「いやぁ、スポンサーから圧力がかかっちゃったんだよ。ストーリーを変えろって」
オペラの題名のナブコドノゾールとは、紀元前6世紀にメソポタミアを支配した新バビロニアの王ナブー・クドゥリ・ウスルのイタリア語読みである。
紀元前586 年、現在のイスラエル南部にあったユダ王国を滅ぼし、聖地エルサレムとその神殿を跡形もなく破壊したナブコドノゾールは、生き残ったユダヤ人たちを自国の首都バビロンに強制移住させた。
日本の世界史の教科書でおなじみの、ネブカドネザル2世によるバビロン捕囚であり、これによってユダヤ人たちは、2400年にわたって祖国なき流浪の民となった。
生きて故郷に帰れることは絶望的となりながら、それでも牢獄につながれたユダヤ人たちは、「飛べ、我が想いよ、黄金の翼に乗って」と歌う。
こんなストーリーだったのだが、スカラ座のスポンサーにユダヤ人がいて、「ナブコドノゾールが過ちを認め、ユダヤ人に謝罪するという結末にしろ」と言い出したという。
「ナブコドノゾールがユダヤ人に謝罪するわけがないのに。歴史上有名な出来事なのに、事実と違うストーリーにしろって言われてもなぁ……」
「ナビッコです。それなら、『この物語は出まかせの作り話で、歴史上の事実や実在の人物なんぞは知ったことではありません』と言ってしまえば簡単です」
「言えるわけねえよ、バカ野郎!」
「ナビッコです。でしたら、スポンサーの意向ですと開き直ればいいんです。本当のことですよね?」
「本当だから言えないんだよ!スカラ座が崩壊してしまうわ、ったく!」
「ナビッコです。でもお金がないとオペラはできませんよね」
「そりゃそうなんだけどなぁ……」
気がついたら眠っていたジュゼッペは、目が覚めると、すぐに家を出た。
しばらくして、ジュゼッペはまた浮かぬ顔をして戻ってきた。
「ナビッコです。うまくいきましたか?」
「うまくいったと云えばいったんだが……」
そう言いながらジュゼッペは、ナビッコに頭を預けた。
「ナビッコです。また問題発生ですか?」
「ストーリーを変えることに、条件をつけたんだ。ナブコドノゾールなんて長ったらしい名前じゃ、声楽家が歌えないし、題名としても客が覚えてくれないから、短くしたいと。スポンサーはそれでいいと言ったんだが、じゃあどんな名前がいいか、皆目見当もつかないんだよな」
「ナビッコです。物語の舞台は、バビロンですよね?」
「そうだけど?」
「ナビッコです。それなら、『バビロントーキョー』という題名はいかがですか?」
「何だよトーキョーって?わけわかんねえよ!」
「ナビッコです。日本には都が二つあり、権力者がいるのは東の都なので、トーキョーといいます」
「日本の東の都なんか関係ねえだろ!」
「ナビッコです。ちゃんと関係あります。エルサレムに比べれば、バビロンは東の都です」
「ユダヤ人は奴隷として連れて来られたんだから、バビロンは牢獄であって都なんかじゃねえよ!」
「ナビッコです。日本には『住めば都』という諺があります。牢獄だって都と大差ありません」
「んなわけねえだろ!大体がなあ、権力者がいる日本の東の都は、江戸だろうが!」
「ナビッコです。どうせあと30年もすれば、日本人は皆トーキョーと呼びます」
「なんでお前が日本の未来を予言できるんだよ!?」
「ナビッコです。私は日本文化の象徴である膝枕です。日本の未来は私がナビゲートします」
「こいつに尋ねて失敗したわ、クソッタレが!」
「ナビッコです。はい、ナベッペさんの大失敗です」
「やかましい!ったく……いや、待てよ」
ジュゼッペは起き上がってナビッコに向き直った。
「おい、タイトルもバビロニア王も、お前の名前にするのはどうだ?」
「ナビッコです。すばらしいアイデアです。オペラは大ヒット間違いなしです」
「ケッ!現金な奴め」
「ナビッコです。元気はありますが、現金はありません」
「じゃあ俺が現金をくれてやるから、ちゃんとナビゲートしろよ」
「ナビッコです。それはナベッペさんの努力次第です」
「はいはい、努力しますよ」
1842年3月9日。
スカラ座で初演された歌劇「ナブッコ」は絶賛され、作曲者ジュゼッペ•ヴェルディは、一躍スターダムに駆け上がった。
とりわけ、ユダヤ人たちが二度と帰れぬエルサレムへの想いを込めた「飛べ、我が想いよ、黄金の翼に乗って」は、フランスやオーストリアのエゴに振り回され続けたイタリアが、今度こそ一つの国になろうとしていた時代背景もあり、第二の国歌同然にイタリア人たちに歌い継がれた。
だが、当初ヴェルディが考えたナビッコというタイトルが、一文字違いでナブッコに変わってしまった経緯は、明らかにされることはなかった。
この物語はフィクションであり、歴史上の事実や実在の人物・組織とは一切関係ありません。
2023年3月10日、膝枕リレー650日記念の前日に、膝開きしました。
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