保育園を卒園する君たちへ。
2017年4月5日の僕が書いた文章を、2020年3月26日の僕が紹介します。
ちょうど今、卒園とか、卒業とか、そんなシーズンでしょ?
今年は、例年とは一味違うみたいだけど…。
様々な別れが訪れる季節。
別れって響き、いいよね?
おとなになると、別れって、あんまりなくなって来ませんか?
会いたい人に本気で会おうと思えば、大概会えるもんね。
仮に引っ越ししても、どこに行ったかわからんとか、なかなかない。
メールやSNSやなんだかんだで、連絡は取れたりする。
だからこそさ、別れや終わりを見据えてのぎゅっと濃い付き合いもなくなりがちじゃない?
いつでも会えるからいいやって。
別れがあるからこそ、ぐっと付き合いが濃くなったり、
終りがあるからこそ、命を燃やせたり。
だから、そういう点でいえば、無限より有限の方が好きだな。
限られた時間の中で、きらめく瞬間は美しいから。
今から3年くらい前にね、愛娘の保育園の卒園アルバムを作る時に、少しスペースが空いたからと言って、卒アル制作を担当している嫁からオファーがあった。
何か書いてよって。
まさかの裏表紙。
まさかの大抜擢。
ひゃ~っと思ったけど、オファーは受けないとね。
僕は、幼きあの頃の記憶なんて朧気で、話をもらってから、締め切りまでの10分の9の時間は、ぼやぼや何を書こうかなと悩んでいたけど、いつかのタイミングで、僕は親の気持ちしかわからないから、親の気持ちを書こうと決めました。そこからは実に早かった。
一筆書きのように、自宅換気扇の下で、たばこを吸いながら、携帯片手に3分程度で書き上げたものだから、ホントは、手直ししたいんだけど、初期衝動、原文のままで掲載します。
書いた後に自分が書いた文章を自分で読み直しながら、ぐっと来たんだけどさ、嫁に自分で書いた文章でぐっと来てると思われたら、ダサいから、目も見ずに、そっぽを向いて、すごく素っ気なく、書けたでって言ったのを鮮明に覚えています。
では。
「保育園を卒園する君たちへ。」
おめでとう。
おめでとうって言われても、ひょっとしたら、君たちは、今、悲しいかもしれないね?大好きな先生や友達との別れもあるだろうから。
そりゃ、そうだ。
今、君たちにとっては、今がすべてだ。
でもね、悲しいかな、大きくなったら、
保育園時代の記憶なんて、夢の中の出来事のように朧気だ。
三つ子の魂百までっていうから、超多感な、大事な時には変わりない。
でも、そんな事より、今から、大事な事を伝える。
心配するな。
今、これを読んでもらってもね。
今、意味なんて、わからなくていい。
僕たち、すなわち、君たちの親。
僕たちも、幼少の記憶なんて、それこそ、朧気だ。
だから、君たちを見て、こういう事だったんだなって、
大人になって、親になって、初めてわかる。
朧気な記憶を繋ぎ合わせて、誰が、いつも側にいてくれて、
誰が、僕たちを愛してくれていたかに気づく。
忙しい仕事の隙をついて、
小さなカメラの向こう、小さなカメラのファインダーを必死に覗いて、
最愛の我が子を追う、優しい目。
僕たちは、他の誰でもない、親に愛されて、大きくなったんだって。
きっと、わかる時が来る。
大きくなって、君たちが親になった時に、このアルバムを見返して欲しい。
そして、君たちが、愛された分、君たちの子供たちを精一杯、愛してやって欲しい。
いつか、君たちが親になったとしたら、きっと、わかる時が来る。
わかる時まで、このアルバムを大事に取っておきなさい。
世界中の誰より、君を愛する君の親より。