「A HAMLET二期工事エピソード⑥時には二日酔いだって良いじゃないか。」
エピソード⑤の続き。
連投だけど、ちゃんと読んでね。
タイトルは「時には二日酔いだって良いじゃないか」
写真は、8月20日分。
あっ、タイトルで結論を言っちゃったな。
そんな理想的な日なんて、そうそうないよ。
みんな、そうじゃない?
最低な日があって、平凡な日があって、最高な日があるんじゃないか。
ありのままで良いというか、背伸びやいい格好する必要はないと思うし、時に、ダサくても良いと思うんだな。
いや、人間らしくて、むしろ、美しいくらいだ。
マジでやらかした時やダメな時はごめんってちゃんと伝えて、次に活かす。
ちゃんとしている人、ちゃんとしているって何だ?ちゃんとしている人の方が美しいと思われがちだが、僕は粗削りだが、圧倒的な魅力を持っていたり、素晴らしい能力を持っているのに、脇が甘い人の方が美しいんじゃないかと思うんだな。
それは、集落なんかにも同じ事が言える事なのかもしれない。
キレイすぎるまちは息苦しく感じるし、生物としての人間がそこで生きている気配がしない。
時に人間の居場所がないようにすら見える。まちや建物が主役で人間はむしろ脇役って感じ。
例えばさ、僕は、家の前に洗濯物を干している集落の景色なんかが好きだ。生活が滲み出ていて、そこに人が生活している匂いがする。
インスタなんかのSNSでキレイな景色やモノが切り取られやすくなった時代だからっていうのもあるかもしれない。
その真逆の魅力が際立つ。
「A HAMLET」の元からお住まいのおばさん達が地面に座りながら、数人でお茶をしていて、そこに野良猫が寄り添ったりしている姿なんて、最高に美しい集落の在り方だなと思う。
いつの頃か地面に座る若者たちが良くないってなった時代あったじゃない?僕らは超言われたよね。今じゃ、もう普通になってんのかな?
あれって、若者が地面に座る事自体が悪いんじゃないんだよ。つるんで、周りを拒む空気を出すのがいけなかったんだ。
これ大事。
みんなで道端に寄り合い、外に対して、ウェルカムな空気を醸しながら、地面に座る事は決して悪い事じゃない。
みんなが寛ぎながら、ニコニコしていて、こんにちはー!って声をかける事のどこが悪いのよ。
ちなみに、この写真の前日、すなわち、8月19日は祭りだったんだな。エピソード⑤で書いただろ?
精一杯、腹いっぱい楽しんだからこその無様な姿じゃないか。
そういう日はそういう日で、できる事はあるもんさ。
そうそう、僕が企画したり、関わらせてもらっている集落や施設、ビルなんかは、入居のハードルが高いと思われたり、コミュニティがガチガチでハードそうに思われがちだけれど、全然、そんな事はない。
まぁ、もちろん、誰でも入居できるって事ではないんだけどね。その人とその集落や施設やそこにいる人たちとの相性なんかは見させてもらっている。でも、物件紹介文なんかの文章が割と限定的に特定の誰かにぶっ刺すような文章を書くもんだから、そのフィルターがうまく機能してくれているのかもしれないけどね。
コミュニティに関しても、その人その人ができる事で関わってくれて、何もみんながリーダーシップを取らなくて良いし、みんな、それなりに違うから、コミュニティがちゃんと機能するんじゃないかな。
まぁ、何が言いたいかって言うと、A HAMLET二期工事エピソードも⑥まで来て、小休止って事さ。
毎回毎回、暑苦しい事を書いてると、読むのも疲れるでしょ?
そういう事だよ。