希望と失望。
2017年6月26日の僕が書いたよ。
生きているとね、うまくいかない事や望み通りにならない事は多い。
残念ながらね。それが現実。
どうやら、すべてがうまくいく事は少ないらしい。
望めば望むほど、叶わない事は増える。
叶わない事が増えれば、嫌な気持ちになるよね?
がっかりする。悔しい。悲しい。
ふとした、ちょっとした些細な自分がした事で、心に波風が立つ。
ふとした、ちょっとした些細な事が原因で、あんなに楽しかった昨日までがウソのように、今、そして明日以降の日々が漆黒の闇に包まれる。
ホントに一瞬で絶望の日々が訪れる。
逆に言えば、希望を抱かなければ、失望もしない。
理想の自分があるから、現実の自分に落ち込むんだ。
自分に期待しなければ、自分自身にがっかりする事なんてない。
毎日を平穏無事な心で過ごせる日々の到来だ。
心に波風なんて、たたない。
だからね、人は歳を重ねる毎に、いろいろな事を諦めるんだ。
これ以上、自分自身に失望したくないから。
これ以上、傷付きたくないから。
これでいいやって。
でもね、僕らは今日よりも明日、笑っていたいから、生きてるんでしょ?
でもね、僕らは今日よりも明日、より良くしたいから、あれこれ望むんじゃん?
だからこそ、ダメダメな自分なりに、自分はこうありたいって、希望を持ち続けて、生きてるんじゃん?
だってさ、誰も、僕らに生きる理由なんて、くれないもんな?
待ってても、誰も助けてくれない。
そして、苦しんでる自分の目の前を人は通り過ぎていく。
そりゃそうだ。
乱暴な言い方かもしれないけど、自分は他人には救えない。
ホントの意味で、自分を救えるのは自分だけだ。
負の感情を引きずってでも、立ち上がるのは自分だ。
自分の足で、自分の意思で立ち上がるしかない。
自分の命を燃やすガソリンくらい自分で用意しなきゃな。
明日を生きるくらいの希望の炎くらい、てめえで用意しなきゃな。
だからさ、僕は望み続けるよ。
そして、自分が望んだ分の責任は自分で取る。
明けても暮れても。
例え、それが叶わない事だとしても。
どんなに、うちのめされてもね、どんなに、うちひしがれても、諦めない。
どんなに、がっかりしても、どんなに、傷ついても、立ち上がる。
自分自身が生きるために、自分のガソリンを絶やさないために。
失望から逃げた瞬間、次もまた逃げてしまうんだろうと思うから。
失望を受け入れた瞬間、次は、きっと、何も感じなくなるんだろうから。
そして、希望を諦めた瞬間、ひとつひとつ終わっていくんだろうから。
そんな自分は、生物学的な、物理的な状態としては、生きてても、
この世に生を受けた生命として、それは終わってるに等しいと思うから。
そういう事だろ?
人生なんてこんなもんだろ?なんて言って、死んだ目をしていたくない。
熱くなるだけ無駄だろ?とか言って、愛想笑いを浮かべていたくない。
僕はこんな感じなんですよ。とか言って、ヘラヘラしていたくない。
自分の人生を諦めて、人の人生に手に汗握るなんて、クソくらえだよ。
自分の人生を諦めて、無責任に子供に託すなんて、クソくらえだ。
まずは、お前が命あるうちに突っ込めよ。
まずは、お前が与えられた命を燃やせよ。
いつ死ぬかわからないから、ムリかもしれないけれど、
くすぶってねえで、完全燃焼を目指せよ。
自分の期待には自分で応える。
自分の生命の責任は自分で取る。
失望から逃れるために、希望を捨てるくらいなら、
希望も失望も抱えて、僕は生きる。
そういう事だ。
(2017,06,26)