ニッキの香り
夏が近づくとどこからともなくニッキの香りが脳裏をかすめる。あの独特な、ツンとしたような渋いような甘いような何とも言えぬ香りだ。祖母がまだ生きていた頃に、瓦のような形の焼き菓子をよく食べていたものだ。わたしはあの菓子が、というよりニッキがどうも苦手だ。子供の頃は古臭いと思って嫌っていたが、最近はお洒落なカフェでコーヒーカップの横にしれっとシナモンが横たわっているではないか。あの棒切れみたいな奴がニッキの正体だと知るのは初めてシナモンコーヒーを飲んだあの日から、だいぶ経ってからのことだ。
幼少の頃わたしは家で一人でいることが多かった。我が父母はそれはもう働き者であり、二人とも忙しく働いていたからだ。また同居していた祖母もこれがまた働き者で朝から晩まで畑と田んぼで過ごすような人だった。わたしには年の離れた兄がいたが、それらもやはり学校とバイトで家を空けていたので、夏休みはわたし一人が家にこもっていたのだ。祖母はわたしが寂しかろうと菓子を買ったり作ったりしてくれていたのだが、彼女は如何せん料理が下手くそな人であった。ホットケーキは粉っぽく卵の殻が混入しているし、買ってくる菓子と言えば八つ橋なのだからまいったものだ。
あの祖母が亡くなって何年経っただろうか。
わたしは祖母と過ごす夏が好きであった。夏場、広い日本家屋はそこらじゅうの引き戸が明け放されるため、家の中心から2つ隣の部屋の濡れ縁まで見える。畳の上に寝転がったまま外を眺めていると、腰の曲がった祖母が袋を携えてゆっくり家に帰ってきているので(また、八つ橋だろうか?)などと思いつつ嬉しくなるのだった。
もう生家を離れて6年になる。アブラゼミが鳴き始めると、あの何とも言えないニッキの香りを思い出すのだ。