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山手線にゃんぽ会 西日暮里~日暮里 その1

 気が付いたら歩き出していたにゃんぽ会、居酒屋や喫茶店、ハンバーガーチェーン店などの、近隣で勤める人が仕事の合間に立ち寄るお店が並ぶ中に、「社交ダンス ドレス専門店」の看板が目を惹いたりするような、さりげなく個性を隠しているかのような駅前の商店街を通ります。


西日暮里駅前の信用金庫の看板。
一部の散歩好きには、逆読みで文字が書かれたトラックにちなんで「ターャジス」とも呼ばれているらしい(?)、ターャジス読みの信用金庫の看板は珍しく感じます。
こきんようしんがもす・・・???

 どことなく、昭和が続いているような雰囲気もある西日暮里の東口側の通りから、21世紀の未来都市のような高架橋を走る日暮里舎人ライナー(2008年開業)の下をくぐると、再び昭和に戻った雰囲気のビルの前へ。


昭和の繁華街の雰囲気を伝えてくれそうなビル「サン5パレス」。
飲食店やナイトクラブ等が入居する「雑居ビル」の雰囲気です。

大きな通りの側の壁には虹の七色が描かれており、これも、昭和のビルや繁華街などで多く見かけた印象があります(レインボータウンといった名前のビルや地下街もあったような昭和後期)。

そして、「パレス」の名前にちなんだのか、王冠をかたどった形のエレベータの箱が見えます。
(乗客が乗る「かご」の天井の上に冠がつけられているようです)
夜中になると、きらめく灯りの中を王冠が上下するように見えるのでしょうか。

少し検索してみると、築は1979年(昭和54年)、まさに、この雰囲気の建物が華やかな灯りをともしていた昭和後期の世界ですね♪

 地下鉄千代田線の真上「道灌山通」を少し進みます。

お店を切り盛りする、働き者の「おばちゃん」が、お店の定休日にはマッサージ整骨院で骨休みをしている情景が浮かぶ風景です・・・(?)

 今回に限らず、歩きながら見つける、ありとあらゆる物に興味がわいて気になってしまうにゃんぽ会ですが、気になるものを見つけても、まわりが見えなくなるほどに夢中になって飛び出してしまうのはやめましょう・・・。
 飛び出し坊やになってしまいますよ~♪

 でも、これは喜んで飛び出して、道の向こう側まで見に行きたくなるのもわかるような(?)、昭和から続いていそうな長屋のような建物を発見!

 建物はもちろん、店名の看板も気になりますね・・・。

前田ミニ食品店は検索しても出てきませんでした。
たとえば、調味料とか日持ちする食品を扱っていたような店だったのでしょうか??
「スナックぐず」は、ネット地図や一部のサイトでは、今も営業中のように表示されています。
詳細は不明ですが、少なくとも2019年には飲みに行った人のブログが確認された一方、「不動産賃貸サイト」にも掲載されており、ネット情報では現在の現状は不明です。

なお、不動産サイトによると、この建物は、1978年(昭和53年)築と出ています。

 
「ミニ食品店」を正面側から眺めつつ歩きます。

 「日暮里道」という、耳にしたことがないような名前の道の名前が記された踏切を渡ります。
 

この踏切を通る「常磐貨物線」は、日暮里から三河島、南千住へと通じる常磐線とは異なり、田端付近から隅田川駅(日光街道で、南千住の手前の跨線橋から見えた大きな貨物駅)へと通じます。

 この貨物線のルートが常磐線の元祖といえる区間で、明治29年に水戸から田端までの区間が開業、明治31年には宮城県の岩沼から磐城地方を経て田端までの路線が繋がり、常磐地方の炭田からの石炭が運ばれましたが、その当時は、上野駅で行き止まり(上野から新橋までの線路は繋がっていない)のため、常磐地方の石炭を港湾や工場地帯のある京浜・横浜方面に運ぶため、当時存在した田端~赤羽と赤羽~品川の線路を使う(明治36年には山手線の田端~池袋も繋がり、常磐線~田端~池袋~品川とスムーズに運ぶことができるようになる)ため、田端へと繋がる常磐線がつくられたそうです。
 その後、「北の玄関口」上野から常磐線経由で仙台方面に向かうため、今の日暮里経由の「常磐線」がつくられ、かつての線路は隅田川駅へと通じる貨物列車用になったとか。


明治の線路から昭和のビルまでいろいろ潜んでいそうな西日暮里、まずはここまで。
ビールを飲んで(サワーでもホッピーでもいいですけど)一息つきましょう。
え?まだ歩き始めたばかりだからビールはまだまだ・・・???


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