山手線にゃんぽ会 西日暮里~日暮里 その1
気が付いたら歩き出していたにゃんぽ会、居酒屋や喫茶店、ハンバーガーチェーン店などの、近隣で勤める人が仕事の合間に立ち寄るお店が並ぶ中に、「社交ダンス ドレス専門店」の看板が目を惹いたりするような、さりげなく個性を隠しているかのような駅前の商店街を通ります。
どことなく、昭和が続いているような雰囲気もある西日暮里の東口側の通りから、21世紀の未来都市のような高架橋を走る日暮里舎人ライナー(2008年開業)の下をくぐると、再び昭和に戻った雰囲気のビルの前へ。
地下鉄千代田線の真上「道灌山通」を少し進みます。
今回に限らず、歩きながら見つける、ありとあらゆる物に興味がわいて気になってしまうにゃんぽ会ですが、気になるものを見つけても、まわりが見えなくなるほどに夢中になって飛び出してしまうのはやめましょう・・・。
飛び出し坊やになってしまいますよ~♪
でも、これは喜んで飛び出して、道の向こう側まで見に行きたくなるのもわかるような(?)、昭和から続いていそうな長屋のような建物を発見!
建物はもちろん、店名の看板も気になりますね・・・。
「ミニ食品店」を正面側から眺めつつ歩きます。
「日暮里道」という、耳にしたことがないような名前の道の名前が記された踏切を渡ります。
この貨物線のルートが常磐線の元祖といえる区間で、明治29年に水戸から田端までの区間が開業、明治31年には宮城県の岩沼から磐城地方を経て田端までの路線が繋がり、常磐地方の炭田からの石炭が運ばれましたが、その当時は、上野駅で行き止まり(上野から新橋までの線路は繋がっていない)のため、常磐地方の石炭を港湾や工場地帯のある京浜・横浜方面に運ぶため、当時存在した田端~赤羽と赤羽~品川の線路を使う(明治36年には山手線の田端~池袋も繋がり、常磐線~田端~池袋~品川とスムーズに運ぶことができるようになる)ため、田端へと繋がる常磐線がつくられたそうです。
その後、「北の玄関口」上野から常磐線経由で仙台方面に向かうため、今の日暮里経由の「常磐線」がつくられ、かつての線路は隅田川駅へと通じる貨物列車用になったとか。